救出されたノラとラシアはすぐさま帝国大学の付属病院に収容された。世間を騒がせた事件だけあって、選別された医療チームが組織され、彼女たちの治療にあたった。スッセンが豪語したとおり彼女たちの外傷はきれいに治癒していたが、問題は精神的なダメージを受けたことによる失語症だった。さらには二人とも感情の動きが鈍く、深刻な記憶障害もあるようだった。医師がなにを聞いても、なにを促しても、いっこうに反応しなかった。彼女たちを拉致し、暴行したのは誰なのか。犯人は異常性欲者なのか、それとも何か目的があって犯行におよんだのか。その謎をノラとラシアの証言が解明してくれるはずだったのだが、彼女たちがその期待に応えることは当面ありそうにもなかった。
 それでも医療チームは、懸命な、できるかぎりの努力をした。さまざまな治療方法を検討し、実際に試み、効果があらわれるのを待った。しかし、彼女たちの状態はまったく改善されないまま十日が過ぎ、半月が過ぎ、やがて一ヶ月が過ぎた。さすがに医療チームにも焦りの色が浮かんだ。すでに治療方法は底をついていた。彼らは外科的な施術こそ得意だったが、心因性の病気はまったく不慣れだった。そもそも症例がわずかで、対処法も確立されてはいなかった。それで仕方なく家族の力を借りることにした。親子という血縁がノラとラシアの石化したような心に風穴を開けてくれることを期待したのだ。ラシアは家族の待つ家へ帰り、一人暮らしのノラは叔母夫婦が引き受けてくれることになった。二人の安全を確保するために警官と看護婦が配置された。もちろん彼女たちの帰宅が報道関係者に知らされることはなかった。
 
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 遅々として進まない展開に業を煮やしたのは捜査当局ばかりではなかった。年頃の娘をもつ帝都の親たちも、いまだに検挙されない犯人に不安を覚えていた。口にこそ出さなかったが、なんの役にも立たない警察や医療チームに怒りを覚えてもいた。彼らは自警団を作って娘たちの通学や通勤を見守った。娘たちもできるだけ単独行動を避け、日没以降の外出を控えるようになった。それは年頃という年齢をとっくに過ぎた女たちも同様だった。気がつけば、あれほど賑わっていた夜の繁華街から女の姿が消えていた。
 
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 その一方、ノラとラシアの拉致暴行事件をきっかけに、かつてないほどの盛りあがりをみせている人々もいた。この不謹慎な連中は、帝都に本部を置く犯罪推理協会という民間の団体で、名簿には正会員だけでおよそ二百人、準会員を含めると五百人近い人々の名前が記されていた。世間を騒がせ、いまだに未解決の拉致暴行事件は、彼らの探偵としての本能と自尊心を刺激した。気がつけば、ほとんどの会員がウバスキシャナに集まってきていた。それには理由があった。犯罪推理協会が推理コンテストの開催を発表したからだった。その案内状にはこう書かれていた。
 
帝都を騒がせた難事件を推理して、大金持ちになってみませんか?あなたの推理を原稿にして当協会に送ってください。そしてウバスキシャナナの会場で発表してください。その推理が事実と合致した場合には、びっくりするほど高額な賞金をさしあげます。

 推理コンテストの要項にノラとラシアの拉致暴行事件の文字はどこにもなかった。犯罪推理協会にも市民感情を配慮する程度の良識はあった。だが、なにも記されてはいなくても、帝都を騒がせた難事件がノラとラシアを襲った悲惨な事件を指しているのは明らかだった。それもそのはずで、敗戦直後の混乱期を除けば、ウバスキシャナナ全体を騒がせた事件などひとつもなかったからである。奴隷の小規模な反乱が発生したことはあったが、それは遠い植民地でのできごとにすぎず、帝都の人々にはまったく無縁な話だった。
 さらに、犯罪推理協会はこの推理コンテストを一般公開せず、会員限定の闇イベントとして企画していた。新聞はもちろん、協会の発行する広報紙にさえその記事を載せなかった。開催通知は会員だけに郵送された。それなのに、なぜか口コミで拡散し、いつのまにか帝都では知らない者がいないほど有名なイベントになってしまっていた。おかげで犯罪推理協会の知名度が急上昇し、そのあおりを受けた協会の職員たちはあわただしい毎日を送ることになった。ひっきりなしに届く問い合わせの手紙の山。この処理だけでもたいへんだというのに、はるばる遠方からやってきた会員に宿泊場所を世話したり、いきなり増えた来客の対応や会場への道案内、それから入会希望者への説明など、こまごまとした雑用に追われて、彼ら本来の仕事がまったくできなくなってしまうのだった。
 
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 ウバスキシャナナに集結した大勢の会員たちは犯罪推理協会が経営する秘密サロンで毎日を過ごした。入場料さえ払えば部外者も入ることができた。ただし、かならず注文しなければならない軽食と酒などの飲料代が会員と較べるとかなり高額だったので、その場で新規会員登録をしてしまう入場者もけっこう多かった。
 このサロンの売りはふたつあった。ひとつは、会員のそれぞれが勝手に推理した犯人像や事件の真相を壇上で披露し、探偵としての勘や才能や資質、さらには推理の筋立てを競いあうディベートだった。ノラとラシアの拉致暴行事件の情報量はきわめて少なかったが、会員たちはそれぞれにさまざまな物語を組み立てて、それらしい推論を発表した。よくできた推理もあり、そうでないものもあった。複雑な推理もあったし、単純な推理もあった。だが、壇上で弁舌を振う者は誰もが自信満々で、自説の紹介が終わったあとの公開討論では、白熱した言葉の応酬が繰り広げられた。つい度が過ぎて、つかみあいになったりもしたが、サロンに集う客にとってはそれもまた娯楽のひとつではあった。
 そして、もうひとつの売りが、犯罪推理協会の提供する高額な賞金と資産家のウッズが胴元となって売り出す賭け札だった。協会より授与される表彰状と賞金は推理を的中させた者だけが手にすることができる最高の栄誉だった。その額は大卒公務員の初任給のほぼ百倍に相当した。賞金が高額なだけにハードルも高く、的中の要件は、犯人の性別、年齢層、居住地、職業、学歴、犯罪歴、それからノラとラシアを拉致したときの方法、犯人の人数、犯行の目的など、多岐にわたっていた。このあと、犯人が検挙され、事件の概要がすべて判明したとき、上記の要件を最も多く的中させた者が優勝者となるわけだった。
 それにしても、ウッズが提示した優勝賞金の効果は絶大だった。協会本部やサロンに持ち込まれる推理の本数がいきなり増えた。会員ではない者からの投稿も相当数あった。だが、どんなに優れた推理だったとしても、かんじんの会費を払っていない以上、それらはすべて破棄される運命にあった。
 
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 ウッズと犯罪推理協会の幹部たちは選考会を開き、提出された原稿の内容を吟味したうえで、よくできていると思われる推理を五十本選び、番号をふり、一覧表にした。そして番号ごとの賭け札を大量に作った。賭け札の売上金は、主催者である犯罪推理協会の寺銭とウッズの取り分がそれぞれ一割で、それを差し引いた残りが的中した賭け札の配当金に充てられる仕組みになっていた。しかも、賭け札はサロンに集う会員だけではなく、一般市民にも販売されたので、賞金も配当金もますます高額になっていった。
 じつをいうと、ウッズには資産家といえるほどの財産はなかった。見栄をはって資産家を自称しているだけだった。たしかに一般人に較べれば富裕層に属するかもしれないが、それにしてもそれほどの差はなかった。ウッズは親の遺産を切り売りしながら生きてきた。いずれはすべてを食いつぶすことになるだろう。それはわかっていた。わかってはいたが、ウッズにはなにかを生み出すという能力に欠けていた。消費することしか知らなかった。
 そんなウッズの前に大金が積みあげられていた。賭け札が大量に売れたために、信じられないほどの紙幣が無造作に束ねられ、山積みになっているのだった。それを眺めるたびにウッズは売上金を持ち逃げしたいという欲求にかられた。この先ずっと遊んで暮らせるほどの大金だった。その誘惑は強烈で、彼はその妄想からなかな逃れられなかった。
 ところが、まったく間の悪いことに、ウッズが事務所で掛け金のことをあれこれ考えているときに、いきなり新聞社の突撃取材を受け、記者連中に取り囲まれた。矢継ぎ早に質問を浴びせられ、答えに窮することもあった。そのとき、どこかの新聞社の肉感的な美人記者が、もしも推理が的中した者がいなかったら、多額の掛け金はどうなるの、と甘酸っぱい、とろけるような声で聞いてきた。ねえ、教えて。掛け金はいったいどうなってしまうのかしら。気がつくと、女性記者の指がウッズの股間を撫でていた。彼女の吐息が耳をくすぐっていた。そのときウッズの心の留め金がはずれた。理性が溶けた。それまで張りめぐらせていた予防線も消えた。その無防備な脳味噌を美人記者の声がさらにかきまわした。ねえったら。ウッズさん。掛け金はいったいどうなってしまうの?ウッズの頭に充満した性的な息苦しさが、いきなり気圧をあげ、そして弾けた。彼は女性記者の手を握り、思わず答えていた。ぜったいに持ち逃げなんかするものか。あの掛け金は次の拉致暴行事件が起きるまで保管しておくんだよ。
 
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 なぜあんなことを口走ってしまったのか、ウッズはあとあとまで後悔することになった。彼の発言はさっそく翌日の朝刊に掲載されて市民の顰蹙と怒りを買った。小規模ながらデモも起きた。ウッズを糾弾するビラも撒かれた。殺してやると息巻く男が犯罪推理協会の本部に殴りこんできたり、彼の自宅に放火しようとして逮捕された女もいた。最悪だったのは、繁華街をとり仕切る有力者に睨まれ、つるし上げられ、強制的に売上金の配分方法を変えさせられたことだった。彼が受け取るはずだった一割の取り分は、その大半が繁華街への寄付金とノラとラシアへの見舞金に持っていかれることになった。大損をしたウッズはあの美人記者を恨んだ。裁判に訴えてやりたいと思った。だが、ウッズの怒りよりも、市民の敵意や反感のほうがさらに強かった。あいかわらずデモはあったし、彼を侮辱したビラも撒かれていた。ウッズは屈服した。しかたなく新聞に謝罪広告も載せた。ウバスキシャナナに多額の寄付をすると約束したりもした。だが、ウッズを騒ぎから救ってくれたのは、そんな一時しのぎの偽善ではなかった。帝都で起きた殺人事件だった。その、あまりに猟奇的な事件のおかげで、市民の関心はあっという間にウッズから逸れた。彼への誹謗や中傷も消えた。すっかり安心したウッズは多額の寄付金は冗談だったと笑いながら新聞記者に語った。その発言は朝刊に掲載されたが、その扱いは小さく、市民からの反応もまるでなかった。ついていた。ウッズは神に感謝した。ついでに願いも捧げた。あの女性記者に不運がついてまわりますように。なんなら殺してくださってもかまいません。
 
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 その殺人事件は世間を驚かせた。ウッズの騒ぎに続いて、またしても犯罪推理協会が関係していたからである。被害者は協会顧問のルソンドという元大学教授で、コマディ川のびっしりと繁った水草の下に沈んでいるところをウナギ釣りをしていた男によって発見された。遺体は全裸で、両耳が切り取られ、顔はぐしゃぐしゃに潰されていた。奇妙なことに背中と胸の皮膚がきれいに剥ぎとられていた。この薄気味悪い事件は世間をざわつかせた。ある評論家は、帝国海軍が敗れたという現実をいまだに受けとめきれない誰かが発作的に起こした犯行ではないか、と訳知り顔で発言した。新聞各社の論調も似たようなもので、敗戦が国民の精神を強く揺さぶり、変質者を生み出したのではないか、と書いた。さらに続けて、神聖帝国海軍は早急に整備を終え、外洋に漕ぎ出すべきである、などと主張したりもした。だが、多くのウバスキシャナナの人々は、犯人が敗戦の犠牲者であるかのような発言を繰り返す知識人連中とはちがって、この事件は敗戦とはなんの関係もない、ただの精神異常者による犯行だと見抜いていた。
 
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「あれはきみの配下の者の仕業ではないだろうね」秘密警察の長官室でスペルマンはフェリク警視に聞いた。「われわれの計画では犠牲者は女だけのはずだが」
「ルソンド名誉教授のことですか?」
「そうだ。まさかとは思うが、いちおう確かめさせてくれ」
「わたしではありません」とフェリクは強い口調で言った。「だいいち、あんな男を殺しても、なんの意味もありません」
「それならいい」スペルマンはため息をついた。「まったく反吐がでそうなくらいに陰惨な殺し方だった。あんな遺体を家族に見せたら卒倒するだけだ」
「変質者か、あるいは怨恨でしょうね」
「捜査班は怨恨の線で調べているようだ。まあ、犯人逮捕まで、それほど時間はかからないと思う。大学教授の交際範囲なんで狭小そのものだから」
「今度は繁華街から男の姿が消えるかもしれませんね」
「まったくだな」スペルマンは唇をかすかに歪めて笑った。「そろそろあの女たちに動いてもらいたかったのだが、ルソンド殺しで世間がざわついてしまっているし、衝撃度という観点からすると、もう少し先のほうがいいかな」
「そうですね。どうせすぐに静まりますよ」
 スペルマンとフェリクは無言で頷きながら、おたがいの網膜の裏側に映っているものを探るように、まっすぐに視線を合わせた。彼らの脳裏にはさまざまな策謀と野心が渦を巻いていた。二人の意識のなかにあるものが、おなじ輪郭と方向性を持ったものなのかどうか。まったくおなじものを共有しているのかどうか。それを確認する手立てはなかった。言葉はすぐに嘘をつくからだ。スペルマンとフェリクは稀に疑心暗鬼になるときがあった。二人はけっして一枚岩ではなかった。
 
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 ルソンド名誉教授が顧問を務めていた犯罪推理協会は、もともとは退職した警官が趣味ではじめた私塾で、過去の事件を題材にして犯罪者の手口や防犯対策などを教えていた。こじんまりとした集まりだったが、主婦層に人気があり、五十人収容の教室に聴講者が入りきれないこともあった。ところが、塾長の元警官が突然逮捕され、私塾は閉鎖を余儀なくされた。罪状は窃盗だった。塾長は専門学校の女子寮に侵入し下着を盗んだところを現行犯で逮捕された。常習犯だった。警察が仕掛けた罠にまんまとひっかかったのだった。塾長は取り調べにあたった取調官に、若い娘の下着がほしかった、悪気はなかった、と涙ながらに語った。それから、とってつけたように、塾生たちが心配だ、と言ったというが、主宰者が逮捕されれば塾は消滅するしかなかった。ただ、塾生たちはばらばらではなかった。交流があった。そのなかに帝国大学の学生が数人いた。彼らは他の塾生たちを誘い、新たに犯罪推理協会という団体を立ちあげた。さらには大学で刑法を教えていたルソンド名誉教授を顧問に迎えることにも成功した。このことが協会に権威と信頼をあたえた。入会希望者も増えた。ただし犯罪推理協会が目指すものは私塾とはまったく異なっていた。元警官のはじめた私塾が家族の身の安全を守る方法を主に教えたのに対して、犯罪倫理協会は犯罪者の実像を描きだし、その行動に迫ろうとした。これはルソンド名誉教授の研究に感化されたものだった。
 
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 刑法学者のルソンドは人生の大半を犯罪者の研究に費やしてきた。過去の多くの犯罪を分析し、パターン化するうちに、事件現場の状況を調べるだけで犯人の人物像を想定できるのではないかと考えた。これまでにない新しい着想だと思った。ルソンドはさっそく研究に没頭した。そしてついに画期的な方法を編みだした。それを使えば、犯人の具体的な実像、すなわち性格や趣向、育った環境や居住区、あるいは経歴や交友関係までも予測できるのだった。幸運にも二度ほど事件現場に立ち会うことを許されて実証する機会を得た。予測は的中した。犯人はすべて彼が特定した要件を満たしていた。これは犯罪捜査にとって画期的な方法になるだろう。ルソンドは確信した。なにしろ聞き込みなどの地道な捜査をしなくても容疑者が浮かぶのだ。それは犯罪捜査にあたる警官たちの激務を軽減させることにもなるはずだった。ルソンドは自信満々に学会で論文を発表した。
 ところが、彼の期待は裏切られた。学会の反応は冷たかった。無視といってもよかった。ときには嘲笑さえ起きた。そうした態度には古典的な捜査にこだわる保守的な帝国警察の意向が少なからず反映していた。警察当局は捜査業務の軽減が予算の削減のつながると思っていた。ルソンドの方法は憎むべき邪道でしかなかった。
 それでもルソンドは耐えた。あきらめなかった。自分の考えに自信があった。来る日も来る日も犯罪の詳細な分析を続け、ついに一冊の克明な論文を仕上げた。ルソンドは感慨深げに論文の表紙に「犯罪行動学概論」と書いた。それは奇しくも彼の退官の日だった。彼は大学を去った。後継者はいなかった。彼が半生をかけて築いた犯罪行動学は日の目も見ないまま時の砂に埋もれる運命にあるように見えた。
 
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 退官後のルソンドは法科専門学校の校長になった。同期の連中はもっと好待遇の地位に就いていたが、さしたる実績のないルソンドには分相応な役職といえた。校長といっても週に三日出勤するだけで私的な時間はたっぷりあった。それで犯罪者の研究を続けた。そんなとき、ルソンドは興味深い学生たちの訪問を受けた。大学を退職して二ヶ月後の、雨まじりの寒い日のことだった。
 その学生たちはルソンド教え子だと言った。教え子といっても、大教室での講義に出席していただけだったので、ルソンドが彼らの顔を覚えているはずもなかった。学生たちはルソンドに新たに設立した犯罪推理協会の顧問になってほしいと言った。彼らの熱意のある話に耳を傾けているうちに、ルソンドも自分の学説を教え子に委ね、それを実証してほしいという誘惑にかられた。それで顧問を引き受けることにした。だが、残念なことに、彼らははきわめて優秀だったが、犯罪捜査をゲームとしか考えていなかった。研究会は推理を競う場所だった。それを知ったとき、ルソンドは犯罪行動学のすべてを彼らに委ねるのをあきらめた。人生の大半を費やした学説が、場末の研究会にたむろするような推理マニアにもてあそばれるのはまっぴらだった。なにより彼のプライドが許さなかった。
 
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 ルソンドは顧問にはなったものの犯罪推理協会にはめったに顔をださなかった。ときどき数十人の参集者を前に講演するだけだった。演題はもちろん事件の分析法で、とりわけ犯罪者の心理に関わるものが多かった。わずか一時間ほどの講演だったが、集まった人々にとってはじゅうぶんに刺激的な内容だったらしい。興味深い顔で耳を傾け、熱心に聞き入っていた。それぞれが自分の頭で考え、自分だけの方法を探ろうともしていた。それはそれでうれしかったが、ルソンドの関心は別のところにあった。彼は運命の人を待っていた。講演会に犯罪行動学の後継者がやってくるのではないかと期待したのである。もしかしたら、それは今日かもしれない。そう思いながら講演会を続けてきた。だが期待はいつも裏切られた。出会うのは凡庸な頭の持ち主ばかりだった。彼らの発想は大衆紙のゴシップ欄に負けず劣らずで、これといった才能もありそうには思えなかった。
 だが、講演会を続けるうちに、ルソンドはそうした見下した態度を捨てた。会場に足を運んでくれる人々は、あいかわらず発想が平凡で、知能水準もそれほど高いとは思えなかったが、すくなくとも彼らには熱意があった。向上心があった。緊張感もあった。ルソンドの言葉をけっして聞き漏らすことのないように、私語をかわすこともなく、懸命にメモをとっていた。そんな聴講生の態度がルソンドを変えた。講演会に参集する人数が急増することはなくても、けっして減ることはなかったことも彼の背中を押した。
 顧問に就任して半年が過ぎた頃、ルソンドは講演会で犯罪行動学の基本的な考え方を紹介した。ちょっと難しい内容だったが、講義が終わってからの質疑応答がすごかった。彼は喜びを感じた。その後の講演会では具体例を示しながら、言葉をかみ砕き、ていねいに、わかりやすく、何度も何度も繰り返して犯罪行動学の一端を理解してもらおうと努力した。こんなことは教授時代には考えられないことだった。ルソンドはいい意味で孤高の存在だった。わが道を行く孤独な学究だった。授業は、学生が聴いていようがいまいがおかまいなしに進む、彼のひとり舞台だった。そんな彼が講演に参加している者たちを気遣いながら話していた。それは自分でもおどろくほどの変化だった。
 
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 ルソンドの講演は犯罪行動学全体から見れば初級程度の内容で、論文でまとめたような複雑な体系に触れることは一度もなかった。それでも彼が展開する犯罪行動学的な考え方は、わずかではあったが犯罪推理協会に集う人々に少なからず影響をあたえはじめていた。彼はますます手ごたえを感じた。蒔いた種が芽吹こうとしていた。そんな矢先、ルソンドは唐突に犯罪推理協会の顧問を退くことになった。いうまでもない。何者にか殺害されたからである。
 
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 ルソンドが行方不明になったのは犯罪推理協会での講演を終え、自宅に戻る途中のことだった。その翌日に家族から捜索願いが出され、その五日後に遺体が発見された。警察はルソンドの足取りを調べた。行方不明になった当日、彼は午後九時頃に講演を終え、ひとりで家へと向かった。いつも近道を利用していた。暗く、人気のない公園をまっすぐに横切ると、十分近く時間を短縮できるからだった。その夜、ルソンドが公園に入っていくのを数人の通行人が目撃していた。だとすると、ルソンドは公園内で襲われ、どこかに連れ去られたあとで皮をひん剥かれ、川に沈められたということになる。
 連絡をうけて警察署にやってきた妻と息子は、変わり果てたルソンドの遺体を見て声をなくした。それも当然だった。ルソンドの顔面は、石のような凶器で執拗に殴らて、原形をとどめないほど潰されていたからだった。犯人が身元の特定を遅らせようとしたらしかった。立ち会った警官は、この親子はずっと悪夢に悩まされ続けるだろう、と思った。
 警察は怨恨による犯行と推定したが、目撃者も遺留品もなく、捜査は難航した。もちろん顧問を殺害された犯罪推理協会も黙ってはいなかった。さすがに犯人捜しを競ったり、賭け札を売ったりすることはなかったが、総力を挙げて犯人探しに協力した。だが、なんの手がかりもつかめないまま時間だけが過ぎた。
 
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 ノラとラシアの拉致暴行事件も、猟奇的なルソンド名誉教授の殺害事件も、忘れっぽい帝都の人々の話題にもならなくなったころ、ひとりの青年が警察本部にやってきた。彼の名はハンザ・ルイといった。帝国大学の学生で、犯罪推理協会の代表をつとめていた。ハンザは受付の女性職員に自分の身分と警察本部に来た理由を告げた。すると玄関通路の右側にある狭い部屋に通された。薄汚い部屋だった。細長い机がひとつと椅子が二脚。ハンザは窓側の椅子に座らされた。しばらくして、ひとりの警官が部屋に入ってきた。どことなく風采のあがらない中年のお巡りだった。その理由はすぐにわかった。小さすぎる制服が彼の肥満したからだにまるで合っていなかった。だから着こなしがだらしなく見えたのだ。
「まずは、あんたがここに来た理由を聞かせてもらおうか」
 あいさつもせず警官は言った。椅子に腰をおろし、ハンザと向かいあった瞬間、警官の表情が微妙に変わった。ハンザを胡散臭い男だと感じたらしかった。それからは、あきれるほどぞんざいなもの言いと、相手を見下したような態度に終始した。
「今日はお願いがあって来ました」とハンザが言った。「わたしにルソンド名誉教授殺害事件に関する捜査資料を見せていただけないでしょうか」
「はあ?」警官は軽蔑と侮辱が入り混じった声ような声をあげた。「ふざけたことをいうな。捜査資料はすべて極秘だ。おまえのような部外者に見せられるものか」
「どうしてもだめですか」
「あたりまえだ」警官は吐き捨てるように言った。「子供にだってわかる理屈だ」
「それなら、過去に起きた死体遺棄事件や不審な死を遂げた人々について、もういちど調べ直していただけないでしょうか」
「なんのために?」
「もちろん教授を殺害した犯人を探したいからです」
「ふざけるな」警官はいきなり声を荒げた。「おれたちは捜査のプロだ。おまえらが趣味でやってる犯罪推理協会なんかとはちがうんだよ。それがわからないのか」
「どうしても調べてはいただけないのですか?」
「帰ってくれ。おれは忙しいんだ」
 警官は椅子を蹴って立ちあがり、後ろ手に部屋のドアを開けた。そしてハンザを睨みつけながら顎をしゃくった。ここから出ていけという意味だった。
 ハンザはしかたなく部屋を出た。腹が立ったが、なにを言っても無駄だと思った。背中に警官の視線を感じながら、大理石を貼ったホールを抜け、正面玄関に向かって歩いた。もしもこのとき、ハンザの相手をした警官がもう少し話を聞く姿勢を見せていたら、もう少し相手の考えを推察する能力のある男だったら、もしかしたら不幸なできごとは起きなかったかもしれない。だが、この警官にとっては、一般市民の対応などどうでもいいことだった。ろくでもない訴えや請願を聞かされるのはまっぴらだった。反吐がでるほどうんざりすることだった。彼はハンザが庁舎の外に出たのを見届けると床にぺっと唾を吐いた。そして受付にいる女子職員に近づき、あんなやつは中にいれるな、と大声で怒鳴った。
 
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 そのころ、二人の若い警官が帝都郊外の丘陵地を歩いていた。やけに暑い昼下がりだった。日陰をつくる木々ひとつないだだっぴろい野原の中を、小石を敷いた細い道が縫うように続いていた。その突きあたりに牧場を囲む柵があった。道は柵に沿って左右に分かれていた。二人は左に折れ、視線を遠くに投げた。目指す家は丘陵地帯の中腹よりもさらに上にあった。そこは家具職人タージルの工房だった。
 タージルは帝都でもっとも成功した家具職人と噂されていた。彼の作品は高価な値段で取引され、所有者に満足と優越感をあたえた。デザインも、使いやすさも、調度品としての重厚さも、すべてが一級品だった。タージルのもとにはつぎつぎと注文が舞い込んだが、その発注者はほとんどが帝都の有力者ばかりだった。
 ところが、タージルの作品として売買された家具のなかに、どういうわけか贋作がまぎれこんでいた。それに気づいたのは内務省のズリ・マハトラス長官だった。彼は通常の役職を担うには老いすぎていたが、真贋を見分ける鑑識眼にはすこしの衰えもなかった。そのズリが購入したタージルの家具が、こともあろうにまったくの偽物だったのである。
 それはズリが自宅の書斎用に購入した長尺の机だった。彼は店頭でその机を見て、心をくすぐられ、すぐに購入する決心をした。天板に美しい模様を描くは象嵌、四本の脚にからみつく、信じられないほど緻密に彫りこまれた蔦と花々。それは、まさしくタージルの手による、正真正銘の逸品だった。ところが、実際に自宅に届いた机は、外観こそ似ていたが、細部の造作には品性のかけらさえ感じられない、まったくの粗悪品だった。
 頭にきたズリ長官はすぐさま警察庁の幹部を自宅に呼びつけ、この贋作がどこで作られ、どこですり替えられたのかを徹底的に調査するよう指示した。家具店、運送屋、倉庫業者、そして家具職人たちの工房が捜査の対象となった。
 そういうことがあって、この二人の警官は、市内にあるすべての木工および家具職員の工房を歩きまわっていたのだった。この五日間というもの、朝から晩まで、あちこちの工房を訪ね、話を聞き、さらには偽物の机から取り外してきた脚を見せて、道具の使い方や彫りの技術などについて思い当たる職人はいないかどうかを訊ねた。はじめは気楽な任務だと思った。ところが木工と家具職人の工房の数は思いのほか多かった。しかも工房のほとんどが騒音対策のために帝都の中心部から離れたところに移していた。二人はとにかく歩いた。筋肉痛や靴擦れにも悩まされた。ぜんぜん気楽な仕事ではなかった。おかげで供述調書を書き終えるのは、いつも深夜になっていた。そんな毎日が続いていた。それなのに、その日は朝からずっと歩きどおしだった。タージルの工房が最初の訪問先だというのに、正午を過ぎても二人はまだ丘陵の道を歩いていた。
「遠いな」と背の高いほうの警官が言った。「いままででいちばん遠い」
「タージルは変人だという噂だ」もうひとりの警官が言った。「そうでなければ、こんなところに家を建てたりはしないさ。もうすこしで山岳地帯に手が届きそうだ」
 途中から風景が灌木の繁る山道に変わった。このあたりには猿の群れが住んでいた。もともとはもっと下の岩場が彼らの住処だったが、果樹園や畑ができて民家が建ち、さらに開墾が進んで牧場が広がったおかげで、猿たちは山側に追い立てられたのだった。いつもなら子供を連れた猿たちの姿が見られるのだが、その日はどこを探しても一頭もいなかった。この暑さだ。おそらく日陰で午睡の夢でも見ているのにちがいない。そう思った。
 それにしても暑い日だった。朝から気温が急激に上がり、正午近くになると日差しがさらに強くなった。まるで太陽の光に重さがあるかように、二人は話をすることもなく、頭を垂れ、背中をまるめて歩いた。風もなく、うんざりするような暑さだった。
 
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 タージルの家は、帝都の北側に広がる広葉樹林帯を背に、見晴らしのいい斜面に建っていた。彼の家族や弟子たちが暮らす住居が二棟、大小さまざまな作業棟が三棟、そして木材や家具を保管する倉庫が二棟あった。家と作業棟のあいだには畑が作られていた。畑は丸太を組んだ高い柵で囲まれ、さらに漁で使う網がかぶせてあった。狼やキツネ、あるいは猿などの森の動物の侵入を防ぐためらしかった。家の近くにはよく繁った森があり、タージルたちはそこで樹木を伐採し、皮を剥き、乾燥させてから製材していた。その工程だけでも五人ほどの下働きが必要なのだとタージルは誰彼となく触れまわっていた。
 二人の警官は坂道をゆっくりと歩きながらタージルの工房を見上げた。到着までもう少しだったが、木陰の下で休憩することにした。草の上にからだを投げだし、水筒の水をのどを鳴らして飲んだ。背の低いほうの警官の様子がおかしかった。何度も咳きこみ、荒い息遣いが静まらなかった。顎から滴り落ちる汗が制服の襟元を黒く濡らしていた。
「だいじょうぶか?」
「ああ。睡眠不足にこの暑さだ。おかしくもなるさ」
「しばらく横になったほうがいいな」
「悪いが、そうさせてもらうよ」
 そこからは眼下に広がる牧場を見下ろすことができた。あちこちに岩場が点在しているせいで敷地は大きな鳥が翼を広げているような形をしていた。その先に帝都があった。まるで模型細工のような街並みは暑さに押し潰されたかのように地面にへばりついていた。さらにその向こうには海があった。燃え立つ陽炎が水平線を揺らしていた。帝国艦隊はあの水平線を越えることができなかった。二人は息苦しさを覚えた。この国が戦争などしなければ、誰もが平和で幸福な暮らしを営んでいたはずだった。そして、苦しんだり、悩んだり、無意味な死を遂げることもなかったはずだった。名もない市井に生まれ、成長し、結婚し、子供が生まれ、やがて年老いていくだけの、ありきたりで無名なままの人生。それだけでいいはずだった。二人とも多くは望んでいなかったのだ。
 
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 二人の警官のうち、背が高いほうの巡査はラジといった。夏が近づくと東の空に輝く星座の名前だった。命名してくれたのは教師をしている父で、結婚する前から子供ができたらラジと名づけると決めていた。あとから知ったことだが、彼の両親がはじめて二人だけの夜を過ごしたとき、ずっと窓から見えていたのがラジという星座だった。自分の名前にそんな由来があったことを知ってから、ラジは夏が近づくたびに東の空に星座を探す癖がついた。もしも恋人ができたら、両親のように一晩中夜空を見上げて夜を過ごしてみたいと思ったこともある。だが、そんな夢のような想像は、学校を卒業すると同時に、どこかに吹き飛ばされてしまった。いきなり徴兵されたからである。ラジはこれといった訓練も受けないままに陸軍所属となり、アナルーマニア砂漠の前線基地に派遣され、歩哨として勤務することになった。しかし、彼には喘息という持病があり、まったく砂漠の生活に適応できなかった。おまけに南の砂漠を埋めつくす白い砂は、信じられないほど細かく、そして軽かった。そのおかげでラジは何度も呼吸困難におちいった。そのたびに衰弱し、みるみるうちに痩せ細った。もしもあのとき、軍医が除隊を勧告する診断書を書いてくれなければ、ラジは肺を砂でいっぱいにしたまま天に召されていたかもしれない。だが、除隊は認められたものの、そのあとの治療が長びき、結局は病院で三年もの歳月を過ごすはめになった。退院後は自宅で療養生活を送った。その半年後に主治医が病状の完治を告げたとき、ラジは子供からの夢だった警官になろうと思った。両親は反対したが、彼は引き下がらなかった。海軍がふたたび出撃するという噂が飛びかっていた。だとすると、また軍に徴兵されるかもしれない。ラジは南方戦線での辛い記憶をまだひきずっていた。それならば、いっそのこと警官を志願したほうがいい。そう思った。警官は徴兵されないからだった。
 
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 もうひとりの巡査は、背丈は普通だが、発達した胸筋と太い腕の持ち主で、腕力だけはありそうだった。名前はエルドといい、彼もまた元陸軍兵士だった。あちこちの駐屯地を巡りながら、反乱分子を摘発することが仕事だった。だが、そうした連中が従順であるはずもなく、エルドは国の安全を守るという名目のもとに彼らを徹底的に弾圧した。場合によっては殺害した。それは本部の命令だった。南方に行くにつれ不穏な連中が増え、エルドは命令されたとおりボウガンと剣で連中をかたっぱしから殺害していった。それがいつしかエルドの負担になった。彼は外観とはちがって心優しい青年だった。敵を殺すたびに悪夢にうなされるようになり、それが毎晩のように続いた。殺した連中の無数の顔、うめき声、助けてくれと懇願する声、そして憎しみの顔でエルドを見つめる異民族の女と子供たち。その夢はいつも視界を真っ赤にして終わった。血が夢を埋めつくしていた。エルドはそのたびに叫び声をあげ、荒い息を吐きながら目覚めた。全身が汗まみれだった。完全に精神がいかれていた。エルドが自傷行為に走ったとき、上司は彼の身の安全を危惧して駐屯地の病棟に収容した。そのあと帝都の大学病院に送られ、半年間の療養生活を余儀なくされた。
 精神科医のカウンセリングが効を奏したのか、あるいは除隊という事実が心の重荷を解き放ってくれたのか、エルドはしだいに悪夢にうなされる毎日から遠ざかり、退院許可を得るところまで回復した。そのあと実家にもどって港湾の作業員になった。輸送船から陸への荷揚げや荷下ろしをしたり、湾内で獲れた魚や海産物を台車で市場に運ぶ仕事だった。からだを動かしていたほうが安定した精神状態を保つことができた。生まれつき頑丈なからだつきをしていたので荷物の運搬はまったく苦にならなかった。腕力とも背筋力に恵まれ、足腰も強靭だった。同僚の倍以上の荷を背負い、魚介類で満載の台車を牽いて市場に届けたこともある。そんな働きぶりが評価されて賃金も増えた。
 エルドがルーラを見初めたのはそんなときだった。彼女は市場の食堂で働いていた。黒く、まっすぐな髪と、ちょっと緑がかった瞳が印象的な娘だった。エルドは毎日のようにその食堂に通い、あるときとうとう声をかけて食事に誘った。ルーラは笑った。あなたが食べる姿を毎日ここで見ているから、食事以外のところに変えてくれたら行ってもいいわ。ちがうあなたを見てみたいの。そう言った。ルーラにまっすぐに見つめられてエルドは赤面した。なにか不思議な力が働いて、からだじゅうの血液が沸騰しているような感じだった。
 結局、エルドはルーラを芝居に誘い、どちらも仕事が休みの日を選んで会うことになった。私服のルーラは美しく、気品があった。食堂にいるときの制服姿の彼女とはまるで違っていた。通り過ぎる人々が振り返るほど輝いていた。エルドはそんな彼女といっしょに歩いていられるだけで幸せを感じた。芝居は皇帝シリオカス閣下を称賛する内容の一幕ものだったが、エルドにとっては芝居どころではなかった。隣にルーラがいると思うだけで緊張して、手に汗をかいていた。そんなふうに二人だけの逢瀬を幾度か重ねたあとで、エルドはルーラにプロポーズした。そして結婚し、二人の子供に恵まれた。
 そんなときに帝国海軍が敗北した。
 エルドは軍からの復帰要請がくるのを恐れた。多くの戦死者をだした海軍が新たな徴兵を必要としていたからだった。だが、彼のもとに届いた通知は、なぜか警察本部からだった。徴兵によって多くの若者が入隊し、警官の軍属への転換も少なくなかった。それで地域の保安を維持する警官が不足し、警察本部は一時的な措置として予備役もしくは軍歴のある者を警官として徴集したのだった。
 この一方的な通知に対してエルドの両親は猛反発した。息子がいまだに悪夢にうなされ、苦しんでいるのを知っていたからだった。両親はエルドを病院に連れていった。かつての主治医に経緯を話し、今後のことを相談した。すると、エルドを診察した女医者は、こともなげに軍隊復帰は無理だが地域警官なら可能だろうと言った。そして診断書を書いた。彼の両親は憤慨したが、もうどうしようもなかった。
 だが、それからしばらくすると、両親の気持ちが一気に変わった。エルドが警官になってほんとうによかったと思うようになった。それはエルドの妻もおなじ思いだった。
 エルドの両親は青果商を営んでいた。敗戦の日の前までは客も多く、それなりの利益をあげていた。ところが敗戦以降はさっぱりだった。そもそも流通する物資が少なすぎた。帝国艦隊が順調に就航していた頃は物資が不足したことなど一度もなかった。エルドが港で大活躍していた頃は、大艦隊がウバスキシャナナに帰港するたびに穀物や海の向こうのめずらしい果物や野菜が大量に荷揚げされたものだった。どこの店先にもさまざまな商品が山と積まれ、商店街はいつも賑わっていた。もちろん買い物客が先を争うようなこともなかった。そんな風景が敗戦で一変した。棚いっぱいに並んでいた商品がが日ごとに減っていき、ときには売るものがほとんどない日もあった。郊外の農家は高く売ろうとして出荷を控えていたし、富裕層は少しくらい値が張っても必要なものはなんでも購入した。結局、困窮していくのは、どの地区でも貧乏人からだった。
 もしもエルドがあのまま港湾で働いていたら、まちがいなく馘首されていただろう。クビである。物資が届かないのだからそれも当然だったが、実家の商売がうまくいかず、エルドが失業、妻の働く市場の食堂も閑古鳥が鳴く状態となれば、エルドの家族はどうにも立ちいかなくなったのにちがいない。そんな危機を救ったのがエルドの警官への転職だった。給料は港湾労働者時代の倍の額だったし、休暇も自由に取れた。しかも、軍人のときとはちがって、自分の家から通勤することができた。毎日、妻と子に笑顔で送り出され、そして帰宅する。それはエルドの精神を保つうえで必要なことだった。
 
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 ラジとエルドは短い休憩をとったあと、タージルの工房へと続く細い道を歩きはじめた。すぐに息が弾んだ。坂はけっこう急だった。目的地はすぐそこなのに、いくら歩いても建物に近づいた感じがしなかった。どこまで行っても永遠に到達できないのではないかとさえ思った。それほど建物が遠くに見えた。暑さで頭がいかれちまったのかもしれないな。それにしても、こんなところで暮らしているタージルたちは、どういう方法で市街地に降り、どういう方法でここにもどってくるのだろう。いや。食糧と水さえあれば、街に降りる必要はないのかもしれない。二人は歩きながらいろいろなことを考えたが、どちらもなにも話さなかった。枯れ枝や小石を踏む足音を聞き、さらに速くなる心臓の鼓動を感じながら無言で歩き続けた。
 しばらくすると、やたらと太い丸太を組み上げた門があり、やはり丸太を組んだ門扉が来客を拒んでいた。ラジは額の汗を手の甲で拭いながら門扉を押した。すると軽い軋むような音を立てて扉が開いた。二人はあたりをうかがいながら敷地に入った。日干し煉瓦を敷いた小道が続いていた。建物はどれも離れていて、おまけに似たような造りだったので、タージルの住居がどれなのか見当もつかなかった。
 そのとき、やたらと図体のでかい男が、いきなりラジとエルドの前に立ちふさがった。二人の警官ははっとして足を止めた。坊主頭で目つきの鋭い、無精ひげを生やした男だった。年齢は四十ほどだろうか。背が高く、肩幅が広かった。太い上腕、筋肉が貼りついた厚い胸板。それはまちがいなく樵の体形だった。
「なんの用だ?」と男が低い声で言った。「ここがタージル親方の家だと知っているのか?」
「警察だ」とラジが言った。「タージルさんに会いたい」
「なんだって?」と男は耳に手をあてて聞き返した。「警察?」
「そうだ。タージルさんに会いにきたんだ」とエルドが大声で言った。
「親方ならいねえよ。いま町に出かけている」
「帰りは遅いのか?」とラジが聞いた。
「さあな。親方の仕事しだいだな」と樵らしき男は西の空に傾きはじめた太陽を見上げながら言った。「早く帰るときもあれば、遅いときもある。いろいろだ」
「あんたの親方は」とラジが言った「なんの用事で町に降りたんだい?」
「たぶん家具職人の集まりだ。打ち合わせがあると言って出かけたからな」
「悪いが、すこし休ませてもらってもいいか?」疲れ切った顔でエルドが言った。顔色が悪かった。「そのあいだにタージルさんがもどってきてくれれば最高なんだが」
「ああ。最高だな」と大男が言った。「それじゃあ、こっちに来てくれ」
 大男が指さした建物は楡の木がつくる日陰のなかにあった。それは方形に切った石を積みあげた、こじんまりとした家で、東側の壁だけが繁った蔓の濃い緑の葉々で埋められていた。男に案内されてラジとエルドは煉瓦敷きの道を歩いた。まったく人の気配がなかった。そのとき二人は気づくべきだったのだ。タージルは工房を運営するために十人以上の職人を雇っていた。弟子もいた。タージルの家族も、それに弟子の家族もこの敷地のどこかに住んでいるはずだった。それなのに、この静寂は。どう考えても、ありえない静けさだった。