新・日本国憲法が新たに制定され、象徴としての天皇制の存続とともに、議院内閣制から大統領制が制定されたのは、1年3カ月前の20X1年11月11日、季節はずれのその年最後の台風が記録された日で、日本は風雨に一日中さらされていた。
「大統領制度導入国民会議」という超党派の国会議員、都道府県知事、国家公務員、国民有志、学生運動家らから組織される団体の奉仕的献身的な活動は、大多数の国民の共感を得て、昭和憲法施行以後、初の憲法改正のための選挙が行われたのである。
その結果、反対する共産主義者と保守的な旧政治家らの主張を抑え、新・日本国憲法(通称:大統領憲法)が成立した。
その数日後、行われた国会議員総選挙の後、国民会議の政策理事をしていた藤堂昇(Todo Noboru)が初代大統領として就任することになった。
日本の大統領制は、二つの議院と政治的に独立した大統領府が存在し、議院には、実質上の政党には属さない直接民主制で選出された国会議員が努める。詳細は、別の段で説明することとしたい。
藤堂昇大統領の就任日、アメリカ・ロシア・中国・韓国・アジア周辺諸国をはじめとした世界各国から首相・外相レベルが招かれ、日本の新たな一歩を祝福する声が集まった。事務局を努める大統領府のスタッフの業務量は想像を超えるものだったが、新しい制度であったにもかかわらず、臨時に召集された各省庁からの実力ある有数スタッフにより、無事滞りなく形式を整えられたことは、各国からも賞賛されていた。
藤堂はその夜遅くに、スタッフ全員を大領領公邸に集め語っている。
「大統領制になっても日本人本来がもつ素晴らしさは変わりはしない。勤勉で謙虚で小事を大切にし大事を考える。ときに小さな悪事はあるにせよ、それは人間の弱さが引き起こしたものに過ぎない。日本人が生まれながらにもつ心は、きっと世界に平和をもたらすに違いない。我ら、この場に立つものは、そのことを忘れずに、この日本、世界を守っていこう。本日は、本当にお疲れ様でした。まだしばらくは混乱するとは思うが、不肖の大統領を助けていただきたい。よろしく頼む」
いささか頼りなく聞こえたかもしれないが、藤堂の発言はいつもこのように語られる。スタッフたちも当初は戸惑ったが、藤堂の人柄から出る言葉かどうか、見極めることができるようになっていた。
「大統領。一つだけお願いがあります」
集団の最前列にいた長身で細身の男・須貝道彦が一歩前に出て言った。
「なんだろう。遠慮なく言ってくれ」
藤堂は落ち着いて須貝を見つめ返した。
「睡眠時間は6時間以上、それだけは守ってください」
須貝の発言に、驚くこともなく、他のスタッフたちも大きく肯いている。
「わかった。好きな映画はなるべく時間の取れるときに観るとしよう」
藤堂の言葉に須貝は笑顔で返した。
こうして、日本国初代大統領就任の日は終わったのである。