満月の夜に会いたい死者との再会を一夜だけ実現させることができる『使者(ツナグ)』の話。
頑固一徹の親父は、自分の母親に、がんの告知をせずに死なせてしまって、他の家族からずっと恨み節を言われ続け、苦しんできた。
死んだ母親との再会を果たし、告知しなかったことを詫びたが、その母親は、「あんたの優しさだったんだろ?」そして、「私の人生は幸せだった。苦しかっただろう?そんなこと、一人で背負って。」と誰よりも理解してくれていたことが分かり、中年の息子の涙と私は共にした。
結婚を約束していた美女が突然失踪し、死亡扱いできる7年間も待ち続けた若者。
彼女は本当に死んでいた。
再会を果たし、その彼女は「あんなに幸せな時間はなかったよ。」と感謝の言葉。
夜更けになり、たわいもないやり取りから戯れあい、その中で、どうしようもなく悲しくなりお互い強く抱きしめ合う場面で、またしても私は涙が堪えきれなくなった。
死者との再会を仲介する「ツナグ」。
後継者である若い主人公の両親は、幼い時に心中のようにして同時に亡くなった。
愛し合い優しかった両親がなぜ死んだのかがずっとトラウマだった。
父親も当時「ツナグ」であり、死者の仲介の際に用いる特別な鏡を、他者に覗かれたら、覗いた本人とツナグの二人が同時に死ぬという規則がある。
亡くなった父親からツナグを差し戻し担っている祖母は、当時、父親に対してツナグであることを家族に対してすら教えてはいけないと指導していた。
ツナグの仕事の中で、依頼人の若い女性と二人だけの空間になることもあり、その現場を知人が見つけ、浮気の噂が流され、母親もそれを疑い、大事にしている鏡を覗いてしまったのだと、祖母が語りながら泣き震えていた場面。
それに対して、主人公が祖母に言った。
父親は祖母の指示をこっそり無視してツナグであることを妻に話しており、その一方で怖がらせないように鏡の話は妻に話していなかった。
ゆえに、母親が浮気を疑うことなどなく、むしろ、不仲のまま亡くなった祖父に母親が夫を会わせてあげようとして鏡を覗いてしまったのだと。
「ばあちゃんのせいじゃないよ」と。
「死者が抱えた物語は生きて残されたもののためであってほしい。
今、目の前にいるばあちゃんの震えを止めるために。」という主人公のナレーションもつき、深い感慨を覚えた。
彼は、祖母に、親との再会を求め、死んだ理由を尋ねるという選択をしなかったことがポイントだ。
理想的には、ツナグにお願いする必要性を覚えない人生や考え方が望ましいのだろう。
生きて残されたもののために死者が抱えた物語を必要に応じて解釈や再編集することが大切なことも多いだろうから。
私は、ツナグにお願いして、誰に会おうとするだろうか。
妻が通常の疾病で私の看取りの下で亡くなったら、ある意味それを糧に、私はひたすら前を向いていきそうだ。
再会しても、普段の生活で寛ぎながら話す程度しか話すことがないかもしれない。
死後の近況報告なんて既に死者は知っていることかもしれないし。
色々考えると、結局、会っても話すことないかもってのは、案外、一番幸せなことなのかもしれない。
会いたいと思わない、特段、話したいと思わないということ。
そう思えるよう、普段、一緒に、大切な時間を過ごしていきたいと思った。
まぁ、とりあえず、そう思っておく。