仮説・日本国大統領の仕事
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2004-11-08 14:08:45

天皇の役割

テーマ:国政
旧日本国憲法では、天皇は象徴としての位置付けとともに、
国政では形だけの任命権が付与されていた。

新日本国憲法での天皇の役割は、政治的な役割は影は潜め、
文化歴史的な役割を担われるようになる。

つまり、世界遺産や重要文化財、国立公園、歴史的遺産、
文化功労者、伝統芸能、伝統芸術、古代遺跡、自然保護など、
日本国内における文化・歴史・自然の保護や学術的研究の支援に
特化した役割である。

これは、明らかに一つの権力といってよかった。

急進的な時代の流れの中では、これら古めかしい時代遅れの
遺物に価値を見出せない権力者が現れるものである。

企業の利己的な資本主義が横行することで、失われてきた
国家の歴史的・文化的財産は数多くある。

しかし、天皇がこれらの維持・保護をつとめられることで、
企業の身勝手な開発や自然破壊に歯止めが掛けられるようになったのである。

これは、新憲法制定時にもっともスムースに成立した条文でもあった。

天皇制を一つの日本特有の文化として保護したいという声は多くをしめ、
右翼団体からも特段の反対が無かったのである。

その他、国内に留まらず、海外でも同様の活動を皇族方は率先して行うようになった。

日本国のイメージ戦略と位置付ける辛口の評論家もいたが、
とくに反対する理由は見当たらなかったのである。
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2004-11-04 03:44:08

大臣制度

テーマ:国政
大統領制を敷いた現日本国では、省庁をはじめ、国務大臣の任命まで大きな改革が行われている。

新日本国憲法

 第102条 国務に関する省庁については次のとおりとする。
  1.国務に関する省庁は大統領がその設置・改廃を起案し、国会がこれを承認する。
  2.各省庁の大臣は、大統領府にてしかるべき業務を執り行い、大統領と協力し、国民に対し、誠実にこれを運営する。
  3.各省庁は、国内のしかるべき場所に設置し、副大臣が大臣に代わり、これを運営する。


すなわち、各省庁の代表である大臣は、大臣と副大臣の2名が任命され、大臣は、大統領府に在籍、副大臣は、各省庁にて代表的な運営事務を行うということである。

また、注目すべきは、各省庁を「国内のしかるべき場所に設置」していることである。以前は各省庁が国会の周囲に配置されていたが、これを地方に移動させたのである。これが、世に言う「大統領の大移動の布告」である。

現在の各省庁の場所は次のとおりである。

 大統領府:東京都
 経済産業省:大阪市(大阪府)
 財 務 省:名古屋市(愛知県)
 総 務 省:札幌市(北海道)
 農林水産省:仙台市(宮城県)
 厚生労働省:福岡市(福岡県)
 国土交通省:静岡市(静岡県)
 文 部 省:富山市(富山県)
 環 境 省:広島市(広島県)
 外 務 省:横浜市(神奈川県)
 法 務 省:徳島市(徳島県)
 救 済 庁:静岡市(静岡県)
 先端技術庁:長野市(長野県)
 観 光 庁:那覇市(沖縄県)

2004-11-03 00:57:40

プロ野球の新規参入について

テーマ:橘記者のリポート
このほど、プロ野球セ・パ12球団に、新たに2球団の参入が認められました。

この件について、藤堂大統領は、次のように感想を述べました。

 「かつて12球団が11球団になり、プロ野球選手会をはじめ、世論が反対の意思を表明し、結局、1球団が新規参入となり、プロ野球界が新たな門出を迎えた。当時は、それ以上の球団増加は望めなかった雰囲気だったが、今では、当時の球団のうち、3球団は入れ替わり、今回、新たに2球団の参入。時代は変わる、時代を動かす者も変わる、世はすべて無常である、ということだろう」

以下は、オフレコとして、橘記者の記録に残されている。

 藤堂大統領(20X4年11月3日)

 「プロ野球のオーナーたちの意識と野球を支えるファンの思いに大きなズレがあれば、プロ野球は存続しない。政治も同じではないか。我々は、民の意思によって国という形を残しているのであり、その国の運営を任されているのだ。なんと言う重責だろう。しかし、我々も民であることには変わりない。責務をまっとうする、与えられた役割を果たす、当たり前のことをするだけだ。貴方たち記者のみなさんも、自分の任務を忘れないようにすれば、きっといい記事を書けるはずだよ(笑)」
2004-11-02 05:50:41

初代日本国大統領就任の日

テーマ:所感
新・日本国憲法が新たに制定され、象徴としての天皇制の存続とともに、議院内閣制から大統領制が制定されたのは、1年3カ月前の20X1年11月11日、季節はずれのその年最後の台風が記録された日で、日本は風雨に一日中さらされていた。

「大統領制度導入国民会議」という超党派の国会議員、都道府県知事、国家公務員、国民有志、学生運動家らから組織される団体の奉仕的献身的な活動は、大多数の国民の共感を得て、昭和憲法施行以後、初の憲法改正のための選挙が行われたのである。

その結果、反対する共産主義者と保守的な旧政治家らの主張を抑え、新・日本国憲法(通称:大統領憲法)が成立した。

その数日後、行われた国会議員総選挙の後、国民会議の政策理事をしていた藤堂昇(Todo Noboru)が初代大統領として就任することになった。

日本の大統領制は、二つの議院と政治的に独立した大統領府が存在し、議院には、実質上の政党には属さない直接民主制で選出された国会議員が努める。詳細は、別の段で説明することとしたい。

藤堂昇大統領の就任日、アメリカ・ロシア・中国・韓国・アジア周辺諸国をはじめとした世界各国から首相・外相レベルが招かれ、日本の新たな一歩を祝福する声が集まった。事務局を努める大統領府のスタッフの業務量は想像を超えるものだったが、新しい制度であったにもかかわらず、臨時に召集された各省庁からの実力ある有数スタッフにより、無事滞りなく形式を整えられたことは、各国からも賞賛されていた。

藤堂はその夜遅くに、スタッフ全員を大領領公邸に集め語っている。

 「大統領制になっても日本人本来がもつ素晴らしさは変わりはしない。勤勉で謙虚で小事を大切にし大事を考える。ときに小さな悪事はあるにせよ、それは人間の弱さが引き起こしたものに過ぎない。日本人が生まれながらにもつ心は、きっと世界に平和をもたらすに違いない。我ら、この場に立つものは、そのことを忘れずに、この日本、世界を守っていこう。本日は、本当にお疲れ様でした。まだしばらくは混乱するとは思うが、不肖の大統領を助けていただきたい。よろしく頼む」

 いささか頼りなく聞こえたかもしれないが、藤堂の発言はいつもこのように語られる。スタッフたちも当初は戸惑ったが、藤堂の人柄から出る言葉かどうか、見極めることができるようになっていた。

「大統領。一つだけお願いがあります」

 集団の最前列にいた長身で細身の男・須貝道彦が一歩前に出て言った。

「なんだろう。遠慮なく言ってくれ」

 藤堂は落ち着いて須貝を見つめ返した。

「睡眠時間は6時間以上、それだけは守ってください」

 須貝の発言に、驚くこともなく、他のスタッフたちも大きく肯いている。

「わかった。好きな映画はなるべく時間の取れるときに観るとしよう」

 藤堂の言葉に須貝は笑顔で返した。

こうして、日本国初代大統領就任の日は終わったのである。