premaには母が二人います。

prema8歳のとき二人めの母ができました

母ははじめての出産、

そして26歳で突然8歳の子供のおかあさんになるなんて、

きっと誰も想像していなかったでしょう

prema26歳のときには、

いきなりそんな大きな子供を育てるなんて考えることができなかったな~
今さらですが、ありがとうございます


そしてpremaは普通の子供じゃありません

とってもやんちゃでにぎやか。怪獣のようです
小さなころから自由奔放でした


私のstep-motherは自分の誕生日には「お祝いだから。」と言って私に誕生日プレゼントを買ってくれる粋な女性です


両親が離婚する時、わたしは父のもとへ残ることを自分の意思で選ぶことができました

ちゃんとどうしたいか私の意思を聞いてくれたお父さん、ありがとう

そしてそれを受け入れてくれたstep-mother、ありがとう


父を選んだ理由は、

ママとはたとえ離れても離れられない強い絆があること。

私の人生の学びは父と共に歩むことでクリアすることができること。

子供ながらにわかっていたからです。
どんな人生の学びか具体的に知ることができたのはそれから20年後です。

そのころは明確にはわからなかったけど、

なぜか父といることでクリアできる!という根拠のない自信がありました(笑)


母になりたてのstep-motherはいろいろとがんばってくれました

小さなころの記憶は、手の込んだ愛情たっぷりの手料理です

のちに妹達に母の作ってくれたハンバーグ覚えてる?と聞いたら、

料理を作ってくれた記憶があるのは私だけのようです。
そこで、母は母なりに母親業を頑張っていてくれてたんだと知ることができました


step-mother のしつけは厳しくて、いつも叱られていました

premaの小学生のころの記憶は「トイレで寝かせられた。」という記憶しかありません。

原因も忘れちゃいました。
人ってすばらしいと思うのは、都合の悪いことは忘れることができる能力があることです。
自分の部屋がトイレになって二日目。とうとうお腹をくだしました。
それから精神的にまいってしまうと、お腹をこわすようになりました。
試験の日や、家族との食事会など

極度に緊張するとお腹にきます


今ではもうなんともないけどね。
チャクラが整うと、これも直ったりする!すごいな
チャクラを整えるとともに、インナーチャイルドを癒す必要もあります


この時助けてくれたのは小学校の担任の先生。

私の心と体の調子の悪さに気付いてくれて、step-motherにお手紙を書いてくれました。
手紙を読んだstep-motherはその後トイレ生活を解消してくれました。


きっとトイレで寝たのはたった二日か三日なのですが、
その二、三日が小学生のころのすべての記憶になってしまうほど

悲しい出来事でした


大人になって父とお酒を飲めるようになり、

「この時あなたは見て見ぬふりをした。」

「どうして助けてくれなかったんだ~。」と

きちんと泣きながら父に抗議することができました


私は知らなかったけど、「やめろ」とstep-motherに言ってくれていたみたい。
小さな頃の誤解は聞いてみないとわからないものだな~。と知ることができました


今では、私はどうして自分でstep-motherに「やめてください。」と言えなかったんだと

考えることができます。

そのころは相手の話そうとしていることがわかったので
頭の中でシュミレーションをして
話し合いにならないことを察知して、何も話すことができませんでした。

自分が相手が話そうとしていることがわかるので、
みんなもそういう能力を持っているものなんだと思っていました
私がこう話したら、相手からはこういう言葉が返ってくる。
お互い傷つけあうだけだから、話すのはやめよう。


premaがあんまり話をしないので、

ある日小さな個人の精神病院へ連れて行かれました

精神病院へ連れて行かれたということが、すごくショックでした

そのころはまだ精神病院の数も少なかったから


その時唯一救われたことは、その病院の先生がstep-motherに何かを話してくれて、

step-motherが涙を流しながら家に帰ったことです。

二人で何を話したかはわからないけど

病院の先生は私のことをわかってくれた~♪と安心したのを覚えています


家族の間の誤解はた~くさんあって、

妹達に謝らなければいけないことがあります。

妹達から見たらpremaは意地悪お姉ちゃんだったと

大人になってから聞きました

小さな頃はお父さんの妹がどうして一緒に住んでいるんだろうと思っていたそうです。

戸籍を見て知ったのかな。

高校生の時に知ったのかな。


premaは高校生の頃からお金を稼ぐことが楽しくて大好きでバイトをしていました。

妹達は小学生

step-motherが買ってくれないと思い込んでいた

弟が買ってもらったゲーム機と同じものを自分で買っていました。

父からもらったお小遣いは
家にすでにある同じものを買うために使っていました

だから家には同じものが必ず二つずつありました

自分で買ったものだから、妹達が貸して~。って遊びにお部屋に遊びに来ても貸しません
弟達のゲーム機は私は買ってもらえなくて、弟達が使えるもの

私のものはわたしのもの

自分でそう思い込んでいました


妹からみるとpremaはゲーム機を貸してくれない意地悪なお姉ちゃん

premaから見たpremaは愛情に飢えている誰からも愛してもらえないさみしい私
きっとstep-motherへの不満をまだ幼い子供達に、
自分より弱い立場の妹達に向けていたんだと思います

話しかけてくれても「何か用かよ」って怖い反応をしていたのかも。

妹に意地悪な怖いお姉ちゃんと言われて、妹の脳裏に浮かんだその頃の映像が私にも見えました

自分にとって都合の悪いことは覚えていなかった・・・

本当にごめんなさい


そんなことしたら、step-motherだって私に冷たくなるよね

自分で生んでいたループかも


step-motherもわが子を理解するためにたくさん話そうとしても

premaは話さない。


すべてが空回り


大人になってからもトイレでの生活のショックは消えず

家族みんなで食事をしても上辺だけの笑顔の関係に居心地の悪さを感じていました


そして今年のstep-motherの誕生日

家族になってからはじめて楽しく食事をすることができました

すごく楽しかった
心からの笑顔で過ごせました


両親の離婚なんて、誰もが経験すること
よくあることと思っていました

私はこれぐらいのことで傷ついてないもん。と自分の心に蓋をしていました

自分を癒して心の傷を修復しても話題にできるようになるまでに3年もかかりました

あのころのこれがいやだった。ってちゃんと言えるようになるまで、

本当にもう平気って胸をはって言えるまで
今日までかかりました


この家族のもとへ学びに生まれてきてよかった
この家族のもとで学べてうれしい

家族は本当に学びの協力者です


お父さん、お母さん、産んでくれたママ、本当にありがとう


家族のありがたさを改めて実感することができた母の誕生日でした