もう随分昔の話、下北半島、恐山、八甲田山と旅した時の事。
途中「萱野高原」というところに立ち寄り、そこの茶店では「いかり草入り萱野のお茶」
というものを無料接待されていました。
真夏の暑い最中の煮え立つようなお茶は、かえって爽やかで、お変わりをしたものです。
そこには、大きな立て看板が立てられていて・・・
「一杯飲めば、三年長生きをし、
二杯飲めば、六年長生きし、
三杯飲めば、驚いたことに 死ぬまで生きる長生きの茶」と書いてありました。
な~んだ と思いながらも、それでも私はそのお茶を買って帰ったのでした。
それについて思い出すのは、曹洞宗の僧侶である「良寛さん」のことです。
あるお金持ちの老人が良寛さんを訪ねて来て、
「今、私は七十歳でございます。 恵まれた身で、何一つ不自由なことは
ございませんが、七十歳で死ぬとは、あまりにも心残りでございます。
せめてもう十年は長生きしとうございます。
何か良い方法はございませんでしょうか?」と言います。
すると良寛さんは、いとも簡単に、
「あるとも、あるとも。
あと十年とするなら、八十歳で死ぬことになるぞ!それでよいな」
と、言いました。
「そう言われますと、また心もとなくなりました。
もうあと十年延ばして頂くことはできませんでしょうか?」
「では、九十歳ということになる。 それで満足じゃな」
「いや、実は遠慮して申しましたので、そこまで生きられるなら、
せめて百歳まではどうでしょうか」
「よいとも、よいとも。それでは百歳でよいな。
後でもう少し延ばしてくれと言っても駄目だぞ」
「はい。もうそれで結構でございます。」
「それでは教えてやろう。
七十歳であっても、八十歳であっても、九十歳であっても、百歳であっても、
百まで生きたなと思ったら、それでよいのじゃ」
その金持ちの老人は「な~んだ、ダマされた 」
と言って怒って帰ったということです。
ここで、良寛さんが言っているのは、命の長さではない。
充実して深く生きることが大切だと言っているのです。
百年生きてもそれは長さであって、むなしい一生であるなら、
本当に生きたことにはならないでしょう。
たとえ五十歳であっても、深く生きたということであれば、「長生き」と言えるのでは
ないでしょうか・・・