8/10 実のばーちゃんが亡くなりました。
義祖母が亡くなってから9日たってのこと。
88歳やったんかな。
施設で亡くなりました。
時々ブログでも書いてた、認知症の。
子どもの頃一番世話になったおばーちゃんです。
もう最期は一年ぐらい意思疎通出来てるんか出来てないんか、わからんくらい。
ずっと寝たきり 目をたまにパチパチひらくぐらい。
ガリガリやったな。
奈良の長男のところで同居できると思ってたのに、最後の最後まで声掛けてもらえず、かわいそうやったな。
奈良の長男の孫よりも、こっちにいた私たちきょうだいの方が断然関わりが深かったのに、私たちのことは忘れても、奈良の孫のことは忘れなかったおばーちゃんw
薄情やなぁ〜。
そんなに奈良の長男一家が好きやったんか〜
私の名前は、おばあちゃんが付けてくれたとのことでした。
私は子どもの頃すごいおばあちゃんに世話になったし大好きやったけど、認知症になってからは人が変わったようになってしまって、イライラしてしまって、言うてもすぐ忘れるやろとばかりにひどい言葉をいっぱい浴びせました。
おばあちゃんあのときはごめん。って、心の中で今でも時々言ってる。
おばあちゃんが施設にいたときに、帰りたい帰りたいて言ってた、青い屋根の家も、もう取り壊されてなくなりました。
あの家はおじーちゃんとおばーちゃんとの思い出いっぱいやったな。ついこの前のことのよう。
夏休みの図画工作系はこの青い屋根の家でってのがお決まりで
じいちゃんが教育委員会で小学校の夏休みの絵の審査員?みたいのしてたから、
ポスター描いて、よく入選してたのは、裏でおじいちゃんが私に一票いれてくれてたのでw
木工工作も手伝って貰ったり。
それで宇宙の惑星たくさん並べて、いろんな国の人がそこを飛んでて、、ってポスター描いたときに、惑星に目を私が描いたら、おじいちゃんがこれは消した方がいい。って消して、それを私が悲しくてシクシク泣いてたら、おばあちゃんがおじいちゃんに 目描きたいみたいやで勝手に変えんといたりーなぁ って私の気持ちを言うてくれたな😂
おじいちゃんが亡くなってからも
口を開けばおじいちゃんの悪口と戦争の話。いっつも聞いててもうええわ!と思ってたけど、だんだん喋れんようになってからはいつものおじいちゃんの悪口と、戦争の話、してくれな寂しいやん、
してよ!!と催促してた、けどもう話せんかったなぁ。
社会人になってからは、おばあちゃんちいって、もみじやののっぺいうどん食べるのが好きやった。
としひろも、連れていったことある。
黒電話掛けてキレイな声で
阿原ですぅ。おおきにすんまへんなぁ。
のっぺい2つお願いできますやろか。
いうて。
認知症になってからはなんて言って良いか分からず注文もお金もスムーズにはできんかったけど、
またおばあちゃんの頼んでくれたのっぺい食べたいなぁ。
おばあちゃんが亡くなる一年前ぐらいから、おばあちゃんにずっと耳元で言い続けてたことがある。
死んでからのお願いって言うか。
もし叶ったら、また書きにきます。
おばあちゃん、さいごの2年ぐらいは特にしんどかったね。
頭は混乱してたやろうし歩けないし
ご飯もドロドロで美味しくなかったやろう
よぅ頑張ったなぁ
さすが頑張り屋のおばあちゃん!!
天国ついたか?
ひとやすみしたら、私のお願い叶えにきてな?
おつかれさま。ほんまよぅがんばったな。
ありがとうね。