定期的にやってくるテストと共にわたしのメンタルは脆くなっていきます。なんでおっきな世界のちっぽけな東京の大学生活にあくせくして生きているのだろう。みんなそれを自然にこなせていてすごいと尊敬してしまう。本当に生きている範囲は世界のほんの一部になるかならないかの規模なのに、失恋やテストでボロボロになってしまう私は情けないな。絡まっているたくさんの柵から逃れられず、東京に逃げてはきたものの変わらないのは結局これまでの拠点から1時間しか距離的に離れていないからではないかと思う。どうせならもっと遠くへと逃亡するべきたった。
 失恋に関しては約一か月前にはうまく言葉にできなかった感情たちも随分と整理されて、記憶は薄くなった分気持ちも楽になれてきている。ふとしたときに思い出されたり、物を見て思い出したりしてしまうけれどそれは自然なことなのかと思う。恋するのも愛するのもそんなに時間のかかることではないけれど、一度生じたであろう恋愛を消化していくには一生かかるのかもしれないとしみじみ思うのである。日増しに薄れていく中学生の時の無邪気な恋心を久しぶりに感じた分、この恋は無理して忘れずにいてもいいと思う。結局一緒にいた期間の私は常にナーバスで、いわゆる”重い”人だと感じさせてしまったところは申し訳なく思う。私なりに今までの恋愛観を否定された上での軽さをなくそうとしたら、忙しくなりつつあった彼には負担でしかなくなってしまったのだろう。タイミングが悪かった、元カノと付き合ったまま受験期を越えてその後付き合えばよかったかななんてせこいことを最後になってまで言えるのはどうしてなのだかわからないしわからなくていいと思うが。
 結局エゴの塊で、それをぶつけ合っていくのが恋愛なのだろうか。貞操観念がうんぬん、キャリアがどうこう、身長がなど付き合う相手にいろいろと型を求めているがそれは結局すべて自分のためでしかない。見た目なんて見ない、性格を選ぶというのも結局何かしらの理由をつけてはいるが自分のためなのだろう。そういうことを理屈で考えることは私にはできない、押し付けられても質問されても実に面倒である。私の中での”中学生の恋愛”のような恋心にそれらは特に関係なく直感こそすべてであるから。しかし直感を信じるのも良いが、これからは時間をかけて相手を見極めようと思う。そして理屈っぽいと自称する人は心底苦手だと学んだだけでも成長としよう。
 最後にこれからの希望的展開をまとめておこう。夏に入る前、親に海外でも好きなところに一年くらいは行っても良いと言われていた。夏の終わりに彼に会ってからそれは無理と言われ忘れていたが、卒業してから一年以上海外に行って英語というコンプレックスを打破し、ついでにうんざりしている今の周囲をすべて一度捨てようと考えている。場所はオーストラリアが適しているように思われる。諸外国は語学学校に学生ビザで滞在した場合に稼げる額が少ないが、オーストラリアでは生活費は十分に稼げる。なぜワーホリがオーストラリアをメインにしているのかと疑問だったが解決した。ほんとの一人になって、人間として、日本人として遠い異国の地ではどうなるのかとても楽しみである。親は忘れているだろうけど、私はひそかに働きまくってお金を貯めている。2年遅れにはなってしまうが、その後にローを受験するか公務員を受けようと思う。多分ローになるだろう。Sには言っておいたが他には誰にも言っていない。言うのも面倒くさいからさっさと消えてみようと思う。いちいち連絡するのもかったるいしちゃんと卒業してから言えばいいやと。

完全に自信喪失な最近。何もかも上手くいかない。なぜだーって嘆く姿勢でイライラしてしまう。すべての悪の根源である恋愛については考えないことが良き対処だと思うが、それによって失われた自信はどう取り戻したらよいのだろう。
恋愛によって失われた自信は、人として若しくは女としての自信なのだと思う。それを取り戻すためにはやはり自分をちやほやしてくれる人か大切にしてくれる人が必要だ。前者はただのつなぎでたくさんいるかもしれないが、後者はなかなかに見つからないだろう。しかし今の状況において前者ですら私には必要なのかと思う。
その他の自信についてもそうだが、努力することも取り戻す手段となるだろう。真剣に向き合っていなければ努力もできない。努力していれば、後悔もないだろう。しかしここでいう努力とは完全燃焼することに近い意味での努力であり、無闇に頑張るといった類の行動は含まない。
最後に自信を失うときとは、信じていた何かをなくしたときなのではないか。そしてそれが強い支えであったときほど、受けるダメージも大きなものとなる。例えば1番得意だと思っていた科目のテストが1番点数が悪かったときなど。その考えから私は今回、簡単に信じたりしなければ失うこともないという仮説に至った。聞こえは悪いが自己防衛手段としては最強だとも思う。誰が何を言っていようと信じたりしなければ、それは自分の中で支えになったりせず失うと思うこともない。だから自身にとって大切な人というのも、時間をかけて見つけていくべきなのかと感じた。何も信じない状況を続けそれでも相手に誠実さを見出せるように変化していく期間を経て、私は本当に無駄なことでは傷つけ合わない恋愛ができるのではないかと思う。


iPhoneからの投稿
 季節のように僕は変わらないんだよーなんてfall out boyは歌っていたけれど、私の周りなんて下手したら季節より早くめまぐるしく人が変わったりしていた。夏が終わり秋学期も半ばとなってきた10月、そろそろ紅葉の季節で服装はより一層ダークカラーになっていく。変化ばかりが目につく日々で、変わらないものはなんでしょうと思ってしまう。とりあえず毎日前向きにことを考えようとしているもののぐさりと突き刺さるようなことばかりで、一言幸せとただ言い切れる状況にはありません。
 彼が遠くに行ってしまってもその選択はわたしもするだろう当然のことだと思えたとき、私たちをつなぐものは何かという疑問に出会いました。何がよくて何がよくないのかは誰かに指図されたところで心から受け入れることはできないので、何も言わずにただ聞いて欲しいだけなのだが。一緒に時を過ごせたらそれは幸せ、一緒に居られなかったらそれは時間を無駄にしていくことなんだよって簡単に言うことのできる人はいるのだろうか。そして今後彼がどこに行くのか定まらない中、私自身もどこに行こうかと決断する時期がやって来た。もちろん一番いい所に行きたいのだが、それと同じくらいに直感的に何かを感じる場所に行くべきなのかと思って調べてみた。都内私立の2校に加えて都内国立、地方国立それぞれに1校ずついいなと思う所ができた。こういうときの決断に対して後悔することは絶対にないので、たとえ彼がどうなったとしても私はこの4校しか受験しないだろう。それだけでも12万以上受験にかかるのだ。そしてその中のひとつだけ彼と志望が一緒なので、もしも彼がそこに受かったらそのときは他のどれに受かってもそこに行く。だけど彼がそこ以外なら私はついてはいかない。このことは彼にはあと2か月するまで絶対に言わない。離れることになっても、その時はその時で私は上を目指そう。
 最近いいなと思いつつ、共感しつつもなかなか実践できないことを歌っているのが「stereo love」。



I hate to see you cry
your smile is a beautiful lie
I hate to see you cry
my love is dying inside...

I can fix all those lies
baby I run, but I'm running to you
you won't see me crry
I'm hiding inside
my heart is in pain but I'm smiling for you
I'll try to make the things right
I need you more than air when I'm not with you
please don't ask me why, just kiss me this time
My only dream is about you and I