今朝は自転車に乗る夢と落ちる夢を見ました。

 

自転車は、うまく乗ってるんだけど、疲れてフラフラしてきて、もうそろそろ休みたいな〜ってなってる夢でした。

 

落ちる夢は、先に、西洋人の女性がドスンと2〜3メートルの高さから落ちちゃうのを見て、わたしも自分がそういう段差のあるヘリに立ってるのが大丈夫かなって思えてきて、フラフラしてきて、安全なとこに行きたいと思ったんだけど、

安全なところに行く途中に子供かなんかがいて、ちょっとどいて、て言ってもどいてくれなくて、そのうち力尽きて落下してしまいました。

 

落下はしたんだけど西洋人のように横向けにドスンと落ちる感じではなくて普通に着地してはいましたが。

 

夢判断とかで調べてみると、(わたしは手相の西谷さんのを主に参考にしてます)

自転車に快適に乗る夢は運のいい夢らしいんですが、

わたしの場合はうまく乗れてても自分はなんか疲れてる、っていう状態だったので、

まあ、それは現実そのままだなって思いました。

 

わたしはなんだかんだ、よくわからないある意味自由な生活をしていますが、なんだかんだいって問題があるかというと、よく考えてみると何も問題ないです。

 

でもなんかいつも疲れてるのは確か。

 

わたしが最近しみじみ思うのは、

本当に根本的なところで自分のニーズを自分が満たしてないからかなと思います。

本当に根本的なところで自分を疎外し続けてるっていうか。

 

そもそも自分を大事にする感覚がないままずっとここまできたというか。

 

だからそもそもあんまり生きる気力もないし、

自分のニーズ自体がよくわからない。

自分の生きる感覚というのが根本的なところで封印されてるように思います。

 

あまりに根本的なところすぎて、認識しづらい感じがします。

 

 

自分を殺して周りを生かす、みたいなそういうやり方でやって来すぎた感があります。

そういうパターンを選択したことで、根強い怒りもあるのかなって思います。

 

何かうまく流れない感じもある。

 

それは周りのために自分自身をいつも殺し続けてきたからだと今はうっすら認識してます。

 

そしてそれに腹を立ててる自分もいる。

 

 

というのは、自分を殺して周りを生かすことは、周りにも同じパターンでわたしを生かすことを期待してて、それがたいてい、そうはならないからじゃないかなと思います。

 

それなら、それぞれが自分で自分を生かすことをしたほうがいいよね、っていう。

 

ていうか他の人はほとんどの人がそうしてるのかもしれないけど、

まあそれがどの程度うまくやれてるかは別として。

 

わたしはそもそも自分で自分を生かすことを放棄してる状態で、

というのはまたまた母親との関係で考えると、

過保護でわたしを神格化してて、(一種の親バカですが)

でも、わたし個人の思いや感情などとはそれらを尊重したコミュニケーションをとることをしなかった(とわたしが認識した)母のもとで世話してもらって生き残るために適応したのがその状態に自分をすることだったと思います。

 

これは何が先かは実際わからないなとも思っていて、

わたしがそういうタイプだったのでそういうのに適合した環境に生まれたとも言えると思います。

 

実際はどっちが先というものなくて、全部同時に瞬時に起こってるんじゃないかなという気もします。

 

しかし自分の理解のプロセスとして、とりあえず原因と結果という時系列があるような風に考えることは、それぞれの要素にフォーカスして区切って取り出して考えられるからそれはそれでいいんじゃないかなって思います。

 

とにかく、考えることや思うことはそのまま表現して出し切ることがわたしの場合は自分で大切にしたいことです。

そしたら勝手に次の段階に行くから。

 

わたしにとっては、他人のせいにすることや、他人に攻撃的な思いや悪意を持つことも、すごく大事なことだと思います。

 

なぜなら、わたしはそれを長い間自分に禁じてきて、自分にその原因や過失を求めすぎていた、すべての責任を自分で背負おうとしすぎていたと思うので。

 

わたしにとっては、それもある種の自我肥大の形だったんじゃないかと思うのです。

 

あいてをあいてのままでいったんOKを出すことができないというか。

相手の中に理想を見るとか、より良い可能性を見るというのはもちろんいいことと思うし、それはわたしのある意味才能かと思うんですが、

それがポジティブに働くためには、まずいったん今にOKを出す、というのがすごく大事にしないといけないことなような気がしています。

 

その、2つともをしっかり落とし込めたらバランスよく変化を楽しめると思うんです。

 

でもどっちかを見るとどっちかは消えてしまうので、その二つの世界を自由に行き来できるというのはそれができるようになったらとても素晴らしいことになるんじゃないかと思います。

 

ちょこちょこ、あれはこういうことかな、とか気がつくことがあるのですが、

 

最近よく思うのは、

 

 

 

※息子2が機嫌よく起きてきましたので中途半端ですけどいったん終えときます。