■ 5月15日(日)

私たち家族は4年ほどまえから益城町に暮らしていて、一連の地震後、私は別として、妻子は同じ町内の広安小学校の体育館で避難所生活を続けている・・



私の勤め先はすでに復旧しているので、平日の8時~18時頃までは働いていて、夜は「ある事情」から自宅(一部損壊)に戻ることにしている。


そのような行動から、避難所で過ごす時間は1~2週間ほどまえまでは「1日に数十分」ほど・・
つまり、「顔出し」程度。


しかし、1~2週間ほどまえから徐々に避難所で開かれるミーティングに加わるようになり、その出席の回数に伴い、避難所の人たちと立ち話する機会も増え、つい話し込んで避難所の消灯時間(22時)まぎわまで残ることもある・・  

そういう時、私もほかの避難者と同様、体育館内に寝床(ダンポールベッド)を頂いているので、泊まろうと思えばいつでも泊まれるのだけど、それでも「あちこちヒビ割れた自宅」に戻るのはーー

次回、そのこと(ある事情)について打ち明けようと思います(続)