2人目の元だんなさんののぶあきさんが楽しげな記事を書いています。笑

バックパックでするような旅行のときは、カップルだと楽ですよね。
荷物をどっちかが見ていたりできるし、話し相手にもなって。

そして女子にとっては護衛や、ときには荷物持ちにもなるし。

わたしが最初にバックパッカーとしてインドに来たときもやはりカップル旅行してました。

いろんな国をバックパッカーとして旅行してみたいと憧れていたこともあり、でも、
自分一人でそんな旅行はどうしたらいいかよくわからなかったということもあって、当時の彼氏についていきました。

彼の方も、自分一人でのバックパッカーの旅行の経験をすでにしたあとで、色んなものをわたしにも見せたいし、わたし一人なら海外で何かあっても守れると思ったらしいです。

ちなみに彼は日本では小笠原に数年住んで働いたあと、テントを積んだバイクで日本中を野宿(テント泊)して回っていた、いわゆる放浪のキャンパーというか、ライダーでした。

つまり放浪スキルやサバイバル能力は高かった。

日本最南端の島でわたしが働いていたときの同僚で、
わたしのことを運命の相手だと思ったらしく、ストーカー的に惚れ込まれて、結婚してくださいと土下座され、その言動も当時のわたしには非常に物珍しく、そのうち日本国内や海外での行動を共にするようになりました。

日本国内でも海外でも、自分一人ではなかなかできない経験をおかげで色々することができて、非常に感謝しています。

一般的には最悪な男でしたが、彼の芸術的なほどにむちゃくちゃなところ、つまり自覚的に自分を捨ててるところは、わたしはかなわないと感心していた部分でもあり、共にいることでバラエティに富んだ経験をもたらしてくれた人物でした。

そして、彼を置き去りにして離れたことで、わたしが自分の意思で自分自身を取り戻すことができた、逆説的な恩人でもあると思っています。

一緒にバックパッカーとして旅行した時は、荷物やバイクは働いていた離島の知人のところに預け、石垣島からフェリーで台湾に行き、タイ、カンボジア、ミャンマー、ラオス、インド、ネパール、香港、中国、マカオなどを4ヶ月くらいかけて巡りました。
(ミャンマー、中国、マカオは日帰り)

確かこの旅行の前は離島の海辺や石垣島のキャンプ場で2ヶ月くらいテント生活をしていたように思います。

テント生活は北海道など日本の他の場所に移動する時もちょくちょくありました。

放浪生活。自由ですよね。

今になってみれば貴重な日々でした。

わたしはとにかく所持品の極度に少ない人間だったので、移動やキャンプ生活のありとあらゆることは放浪生活の長いその彼が世話してくれました。

離島で働いていた女性の同僚もほとんどがキャンパー&ライダーで、みんな自分でテントを積んだバイクに乗って移動できる人たちだったんだけど、わたしはそういう感じで自立したタイプじゃなかったので。

わたしは基本、徒歩と公共機関利用で、目的地に着いたらそこで働いたり、その土地で何か習ったりしてその土地に根ざすタイプ。


話を戻しますと、
インドをその彼と旅行してる時、わたしにとってはその数年前にプッタパルティに来たことがあったので2回目のインドだったのですが、彼はプッタパルティには行きたくないだろうとわたしは思って、プッタパルティには行きませんでした。

なぜなら、日本でも、海外にいた時も、サイババのことでも「サイババはインチキだと言え」と、毎日のように彼に責められていたからです。

わたしはサイババへの信仰を守り通すとかそういう気持ちは全然なかったんですが、自分が体験したことを否定することは、自分に対してできないので、インチキとは言えない、と彼に言っていて、その度にボコボコに殴られていました。

そんなだから、まさか、彼プッタパルティに行きたがるとは思ってなかったんです。

ところが、インドから出て、後になってから彼は「プッタパルティに行きたかった。。」とか言い出して、「何言ってんだこいつ?」と思いました。

でもやっぱり、彼はその時プッタパルティに行くようにはなってなかったんだろうと思います。

わたしも連れて行くイメージが全然わかなかったし。

そのバックパッカーの旅行中に彼は毎日1時間とかわたしを殴ってたし、
それでもめげないわたしに逆に彼のほうがどんどんおかしくなっていって何度かナイフを持って自殺未遂したり、ホテルの部屋で火をつけたりするようになりました。
かまってほしいため、わたしを動揺させたいための狂言でしたが。

わたしは異常に我慢強い人間で、
そして多分異常に肝が座っていたので、

彼が何をしようとOKだったのです。

わたしは当時かなり自足していたので、他人に何も求めておらず、それだからこそ、他人の全てを無条件に受け入れる度量がありました。

その性質は基本的にいつもわたしは持っていると思います。

彼はきっと何もかもを失ってしまったような、やぶれかぶれの自分の全てを受け入れてくれるような母性をわたしに求めていたんだと思います。

彼は、わたしの子供だったらよかったのに、とか、わたしの子供になりたかったとか言ってました。

そして、わたしは自分の言動を相手に合わせて統制する必要も感じていなかったし、自分が永遠に誰のものでもなく自由な存在だという確信がありました。
そういうわたしの自由さは彼には理解し難く、恐怖だったようです。

そして、彼自身の恐怖で彼は自爆したのだと思います。


そんなでしたが、今思っても全てがたのしかったです。笑

良い経験だったなあと思ってます。