こんにちは、yabukiです

最近、私のまわりでは妊娠や出産が続いています。
おかげで、私も幸せな気持ちにさせていただく機会が多いのですが・・
同時に、子育てってすっごく楽しいし可愛いけれどたいへん!という
友人たちからの声もよく届いてきます。
私はまだ子育てをしたことがないのですが、
十人十色で、それぞれのご家庭に
それぞれの子育てがあるのだろうと思います。
人知れず、思い悩むことも多いのだろうと思います。
人には言えない悩みだって、ありますよね、そりゃあ。
お母さんだから、泣けないときもありますもんね。
心がちょっとつかれそうになったら、
小林正観さんが残された言葉で癒されてくださいね。
今日も明日もきっと、素敵な週末になりますように

子育て・・お母さんへ
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子育ての本質は<子どもの芽を摘まないこと>
子どもがキラリと見せた片鱗を、一人のファンとして喜んであげましょう
子育てに関して、世のお母さんたちは「親が子どものしつけをしていかなくては」とか、
あるいは「子どもがいるのだから、自分はもっとしっかりしなくちゃ」と
両方背負って苦しんでいらっしゃる人が多いように思います。
しかし、子育ての本質というのは、<その子どもの芽を摘まないこと>なのです。
あれこれと手を出さないのだから、本来は楽なんですね。
でも、いま子育てが重荷になっている人は、
多分、なんとか手を出そうとしているんじゃないでしょうか。
手を出して子どもを修正しようとするよりも、
その子に対して「あなたのこういうところがステキよ」とか
「この部分もすごいね」って、第三者として、
一人のファンとして喜んであげることが出来たら、
子育てはとっても楽しいものになります。
ただ、<子どもがキラリと見せた片鱗をよろこんであげること>、
それだけでいいんじゃないでしょうか。
母親は、男の子からすると<初めての恋人>、
女の子からすると<初めてのお手本>
本来もっている個性や能力を開かせた天才とよばれる人たちは、
特に幼い頃に自分の考え方や生きざまについて、
母親から芽を摘まれてこなかった、というのがとても大きな要素になっているみたいです。
これは、初期の段階で母親からいろいろなすり込みをされなかったということでもあるのですが、心理学では、このすり込みを初期印象効果 (インプリンティング)といいます。
例えば、動物は、産まれた瞬間に目の前に動くものがあると、
それを親だと思ってしまいます。
それが動物の本能なのですが、このインプリンティングの視点から人間をみたとき、
男の子からすると<初めての恋人>であり、女の子からすると<初めてのお手本>でしょう。
自分の人生の初期に一番多く接する人ですよね。
その母親から、いつも肯定されている子どもは、
自分の関心事を否定されていないので、
持って生まれた能力をスムーズに開花させることができるようです。
一方、母親が子どもを他の子と比べあって見ているのは、
基本的に間違った見方でしょうね。
子どもは、比べあってはならないんです。
一人ひとりが全員すごいものを必ず持っていますから、
子どもに対して、母親は「あなたは、そのままでいいよ。それでよし」って
言ってあげることですね。
それを言い続け、常に受け入れてゆくと、
子どもはとっても個性的にのびのびと育ってゆきます。
どんなときも、その子を肯定してあげましょう
では、ここで初期印象効果に関して面白い事例をご紹介しましょう。
京都の北西の方に嵯峨野と言うところがあります。
そこには、四方竹というのがあって、竹の子がでてきたときに、
板で四方を囲うんですね。針金でぎりぎり囲うと、竹が成長してゆくときに、
「あれ、僕はわっかになって伸びてゆくんじゃないんだ、四角になって伸びてゆくんだな」って、
竹が思うかどうかわかりませんが、角材になってずーっと伸びてゆくわけです。
で、ついに上まで成長したとき、四方の板をはずすと、
この竹は、丸くはならなくて四角に育っているんです。これを四方竹と言います。
建材品や装飾品として、とても貴重なものだそうです。
丸くわっかになって育つような遺伝子を持っている竹ですら、
でてきた瞬間にいきなり四方から囲まれると、なんと角材になってしまうのです。
人間が子どもを教育するということもこういうことです。
子どもが持って生まれてきた才能を、素材のまま伸ばしていくには、
身近にいる母親がとても大きな影響を及ぼしているみたいです。
そこで大事なのは、子どもを甘やかせるのではなくて、
あくまで<芽をつぶさない>ということなんです。
この<甘やかす>と<芽をつぶさない>ことの微妙な違いをいいますと、
一般的に常識的に気になることは、その都度、子どもに対して言ってもいいんですね。
でも、それは<笑顔で言う>という方法論をとっていただきたいんです。
そこで聞くか聞かないかは、その子のシナリオですから、
聞かないからといって、親がいらだつ必要はなくて、言うのは言っても構いませんが、
ただ、どんなときもその子を肯定してあげて欲しいと思います。
母親は、いつも子どもの一番のファンとして、
その子が<キラリと見せた片鱗を喜んであげる>だけでいいんです。
そして、それは最も美しい母親の役目ではないでしょうか。
あなたが、この世に生まれてくれて「ありがとう」
あなたと出会えた奇跡に「ありがとう」
<あなたがあなたでいてくれること>を喜んでいます
私たちは、小・中・高・大学、そして社会から「人間は努力することが尊いことであって、
努力しないものは価値がないんだ」という価値観を、当たり前のように教え込まれてきました。その部分で、ものすごくすり込みをされてきたようです。
しかし、本当にそうでしょうか。
人間は、努力しなくてはいいのではないか。
存在しているだけで価値があるのではないか。
その人が存在しているだけで、心があたたまって、優しい気持ちになれるなら、
その人は、ものすごく価値があるのではないでしょうか。
私の長女は知恵遅れです。
この子は、努力もしないし、頑張りもしない。
才能もから、頑張らなければ人間じゃないだっていう価値観からすると、
この子は価値がないことになってしまいます。
ところが、彼女が属しているクラスというのは、生徒がみんな優しい。
彼女の存在が、クラスの子をやさしくしてしまうのです。
どうしてかと言いますと、この子は、ありとあらゆる場面において、
争わないこと、戦わないこと、を本当にずっとやってきましたから。
争うどころか、自分よりも立場の弱い子を見つけては、その子を助けようとしますから。
そういう場面をクラスの子どもたちは見て、
逆に、「この子を助けてあげよう」と思うそうです。
この子が、小学校6年生のとき、3学期の通知票に、
校長先生が特別に書いてくれていたことがありました。こういう内容でした。
「6年生全員の中で、慶子ちゃんほど『ありがとう』を心を込めて言う生徒はいませんでした。」
幼い頃から、私たち夫婦がずっと「ありがとう」といって言いあってきたものですから、
娘もいつの間にか「ありがとう」を覚えてしまったようです。
彼女は「ありがとう」を言うときに、背を立てて言うことはないんですね。
ペチョーッと90度までお辞儀をするんです。しぐさがとってもかわいいんですけど、
この子が90度まで体を折って「ありがとう」って言う姿は、
本当に美しくてかわいいんですね。我が家で一番美しく「ありがとう」って言える人です。
先日も、駐車場に戻ったとき、料金所のおじさんの前を通るわけですが、
私たちがサッサと歩いていっていると、慶子だけが一人でトコトコおじさんのところまで戻って
「ありがとう」ってあいさつをしてからこちらに来るんです。
みんなあっけにとられてしまって「あー、やっぱりこの子、すごいね」って。
私たちは、料金所のおじさんのところまで行って
「ありがとう」ってなかなか言わないじゃないですか。
でも、考えてみれば料金を払う側だけど、
1時間とか2時間のあいだ、車を見てくれていたのですから、
「見てくださって、ありがとう」って彼女の目には映るわけです。
慶子を見ていると、この子は、人間が生まれながらにして持ち合わせている
優しい心を呼び起こすために生まれてきたんじゃないだろうか、と思います。
彼女は、ただひたすら、その役割で存在しているかのようです。
この子ができることは「ありがとう」って言ってニコッとする、ただ、それだけです。
でもその笑顔を見せていることによって、クラスの子どもたちは、
みんな優しい子どもたちになっていた。
同時に、この子と一緒に過ごしている小林家の人間も優しくなりました。
この子は価値がないんですか。そうじゃないですよね。
常識からすると、何かを為しとげたり、成績を上げたりすることが、
いいことのように思われています。もちろん、それも尊い才能ですが、
その人が存在していること、その人その人であることが、
周りをものすごく温かくし、穏やかにし、笑顔にする、そんな存在の人もいるのです。
人間の価値というのは、ありとあらゆる視点に立てば、
実に多様に存在しているのであって、努力することを好むのはいいですが、
努力だけが価値ではないでしょう。
基本的に、どのような形でいてもいい。
全ての人は、存在するだけで価値があるのです。
「うたしごよみ」という、私がつくらせていただいた日めくりカレンダーの中に、
こういう言葉があります。
「あなたが、この世に生まれてくれてありがとう。誕生祝いは感謝祭」
一人ひとり、そこに存在してくださっていることに「ありがとう」なのです。
能力者じゃなくてもいい。すごい功績を残さなくてもいい。
ただ、そこに、あなたがあなたでいてくれるだけでいいのです。