七つの習慣という本を読んだ。
人はそれぞれのパラダイム(物事の見方や考え方、捉え方)があり、
物事をあるがままに見ているようでも、それぞれのフィルターを
通して見ている、といったような内容が書かれていた。
例えば、電車内で行儀悪くわめき散らす我が子に何も注意しない父親。
通常のパラダイムだと、マナーを教えない、周りに配慮しない親子と見て
そのわめき方がうるさければ、人は怒りを覚えるだろう。
しかし、もしその子供の母、つまり父親の妻がたった今病院で亡くなり
その子供の叫びは悲しみをどう表現していいか分からないために
出ているものだとしたら・・・。
さっきまでの怒りは消え、悲しみと同情に変わっていく。
例えばこれも、パラダイムシフトである。という話。
ビジネス的に、この本を読んでいたが、
私は小学生の子供たちと「ウノ」での遊んでいた時の事を思い出した。
ウノには自由にルールを決められるカードがあり、それを出した人は
みんな1回休み、とか自分でルールを決められる。
私の長女は、そのカードを使う時に「7枚取る」と言い出した。
それに私は少し怒った。
7枚はやり過ぎというパラダイムがあったのだ。
1回休みとか2枚取るとかならいいが・・・。
「やり過ぎルール」というと、彼女はカードを投げ出し
泣いてしまった。
そして、私は投げ出したことに、叱った。
しかし、叱っているときに、彼女は今まで見せたことの無いような
悲しい表情で、涙も鼻水も垂らしながら、
「おもちろくしようと思って言っただけやもん!」と必死に訴えた。
それでも私はその時、いい伏せてしまった。
そして、その事も忘れた数週間後、この7つの習慣を読んでいる時
彼女の悲しい表情と「おもちろくしようと思って・・」という言葉が
思い起こされた。
彼女には彼女のパラダイムがあり、私が正しいわけでも何でもない。
なのに、大人げない感情を、大人げあるような理屈で説得してしまったことを
謝りたくなったのだ。
その数日後、彼女に、謝った。
この一件の出来事のように、みんなそれぞれのパラダイムで
物事を見ていることに気づけば、自分自身の視野が広がる。
本では、幸せで充実した人生を手に入れたければ、今まで自分が持っていた
偏りのあるパラダイムとし、新しいパラダイムにシフトすることが
不可欠であると述べている。その新しいパラダイムとは、「人間社会の
普遍的な原則」を中心にしたパラダイム。
「公正さ」や「誠実」「正直」といった普遍的な原則に則ったパラダイムを持つことは、
より正確な地図で世界を見られるようになることを意味する。その地図は時代や国や文化を
超えて共通するものなので、どんな世界で生きていくことになったとしても、どんな場面に
直面にしたときでも通用するものだと。
偏らず、公正に、誠実に、正直に。
原理原則にそったパラダイムを持つことは、成功確率を高めるための技術のようだ。