さてさて、公立小中学校的には、三学期はすでにスタート。
ウチの息子と娘ともにルーキーイヤー(つまり一年生)の最終コーナーってところですがね、
この一年、子供たちの学校生活を見ていると、
娘の小学校はともかく、息子の中学校の管理教育が結構すごくて、
これって、2006年に第一次安倍ちゃん政権で教育基本法を変えたからかしらん、とも思ってしまうんだが、
本当のところ、どうなのか。
違うのか。
ただ都会から外れた「ザ・イナカ」だからそうなのか。
確かに昔から管理教育で有名だった中学ですけど、
ウチの姉キは息子と同じ中学校の出身でね、そん時は凄かった。
でも、ここ数年はそんな話をとんと聞いてなかったわけ。
ちなみに私の親は、姉キで痛い目にあって、
私を地区外の中学に越境入学させたぐらいなんですな。
ま、もっともあっしが私立中学受験失敗したのも原因ていえばそうなんですが。
ま、私の話はいいとして。
兎に角、息子の学校は、部活やらイベントの練習中心でとても、
お勉強を中心にしているとは思えないですな。
息子から学校生活のこまごました話を聞くたびに、「えーっ!?」と驚いてしまう私。
何事も管理、管理、全体で……というカンジ。
個性、個性と言う割にやっていることは全体、全体、皆で一緒に、カンジとも。
ちなみに私の通った公立中学校はあくまで勉強優先の学校。
クラス全体で、とか、皆一緒に、なんて、教師から強要された記憶なぞ、
一切なし。
部活なんてのも週に3日だったし、運動会や卒業式等のイベントの練習なんてのも大体一日かそこらしかやらないし、
あくまで学習中心で塾や予備校に通っていない生徒は、担任から行くように指導された記憶もある。
そんな私の中学メモリーから見ると、同じ公立の中学でも息子の学校は様々な問題があるかと思う。
例えば、学校が忙しくて勉強時間が中々とれないのだ。
ちなみに息子は塾等には全く通わせていない。
これは、私が小中学校に時に学習塾や家庭教師「漬け」にされた反動で、
いや反動ではないな、つまり学習塾や家庭教師の「弊害」をよく知っているためで、
息子のタイプには向いてないだけでなく、全く「無駄」だから行かせていないのだ。
そして塾に行かなくともある程度は家でできるという確信があっての「決定」である。
実際息子の成績は傍から見れば、悪くない。
その成績なら満足する生徒も多いかもしれない。
しかし、親としては、高校受験に内申書があるゆえ、
「取れるものはもっと取ってほしい」という願望(=欲)がある。
つまり、もっと上位を目指してほしい、と。
ところが、この「学校の忙しさ」なのだ。それは簡単ではない。
「逆転のデザイン」からして難しいのだ。
上位の者と下位の者、力の差のあるものが、同じ時間努力したって、
「逆転」は望めないだろう。
下位の者は、上位の者より「長時間」努力して初めて、
追いついたり、抜かせたりするというのが基本である筈。
時間は誰にも公平に一日24時間しかない。
それなのに、学校が忙しすぎて、「逆転の為の時間」が取れないのだ。
ウチの息子はまだいいかもしれない。
この忙しい学校生活の中、息子の友人など、学習塾に通って、
「さらに成績を落として」いるものもあるという。
笑えない話だが、十分にあり得る話である。
私の経験からだって「学習塾の効果がなかった」学生は何人も知ってる位だし。
学校の狙いはよくわかる。
部活等で学校外の時間を縛る事で、
生徒の不良化もしくは、それに準ずる弊害を防ぐ狙いと見る。
それは学校運営の方法論としてはある意味「正解」だろう。
組織や集団の運営は常に平均化した全体をとらえて考えるからだ。
しかし、学校教育の方法論としてはどうか。
議論の余地がたくさんあると思う。
教育は集団ではなく、個を育てる為のものだ、というのが民主主義の教育と思えるからだ。
そして集団をあるカラーに育てるのは、どんな美名の下に行っても全体主義にならなざるえないだろうから。
世はグローバル世界。
グローバルな人材を確保せんと、政治家たちは教育にあれこれ口を出しているのがマスコミで散見されている。
ま、政治家の教育介入なんてのは、大抵がピンボケしてますがね。
だが、もしその「介入」の結果がこの「管理教育強化」なら、何だかもう、としかいいようがない。
振り返れば、私が子供の頃にマスコミなどで度々問題視されていた、
一人の0点も許さず、一人の100点も特に望まず、
「全員が60点をとるための教育」が全ての、あの時代の公教育。
それがまだ解消されていないのか。
それとも、もしかまたそこに「戻って行ってる」のかとか?
わからんですたい。
ま、教育に限らず、
本当に最近この国の事は本当にわからんことばかりですたい。
ではでは。