今日はデイの日、
最近の婆は、依頼心が増して、何時も側にいることを要求されますが、
多少の波は有るものの、極端に不穏になることもなく安定した日々で、
ブログネタが余りありません。
で、
少し婆の認知症について振り返ってみたいと思います。
(時々ですけど)
元々私達の言うことに耳を貸さない性格では有ったのですが、60代
後半に爺を送ってからは、天下を取ったような言動が目立ち、お寺さ
んの言うことが絶対で、少しでも私達が意見を言おうものなら、何十倍
にもなって帰って来ていました。3~4年間は、毎日お寺さんにお参り
し、仏さまの御飯も、必ず朝に具えていました。朝に御飯を炊かないと
きは、小さな土鍋で仏さん専用に御飯を炊いていました。
70代前半のころは、拘りは有ったものの、特に異常な行動もなく過ご
していました。
当時の私はというと、
勤務先では、工場の主の様な立場で、現場作業は勿論のこと、生産管
理、品質管理、設備管理、安全管理など総てについて責任者的な立場
で、最終的な決断を下すような立場となっていて、平日は22時以降に
帰宅する事は当たり前のことで、時に徹夜作業もあり、さらに他部署
の、設備の一部のトラブル処置なども行っていました。
作業現場の仕事は、組み付け後の総重量10T~15Tの金型製作で、
力仕事と、一平方メートルで歪百分の一~百分のニとか、時にはミク
ロンの精度が求められるような繊細な作業が混在していて、気力と、
集中力が要求され、家庭を顧みる余裕さえない様な状態でした。
今振り返ってみると、仕事を言い訳に家庭をおろそかにしていた様に
思います。というより逃げていたんですが。
今話題のスカイツリーも一見しただけでは分りませんが、建設時には、
ミクロン単位の精度が求められ、見た目とは違った繊細な技術の結集
なんですよ。
今、婆の介護で、何とか穏やかに過ごせているのも、そうした積み重ね
が役に立っているような気がします。
横道にそれてしまいました。本題に戻ります。
そんな生活の中で、婆が80歳近くになってこだわりが強くなり、日曜日
に土 鍋で御飯を炊いているときに、火が消えていたり、焦がしたりする
ようになって、チョット注意すると猛烈な勢いで言い返していました。
畑で野菜を作るのが楽しみで有ったのですが、この頃から段々異常に
物に執着するようなって、連作障害で、固くって小さなナスもすべて取っ
て来て、とても食べられそうにないのに、食べないって怒っていました。
妻は、少しでも食べれるところをよりだして食べていたんですけど、
婆は、近所の人に「ちょっともたべてくれへん」と訴え、よく近所の人に
「おまはんら、おばあさんの作った物チョットも食べへんそうやな」と、
言われたものです。
たまの日曜日には、婆を温泉などに誘ったりしていましたが、
「いかへんで、いっておんさい」と言って一緒に行くことを拒否することが
多かったのですが、近所の人には、「自分たちだけ行って、チットモ連
れて行ってくれへん」と訴えていました。
元々仲の良い親子関係では有りませんでしたから、お互いに無視し合
う事が多かったように思います。
当時の私は、認知症の知識も皆無で、年をとれば何所かボケて、おか
しな行動が出てくることは当然のことと考え、無責任になるようしかなら
んと思い、そうなったらなったで考えようと思っていました。
まだまだ先の心配より、仕事に夢中でしたからね。
次回始まりのころを書きたいと思います。
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