さてさて、前回は、「教育のプロ」について愚痴ってばかりでなんとも。
「いい先生」はいねえのか、と子を持つ親としては、いつも気に病んでいるんですがね、
娘の先生にいるんですね、素晴らしい先生が。
といっても、学校の先生じゃなくて、「ピアノの先生」。
ピアノの先生と言うと、実は私も小学生の時少しばかりピアのを習っていましたが、
その時の先生が超サ・イ・ア・クな先生でヒドイかった……。
人生振り返ってみて、色々な先生に会ってきましたが、当時どんな悪い先生でも、大人になって 「思い返して」みると、「悪いと思えた事」もなぜ彼ら彼女がそうだったのか、まあ、理解できる部分があるものなんだが、
このピアノ先生だけは、未だにとういうかこの先も永遠に理解できないだろうと思う位の御ヒト。
兎に角、できなきゃ、すぐ恫喝、そして殴るという御カタ。
小学校の頃結構な悪ガキで多少の事にはめげなかった私も、さすがに訳のわからない事(=ピアノが弾けない)で殴られるのは、あまりに辛すぎて親に頼みこんで辞めたほど。
おいおい、そんな暴力ピアノ教師、普通子供が直訴する前に親が辞めさすだろうとお思いでしょうが、
ウチの親ッつうのが、スパルタ教育を好むタイプだったのと、姉達二人も習っていた関係上、親から、っつうのはウチの場合期待できんかったんスよ。
それで私の小学生の時の音楽嫌いは、まさしくこのピアノ教師が原因だったと断言できる。
その後、高校からギターを弾き出して、大学から自己流でピアノを弾き出し、音楽に漬かっていくにつれ、ちょくちょく思い出すんですわ、その先生を。
特にピアノを弾く時は。
何故かと言えば、私のピアノはローテクもローテク。コードバッキングで自分の好きなビートルズやローリングストーンズ、またはオールディーズの名曲を下手な歌と合わせて弾くのが、私のピアノ。で、彼女に一番げんこつで殴られた時というのが、「和音=コード」の課題があった日だったわけ。
小学生だったあの時、和音の意味もわからず、失敗すれば、殴られる恐怖で、その恐怖がさらに「指と頭をちぢこませ」て、当然のごとく失敗の連続。そして失敗の度にげんこつが降ってきて、何発も何発も……。
「ホント、ふざけた先生だったなー」ってね。
音楽ってやっぱ楽しくなきゃいけないと思う。
でも、ピアノに限らず楽器はスキルが必要。スキルを身につける為には努力が必須となる。
だからと言って、「楽しくない努力」を続けられるかって言えば、それは違うだろうと。
「楽しくない努力」の行く末なんて、きっと「楽しくない結果」になるに違いないというのが、私がこのピアノ教師から学んだ点なんだな。
結果とは、途中で止めた私の事ではない。その教師から学んで音大に進んだ私の姉達の話。
一人はピアノ科で一人は声楽家。どっちも今では各々自宅で「音楽教室」をやっていて、結構ピアノ、声楽、コーラスその他で手広くやっている。
生徒さん達もそれなりにいるようだ。
だけど、私から「彼女達の音楽」は全くつまらないのだ。
どこがって、自分達の「知らない」、「興味ない」音楽は、音楽に非ずという姿勢が、とってもつまらないのだ。
クラシックを学校で習った全ての人がそうだとは言わないし、実際そうじゃないだろうが、兎に角、姉達だけでなく、姉達の周囲にいる音大関係の人達も例外なく同じようなカンジで……。
大体がまずロックとかポップスとかをよく知らないのに「低く」見ている傾向があるのと、
驚く事なかれ、「クラシックすら」よく知らない人も多いのだ。
そりゃと当然素人よりは知ってるけど、市井のクラシックファンと比べるとかなり危うい人が多いと思う。要するに、音楽が学校の勉強なんだね、だから上っ面の知識の披露は得意なんだな。
だから、「音楽の造詣」という意味合いではかなり怪しいんだ、これが。
加えて、皆、異様なぐらいプライドが高い……これもまた理解に苦しむところ。
勿論彼女らにだって言い分はあるかもしれない。
私みたいにきちんとした音楽教育も受けず、ただ、ポール・マッカートニーがピアノ弾いてるのがとても格好いいので、コード崩しででかい声を張り上げて下手な歌を歌い、楽譜も読めないくせにギターを弾き、そして楽典も判らない癖に作曲して、バンドで演奏し、デモテープをつくる……(ちなみにそのデモテープは何度も審査に落ちて現在の「いつまでも素人の」アラ50&デブに至ってるわけだ)。
そんな「音楽のチンピラ素人」に偉そうに講釈垂れられたくないと。
でも、本当に私のように楽譜も読めない、書けないのが、「素人」で、音大を出たものが「プロ」なら、やっぱプロは素人を説得できてナンボではないかとも思う。
実は姉達と私のオリジナルを昔何度か演った事があるんだけど、それは家での遊びでもあったし、結婚式の余興なんかでもあった。
まず、ピアノ科出身の姉は、私が渡すコードと譜割りしか書いていない楽譜はまるでダメで、「これじゃ演奏できない」と弾き返すし、声楽科出身の姉の方は、少しはポップスを知っているので、コードは多少大丈夫でも演奏がまるでイケてない。
「そうじゃない。もっとブルースピアノっぽく弾いてよ」と言って、レコードを聴かせてもダメなのだ。固定観念からくる拒否感からか、ロックやブルースから学ぼうって気がゼロなんだな。
そんなわけだから、ピアノとギターだけでもちっとはマシな演奏にしようとこっちがいくら考えても全然マシにならない。
音大出てんだからさ、ビリー・ジョエルの「ピアノマン」並みのプレイをしてくれよ、と心の中で嘆いている私を尻目に、彼女達は平然と得意顔。
正に「オマエのヘボなポップソングをまともな楽譜もないのに弾いてやっている」という顔なんだな。
そんなのこっちから言わせて貰えば、全くお話にならない話だ。
だって音楽なんだぜ、音楽。
「音楽っつーやつは演ってるやつがハッピーだから、聞く方もハッピーなんじゃないかようっ」、とポケットに両手突っ込んでフテクサレたい気分に何度もさせてくれたぜ、彼女はよ、ふんっ。
ま、俺との事はいいとしてもよ……(斜に構えて矢吹丈風に)。
最近はとんと行かなくなったが、姉達の発表会もつまらない。
勿論上手い子も中にはいるけど、大抵が楽譜をなぞってばかりいる子ばっか。
音符を外さないように、自分勝手にリズムを緩めたり早めたり……。
おいおい、それじゃ音楽じゃねえってーの。
音楽っつーのは、多少ミスプレイがあってもリズムを外さず演りきるもんなんだよ、と文句の一つも言いたくなるような演奏ばっか。
また子供にピアノを習わせている親御さん達の大半もそれで納得してるわけ。
ま、実際は発表会だけ切り取って評価したら身もふたもないんだけどね。
子供達のの本番のデキまで先生に責任を負わせるのはコクな話でもある。
でも、そこにピアノ教師の指導が透けて見える場合はちと違う。
音符を拾う事のミスはなくても、モタモタヨタヨタの演奏をした子供に最高の賛辞を送る姉達を見てると、どうかなあ、ってホント思うんだな。
姉達は音大・音校の受験生達も指導しているんだが、そこはそれなりに経験とスキルがあるのだろうが、受験生達もそれなりの覚悟を技術があるから、学問としてではなく、基本的な音楽的な意味では、すでに姉達から習う必要などはない筈である。
問題は、初めてピアノと音楽に接する子供の場合である。
果たして姉達みたいな、「音大至上主義の音楽の先生」の下でピアノを習わせて、音楽的な子供が育つかどうかである。
別に姉達の批判をするために本稿を書いているわけではないが、姉達のようなピアノの先生をリアルに知っているだけに、
娘がピアノを習いたいと言った時には、先生の選択について色々悩んだ次第。
しかし、実際に「良い」ピアノの先生を見つけようとするのは、そんなに簡単な作業ではないんですな。
ネットやHPだけではとても判断しきれないし、自宅から通える範囲となると益々選択の余地がなくなる。
私があれこれ迷って決めかねていると、妻がある日簡単に決めてきた。
長男の友達のお母さんからの紹介で、行ってみるというのだ。
ま、取り敢えずという事であんまり期待しないで娘を行かせると、
なんと「大当たり」の先生だった。
こりゃ、娘の運か、妻の運かよく判らないけど、取り敢えず、私の運でない事は間違いない。というか、私が選んだら、トンデモを引いていたかもしれず、そこが何ともラッキーか(何だか哀しいけど)。
その先生がどういいのか、と言うと……、
おっとまた駄文が長くなりました。
お次は次回に。ではでは、
最後に今日の一枚。
