4年間続けたバイトも、ついに残すところ、あと1日
今日で会うのが最後の人もいて、なんか名残惜しい気もした
さて、今日はバイト後に池袋西口に、飲みに
2年前に異動となった方等、3人で飲み
久しぶりに会ったが、全然変わっていなくて、安心した
社会人って、なんか大変そうだけど、、、、それだけじゃないような気がした
しかも奢ってもらった
ごちそうさまでした
先輩期間が長く、最近、奢られる機会が無かったから、新鮮だった
後輩君たちも、こういう場面で、いい意味での緊張感を味わっているのだろう
そんなわけで、明日は時間があるのですが、、、
今日はこの辺で寝るということで
生きている人はみんな、何かしらの悩みを抱えているのだと、改めて感じた
俺もいろいろ悩みはするんだけど、まあ、大抵の事は1日寝れば忘れてしまうか、どーでもよくなる
たまに引きずるけど、結局3日くらいでどーでもよくなる
かといって、決して楽観的っていうわけではなく、、、、
要は真剣に悩んで一日で自己解決、しゅーりょー
ってなるわけ。
遊んだり音楽聴けば、一時的には忘れるけど、解決していなければ、いつまでも眼前をモヤモヤとしているわけで・・・・
ゴマカシは効かないんだよ、こういう問題はね
真剣に考えて、自分なりの答えを見つけていくのが一番なんだよ
その答えが、正しかろうが間違っていようが、そんなのはどーでもいいわけで、、、
要は真剣に考えて答えを見つけることなんだよ
勘で答えを書いたらダメ
ヘボだからね
みんなも、ヘボにならないように頑張ろう
じゃ
今、トーマス・マンの「魔の山」を読んでるんだけど、、、、
何か、今まで思っていたことが覆された気がするよ
時間感覚の話なんだけど
まあ、そんなに読んでないからイマイチ理解していないところがあるけど、要は、、、
単調作業をしていると時間が長く感じるけど、
遊んだり、楽しいことをしていると、時間はあっという間に過ぎてしまうっていう、
「まあそうだろうな・・・」
的な感覚。
実はこれは反対で、、、、
瞬間瞬間で考えると、上に書いたことは間違っていないけど、莫大な時間を考えているとすると、、、、
「単調作業っていうのは、時間を異常に収縮する」
らしい
俺的な解釈では、、、
(分かりにくいかもしれないから、飽きたら飛ばしてね)
例えば、「突っ立って何もしないでいる退屈な24時間」と、「勉強に集中して、気がついたら24時間経っていた」のとでは違う。
突っ立っていた24時間を一瞬一瞬に分けて、全シーンの写真を撮り、一枚一枚を見てみると、それはすべて同じ光景であり、立ち位置は変わろうとも、突っ立っていることが最終目的となっている。
結局、写真をゴチャ混ぜにしてしまえば、どれが最初のシーンかなんて分からなくなる。
ってことで、24時間分を縦に山積みにしてしまうことが出来るから(圧縮するっていう意味ね)、結局、横方向には、写真一枚分しか広がらない。
つまり、時間の収縮。
でも、勉強に集中している時は、最終目的が知識の向上であるから、一瞬一瞬の写真全てに違う脳が写し出される。
つまり、、、、山積みには出来ず、時間を追って、一枚一枚写真を広げていくしかない。
上の二つを比べてみると、違いは一目瞭然。
例えば、写真を1時間ごとに24枚撮ったとして、容量24時間の時系列グラフを2つ(「突っ立って24時間経ったグラフ」と「気づいたら24時間経っていたグラフ」)作るとする。
0から24に向かって、2つ同時にスタートし、グラフ上を進んでみると、、、
勉強している方は、1進むと1時間が経過するが、、、、
突っ立っている方は、1進んだだけで24時間が経過してしまう。(1時間の幅しかない写真の上に、24時間分重ねて積んであるから)
つまり、、、、「気づいたら24時間経っていたグラフ」の大きさは、「突っ立って24時間経ったグラフ」の24倍にもなる。
でもフツーは、単調作業の方が時間が長く感じる。
というのは、感覚の麻痺が発生しているのであって・・・・・
ってことで、単調作業が長引けば長引くほど、時間感覚がおかしくなっていき、、、、、、、
という、何とも分かりにくくて申し訳ない文章
とりあえず、ちゃんと理解したら、また書きます
じゃ、明日早番だから寝るだ