スコ猫くまきち日和+ -2197ページ目

マスコミは人間じゃない

木村剛さんのブログを読んで、胸が詰まった。
10月30日付けの『これが新潟県中越地震の真実だ!』 で、被災地を荒らす報道陣の横暴がこれでもか、これでもかと紹介されている。

わたしにも経験があるからだ。
被災者としてではなく、取材者として。
また、古い話になる。
1986年11月21日、伊豆大島の三原山が大噴火した。
流れ出る溶岩がゆっくりと居住区へ迫るなか、
全島住民1万人が一斉に島から避難したことがあった。
避難民の方たちは、都内に点在する都の施設にもうけられた避難所で、
長い避難生活を送ることになる。

このときも連日、マスコミは報道合戦を繰り広げた。
噴火のシーンはパニック映画にまさるとも劣らない迫力だった。
大迫力で息を飲み、恐怖に震える島民たちの避難所生活に同情をよせる。
それが、災害報道だった。
今の新潟中越地震での状況となんら変わりなかった。

わたしは女性週刊誌の記者として、避難所を回った。
週刊誌は、テレビ、新聞に比べれば速報性で負ける。
記者クラブに入れないから、情報が来るのも遅い。
新聞、テレビを見てから現場に向かうということになる。

そのときの経験と反省は『じつは避難所体験がある』で、すでに書いた。
でも、わたしにとって印象深かったのは、ひとりで行ったある島民の方の取材のほうだ。。

年齢は50代後半ぐらいの方だったろうか。
全島避難のあとまで島に残り、
年老いた母親と隠れていたと報道された方である。
最終的には自衛隊のヘリコプター(だったと思う)で救助され、
都内の避難所に収容された。
病弱だったお母さんは体調を悪くされ、病院へ運ばれた。

まだ真新しい施設だったその避難所は、スポーツセンターの体育館に比べても環境の良い場所だった。
畳の部屋だったし、布団も積み上げられていなかった。
部屋のほぼ中央のあたりに、その男性はひとりポツンと座り込んでいた。
他の避難者たちからも少し距離を置かれているのか、一人だった気がする。
いや、かなり古い記憶だから記憶違いかもしれないけれど……。

名刺を出し、挨拶をした。
男性は身体を斜めに背中をみせる格好で、こちらを向こうとしない。
チラリと名刺に目を走らせ、黙り込み、しばらくして向き直ると
開口一番こう言った。

「あんたらマスコミは、人間じゃない!」

まっ赤に充血した目に怒りが燃えていた。
あれほど怒りに満ちた目を、わたしはそれまで見たことがなかった。

「すみません」

としか言えなかった。
とにかく彼の怒りがおさまらない限り、話にならない。

「俺は、あんたらに話すことなんて何もない」

彼はまた背を向けた。
ヒザに置いた握り拳が震えていた。
くどくどと、取材の要旨を説明したと思う。
「けっして興味本位ではなく……」と、半分ウソだよなぁと思っているコトバも吐いたと思う。
しばらくすると、彼はもう一度向き直った。

「テレビも新聞も雑誌もみんな同じだ。あんたらマスコミは、みんな鬼だ!」

吐き捨てるコトバが胸にささった。

雑誌記者をしているとこういう場面にはけっこう出くわす。
相手の言うこともよくわかる。
わたしに会う前に、この人たちはいったい何人のマスコミに同じことを聞かれ、その都度、裏切られ傷つけられる思いを味わってきているのか。
木村剛さんのブログで被災者が書いていることは、たぶん、どの災害でも共通し起きていることだと思う。
だから、みんなうんざりしてしまう。
マスコミなんて信じられない。
被災者、避難者がそんな気分になっている時、週刊誌が出向くので、
不満の矛先を当然、受けるハメになる。

わたしはテレビじゃないし、新聞じゃない。
ヒドイことしたのは、わたしじゃないんだけどな、と
心のなかでつぶやきながら、全マスコミを代表してあやまった。
畳に正座し、手をついて、土下座状態だ。
「困ったな」と、思っていた。
どうしたら許してくれるのか。
許してはくれないだろうけれど、すでに港区スポーツセンターで失敗しているわたしは、このおじさんの話がとれなければ、ろくなデータが書けなかった。
そんな下心も、さんざんイヤな目にあったおじさんにはお見通しだったことだろう。
わたしが困ったって、おじさんにはとっては知ったことじゃなかったはずだ。
それでも少しずつ、
おじさんの気持ちが変わっていった。

「あんたね、まだ、若いからそうかもしれないけどね」

口調が少しだけ優しくなった。
20代のかけだし女性記者は、こういう部分で有利だったのかもしれない。
叱っているうちに、ちょっとかわいそうになってくれたのだろう。
男性記者は罵られ、水をかけられることだってあるそうだ。
わたしには、そこまでひどい経験はない。
あれだけ怒っていたおじさんも、徐々に怒りの矛先をおさめてくれた。

「どっちにしてもそんな仕事、早く辞めな。悪くなるよ、人間。
気がついたときは鬼になってるよ。自分じゃ気がつかないうちにね」

そして、おじさんはいかに島でマスコミにひどい目にあったかを話してくれた。
話すうちには再び怒りがこみあげてくるのか、おじさんの目がまたギラギラと赤く光った。
それでも最後まで、わたしの目を真っ直ぐ見ながら話してくれたのだった。

島から避難しなかったのは、病弱な母親のたっての願いだった。
「わたしはここで死ぬからいい」と、言い張った。
そんな母親をひとり残していけるわけがない。
全島避難が決まると、おじさんは雨戸をしめ、ひっそりと家にとじこもった。
いざとなったら母親とふたり、島と運命をともにする覚悟だった。
ところがしだいに取材に入っていたマスコミの姿が目につきはじめた。
最初は外から声をかけてくる。
息を殺していると、そのうち窓をこじあけようとする。
なかには、ドアを破って侵入し、
「いたぞーっ!!」
と、土足で家に上がり込んでくる輩もいたそうだ。

「土足だよ、土足。人のうちに土足であがりこんでさ。こんちは普通に暮らしてるっていうのにさ。いったい俺が何をしたって言うんだ。ただ、避難しなかったというだけじゃないか」

おじさんの拳はまた震えた。

おじさんは、お母さんをみつかりについところに寝かせ、外に出た。
すると、背後から声がする。

「あっ、あそこだっ!!」

「いたぞー! あそこにいる!!」

誰かが大声でそう叫ぶ。
振り向くと、マイクやカメラ、メモを片手に報道人が集まってきて、
おじさんを追いかけはじめた。
おじさんは逃げた。
報道陣は大挙して、たったひとりのおじさんを追った。
そして、興奮気味に、レポートする。
いかにも自分が手柄をたてたというようなその口ぶりも、おじさんを傷つけた。

「人を犯罪者扱いしやがって。まったく、あんたらマスコミはどうかしてる」

言いたいことをすべてぶちまけると、おじさんの目から怒りが消えた。
あとは深い脱力感で、おじさんはぐったりして見えた。
避難からまだ日が浅い。
すっかり痩せこけたおじさんの体に疲労が滲んでいた。
わたしはそっと頭をさげ、お礼を述べて避難所をあとにした。

あれからもう20年近くが経つことになる。
しかし、状況はあのときも今もまったく変わっていないのだ。
今でも災害が起きると、あのおじさんの目を思い出す。

「あんたらマスコミは人間じゃない」

と言った、おじさんの声を言葉を思い出す。
わたしたちマスコミは何なのか。
おじさんの言葉がつきささる。