住宅事業部 神田



原辰徳



現巨人軍監督であり、現役15年、コーチ3年、特別顧問2年、



監督は今年で通算12年目に突入し



32年間ジャイアンツに身を捧げております。



長嶋さんは球団の枠を超えた「ミスタープロ野球」、



王さんは「世界の王」。



原辰徳こそが「ミスタージャイアンツ」だと思います。



プロ野球界全体を見渡しても、



これだけ1球団に貢献している男は



他に見当たらないのでは?



1980年、ドラフトで故藤田監督がクジを引き当て



ジャイアンツ入りを果たし、80年代のプロ野球黄金時代、



年間のジャイアンツ戦平均視聴率は



20%を軽く超える時代だったと聞いています。



日本中が「長嶋」「王」引退後の



巨人の4番バッターを待望していました。



それに応えるべく、原辰徳は新人王、



2年目にホームラン33本、




3年目には3割、打点王MVPと活躍し、



世間の期待はますます大きくなっていきました。



しかし、それから2年ほどは巨人の4番として



パッとした成績を残せず、マスコミの袋叩きにあっていました。



「チャンスに弱い」だの「お嬢様野球」だのと



罵声を浴びせられてしまうのです。



「打って当たり前、打たないとボロクソ」



これが巨人軍4番打者の十字架でしょう!



20代半ばの青年がよく耐えましたよね・・・



長嶋・王がそれだけ偉大だったのでしょうか・・・



ちなみに生涯打率は2割7分9厘、ホームラン328本、打点1093、



入団以来12年連続でホームラン20本以上を残しています。



これだけの数字を見れば、分かる人には分かると思いますが、



他球団の4番打者と比較しても



十分な数字を残していると思います。



巨人の4番=球界の4番という、80年代の呪縛に翻弄され続け、



球団OBや球界OBからいろんな事を言われ打撃フォームを改造し、



毎年打撃が変わっていたように記憶があります。



原辰徳は全てを受け入れ、



巨人の4番を一人で背負っていたのではないでしょうか・・・



1994年、FAで落合が巨人へ移籍するまでは・・・



駒田が横浜へ移籍し、チームは空中分解しかけましたが、



原がそうならないよう必死にまとめ上げていたように感じました。



そして翌年の10月、広島カープ戦を最後に



15年間の現役生活にピリオドをうちます。



同時にこの日、華やかな引退試合を観戦し、



自分も将来プロ野球選手になると誓います。



そう、現ジャイアンツ投手、菅野智之が・・・



長嶋一茂は



「原さんほどの人格者は知らない。
愚痴や悪口など聞いたことがない」



と言っています。



散々、プロ野球ニュースで原をコケにしていた江本孟紀が、



政界進出で街頭演説をしていた折、



偶然車で通りかかった原は、周囲の静止を振り切り



「球界のOBが必死に語っているのに

黙って通り過ぎる訳にいかない」と、



選挙応援までする男。



監督に就任してからも、12年間マスコミに対し



会見拒否は一度もしていませんし



ホームで勝利した時に、




ファンヘ一礼するのも原監督が最初でした。



2002年、監督就任1年目で日本一になりましたが、翌年は3位。



松井秀喜の件では、



「鶴の一声」で解任させられてしまいました。



あまりに不条理で、



普通なら怒り恨む気持ちにもなるでしょう。



しかし、2006年の監督要請に対し



「今までジャイアンツに育ててもらい、

それを私が断ることはできない」と、



再び監督に就任しました。



そして、通算7度のリーグ優勝、3度の日本一



あまりに愚直な、原辰徳という男。



私は、大好きです!



彼こそが、ミスタージャイアンツ!!



ではないでしょうか。



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