よく友達や知人から聞くのが、良い出会いがないという言葉。

 

毎日学校や仕事と家の往復、同じ生活圏内で暮らしているだけでは

 

新しいものや変化になかなか気づきにくかったり、

 

見見落としがちになっているのかもしれない。

 

男女間の出会いに限らず、人脈を広げたいという場合には

 

思い切ってまったく自分の生活圏とは違う環境へ出かけたり、

 

普段出かけない人と出かけてみるのが良いかもしれない。

 

それは思わぬ世界や出会い、経験を生むかもしれない。

 

それはあえて自分がその場所や人と居て、

 

普段自分が外で時間を過ごす時に感じる

 

快適さや居心地や安らぎは感じられなくてもよいので。

 

あくまでも普段とちょっと変わった場所や人と出かけるのがポイントである。

 

 

理由は分からないが、自分と違う習性や生活リズムや視野をもつ人と一緒にどこかへ行くだけで

 

見えるものや遭遇するものがすこし変わって見えた経験はないだろうか?

 

 

筆者も昔、音楽活動で知り合ったメンバー

 

(いまから思えば年齢を除き、自分とも趣味も性格も違っていて普段絶対合わないと思えるタイプ)

 

と一時的に行動をともにしていたのだが、

 

彼のおかげで自分の知らなかった視野や感覚を知ることもできたし、

 

なぜか自分ひとりで出かけても何もなかったいつもの出先で、

 

これまた普段出会わないであろうものすごく魅力的な人に

 

運命的な出会いをした経験がある。

 

その他にも過去勤務していた広告代理店の普段話さない事務の人と出かけた時も

 

何故か良い店をたまたま見つけたり、

 

モデルのような美男美女集団に遭遇したりすることもあった。

 

 

ここでいうのはあくまでも出会いの「遭遇」の段階まで。

 

 

たとえば本人がすごく社交的でそういう人と仲良くなりやすいとか、そういう場合もあるだろうが

 

実際にいっしょに出かけたその人たち自身には特にすごい社交性や話上手という

 

こちらに何かその素晴らしい人たちとのコネクションをもたらしてくれる役割をするわけではない。

 

けれど行動派の人ならば、あとは自分でスマートにどうにでも出来るというのも事実だと思うので

 

あとは自分で色々アプローチをしてゆくのみではないかと。。

 

実際筆者も、その後その時出会った人たちと仲良くなり

 

人生における良い経験をすることができて

 

いまではその時一緒にいた人にも心の底から感謝している。

 

このように自分にとって非日常的な場所、人との行動は

 

何か新しい気づきを産む

 

キッカケ作りには良い方法なのではないかと長年信じている。

 

スカウター、リサーチのアンテナの感度を変えるという意味では

 

反応は歴然として違ってくることがある。

 

それが単に「タイプの違う人」や「新しい環境」要因と結びつけているだけなのだが。。

 

 

 

 

しかしながら、注意してほしいのは、自分と「かけ離れた」の意味を取り違えて、

 

質の悪い危ない匂いのする場所や人と関わりや、

 

無理や身勝手な行動が相手への不快や迷惑行為にも繋がることがあるので

 

あくまでも、自分と同じかそれ以上のソーシャルクラスに居るか、

 

良い人間性を持っているかをきちんと判断して

 

丸く物事をうまく収める方向で互いにコネクトできるかが重要である。

 

この時代インターネットでの出会いは悪用されていることも多くあり、

 

あまり異常や違和感を感知でできない場合には、

 

他者とのトラブルに巻き込まれたり、

 

こちらが加害者になってしまうことがないように

 

十分に注意が必要である。

 

 

こんなことを書くと批判の声も聞こえて来そうだが、

 

ごく一部の方に心当たりや思い当たる節があって

 

共感していただけたら良いリマインドになるのではないだろうか?