今、うさぎのゴマ団子と暮らしています。
生後10ヶ月半のネザーランドドワーフ。
ペットショップで出会いました。
うさぎと暮らすのはこれが生まれて初めて。
この子を迎える前は、2匹の猫とそれぞれ暮らした。どの子も保護猫。
捨てられていたのをそのまま家の家族として迎え入れ。
私の当時の独断に、命の大切さを厳しくときながらも、大きな大きな協力を惜しまなかった家族には感謝しかありません。
今は天国へ旅立ってしまった2匹の猫にも本当に素晴らしい思い出しか残っていません。
2020年の7月。13歳で亡くなった我が家の女王。
本当に打ちのめされるほど喪失感がひどく(もちろん最初の猫の時も同じようにロスが激しかったのだが、年下のこの子の存在のおかげで非常に救われたのだった)、なぜ自分よりも先に死んでしまう動物と暮らすのだろう、辛いだけなのになぜなのだろうと考えたり、それすら考えに及ばず、大切な存在を失ってしまったと言う喪失感にばかりとらわれていました。
そんな時に、私の大切な友人の相棒である13歳の犬が大きな病気をしました。
とても元気な子だったのに、みるみるうちに大きな腫瘍ができてしまいました。
家族ぐるみで仲良くさせていただいていたので、何度も一緒にご家族とその子と一緒に病院にもいかせていただきました。
何ヶ月もみんなで泣いたり笑ったりして、あの子と共にありました。
そしてあの子は、がんばってがんばって、たくさんのことを私たちに教えてくれて、静かに逝ってしまいました。
あの子のご家族にお葬式にも呼んでいただき、お花と生前の写真を持っていきました。
今でも凛々しくて可愛くてかっこよかった犬の中の犬!なあの子の顔が目に浮かびます。
立て続けに家の子、あの子がなくなりました。
私の家では、私以外の家族も本当に打ちのめされていました。
傷つきすぎてもう猫は一緒に生活できないと両親に話をされました。
私も、新しい子を迎えることで悲しみを覆せるとは全然思っていません。今でも少し情けないことに、頑張っていたあの子たちのことを思うとめちゃめちゃ苦しい気持ちになるのですが。
4月私は、うさぎを迎えれることを決意していました。
なぜうさぎなのか、あれほど悲しい思いをしたのになぜまた動物と暮らすことを選んでしまったのか。
全く理屈ではありませんでした。
ゴマとの出会いは、とても不思議で運命的で偶然でした。
ゴマは、私がショップに問い合わせた時点で、生後5ヶ月。もう子うさぎとは言えない月齢です。
しかもネザーランドドワーフと言う小型のウサギにもかかわらず体が大き過ぎていつまでたっても引き取り手が見つからないため、金額が半額になっているとの事。
電話でそれを聞いたときに、もうこれは偶然でしかないのですが、この子と一緒に暮らすんだろうなと言うことが想像できていました。
その時は、保護うさぎさんの情報なども全く知らず、なぜか直感でホームセンターが運営している小さなペットショップに問い合わせたのです。
そこにいたのが、ゴマでした。
私は今も怯えています。
この子よりも長生きしなくちゃいけないんだけれども、この子を失うことが本当に怖いんです。
ただ元気に元気に当たり前のようにそこにいてくれた存在が消えてしまうのは、言葉もなくいなくなってしまうのは、それは残された時どうやってその気持ちを消化していけばいいのかいまだにわからないのです。
電話口で半額だと言われたゴマ。
ネザーランドドワーフなのに2キロ近くになろうとしてるゴマ。
まだ私にはその力は無いのですが、いずれ保護動物を微力ながら支援できればと思っています。
うさぎの寿命は7年から10年と言うけれど、近年、おうちで飼っている場合はどんどん寿命が伸びてそうですね。
ゴマ、楽しくゆっくり一緒にやろうね。
君のトイレを掃除しているとき私は幸せだ。君が健康だということがよくわかるから。
めんどくさいけれどとても幸せだ。
めんどくさい位元気だからだ。
私たちは偶然出会って、偶然一緒にここにいるだけのパートナーだ。偶然ほど強い絆はない。偶然こそ運命だね。
ショップのケージの中で、こうさぎでもないし小さくないから誰にも見向きもされなかった君は、私の姪っ子と私にこの子しかいないと言うふうに勝手に一目惚れされたんだね笑。
それから私の方では思春期の君にがぶがぶ噛まれたんだよ!!
すべての偶然に幸あれ。すべての偶然に思いやりあれ。すべての偶然に謙虚な気持ちあれ。すべての偶然に感謝あれ!