「もう、生きた心地がしなかった!」

 

 

って言ったり思ったりしたことはないだろうか。

 

 

 

 

私は何度かある。

 

 

 

思いつくのは、我が子が小さかった頃、

一緒に買い物や遠出をして見失ってしまったとき。

 

青ざめて、冷や汗がでるし、心臓はバクバクと動悸をうつ。

不安と心配で、心ここにあらずで、ソワソワとする。

 

 

そして、我が子を無事見つけたとき。

言ったような気がする。

 

「もう、生きた心地がしなかったわ!!!チーン

 

 

と。

 

 

 

 

最近になってね、ふと思ったんです。

 

 

 

 

「生きてる心地」って、じゃあ、何?

 

 

 

不安や心配でたまらないときに

生きた心地がしないというのなら、

その反対で、安らぎと安心に満たされたときを、

「生きた心地がする」というのだろうか?

 

 

 

でも人は、例えばお風呂に入ったとき、

気持ちがいい~と感じるとき、

 

「あー、天国♪照れ

とか

「極楽極楽」

とか言うじゃない?

 

 

つまり、幸せな感覚や場所は

「天国」や「極楽」にあるわけだ。

 

 

だからね、そこで私はこう考えたんですよ。

 

 

私たち、生まれる前は天国にいて、

そこから生まれ変わってきたんだとしたら。

 

 

私たちは、元々、幸せで、極楽な状態だったわけだ。

 

 

で、そこから

「不安」や「心配」や、その他色んな

「天国」にはない、感情がイベントとして沸き起こってくる

この「現生」に生まれてきたのでしょう。

 

 

「天国」が死んでから行くところで、

この世が「現」在、「生」きているところ、「現生」なら。

 

 

 

「天国」や「極楽」には無い感情を味わう、

つまりこの「不安」や「心配」や、(他にも例えば「恐れ」や「恥ずかしさ」や、

「嫉妬」や「後悔」や・・・)

生きてるときにしか味わえないだろうこの感覚こそが、

 

 

 

「生きた心地」

 

 

 

と、呼ぶのではないかしら??!!

 

 

 

 

 

とね。

 

 

 

 

 

 

だったら。

今までももう、めちゃくちゃ「生きた心地って」、

味わいまくってる。

 

 

そして、最近はもう、思うんです。

 

 

これからどうなっちゃうんだろう? とか、

もしかして病気かも? とか

大切なものを失くしたかもしれない!?とか

 

不安なトラブルが起こったり、

それによって心が乱されそうになるときに、

 

 

 

「あーーーーー、こわい!

こわいけど、私。今、生きてるなーーーーっっっ笑い泣き笑い泣き

 

 

って。

 

 

 

 

 

 

 

話はガラリと変わってしまうかもしれないけれど。

 

21歳の頃、将来のことや、恋愛や、仕事や、

色んなことで悩みまくっていた私が、

奈良県の天川村にある

天河大弁財天社に行ったときに。

 

 

そのとき初めて、神様の声を聴きました。

 

 

手を合わせながら、

「せっかく生まれてきたのに、

こんなに悩んでばかり、苦しんでばかり。

命を与えてくれた親にも、神様にも申し訳ない。

生まれたことを後悔するような出来事ばかり。

こんな生き方しかできない私はダメだ。

 

幸せになるために、生まれてきたのに。

ちっとも幸せを味わえていない。

 

生きるって、なんだろう?

生きてる意味が分からない。。。ショボーン

 

 

と、祈りながら、悲しくて涙が溢れてきていました。

 

 

 

すると、

 

 

 

それでいいんだよ。

 

悩んで、苦しんで、それこそが

「生きている」あかし。

 

いずれ、あなたにも

「生きる」ことの本当の意味が分かる日がくる

 

今は、そのままで

それでいいんだよ

 

 

 

 

はっきりと、私の意志とは別のところから

言葉がするすると頭の中に沸き起こってきたのです。

 

 

 

その瞬間、パっと目を見開いて、

祀られている鏡を見上げながら、

こみ上げるようにボロボロと大粒の涙を流していまいました。

 

 

 

 

私はそれまで、

自分は

 

「幸せになるために、生まれてきたんだ」

 

と信じていました。

 

 

 

だから、幸せを感じられない自分はダメなんだと。

幸せに生きなければならないと。

どんな出来事にも感謝ができないから、自分はダメなんだ、とか。

自分に言い聞かせていた。

 

 

 

そのとき、神様はそのことも指摘されました。

 

 

 

そうではない、と。

 

幸せにならなければ「いけない」

ということではない

 

 

 

 

だから、

びっっっっくりしたのです。

 

そんなこと、誰からも言われたことがなかった。

 

親でさえ、

「有難い」とは「難」が「有る」と書いて、「ありがたい」と読む、

何事も、感謝だ。

とか言う人でしたから。

 

 

 

そのときは、

 

本当にそうなの??!!ポーンポーン

と、思う気持ちと、

でも

「それでいい」と言われたことへの

安堵感とで、

ただただ、心が休まる思いがして、涙が溢れたことを覚えています。

 

 

 

本当の意味で、生きることがどういうことか、

分かる日がくる。

 

 

 

そう、結論を未来に投げられたので、

とりあえず先になったらわかるんだな。

今はこのままでいいんだな、って。

 

 

 

 

あれから、20年以上の月日が過ぎ・・・

 

 

 

弁財天様。

 

 

 

いま、私、分かります。

 

 

 

私は幸せになるために、生まれてきたのでない。

なぜなら、すでに幸せ(天国にいた)だった。

 

だから、天国では味わえない思いを味わうために、

今、ここに生きている。

 

それは、「負(マイナス)」の感情だけとは限らなくて。

 

 

温泉のあとの水風呂→からのサウナ、みたいな。

(実際は水風呂なんて冷たすぎて入らないけど)

 

極楽からの地獄

てっぺんからの急降下ジェットコースター

 

色々混ぜこぜで、変化があって、

大きく眺めると、それはまるで四季の移り変わりのようで。

 

 

朝露を浮かべた新芽

さわさわと風にそよぐ若葉

日差しをうけて大きく広げる青々した葉

黄金色に染まる紅葉

優しく軽やかに舞い、落ちていく葉

銀世界のなかで、

全てを無くして、静かに何かを待つような佇まい

 

 

そう、きっと、最後には

全てが色鮮やかに美しくなる。

 

そのことを、私の魂は知っていたんだと思う。

 

 

 

 

だから安心して

不幸をする

 

 

 

不幸は、「なる」んじゃなくて。

 

元々もう「幸せ」だったから、命を与えられているんだ。

 

 

だから、その幸せをもっと輝かすために、「不幸せ」をする。

 

 

 

 

 

不登校の息子も、

認知症の母も、

手のかかる3歳育児も、

 

 

 

どんとこーーーーーーーーーーいウインクグッ

 

 

 

味わいつくして、

また幸せに還っていくだけさ。

 

 

 

なんなら、

もっともっと、味わいたい

(めいいっぱい生きたい)

 

 

 

 

 

 

人生はそうだね

おいしいサンドイッチを作る作業に似ている

 

シンプルに(経済的に)

キュウリしか入れられないときもあれば笑い泣き

時には、ゴージャスに、こってり照り焼きチキン♪キラキラキラキラ

ほんのりあまくした卵もいいかな?

さっぱりしたトマトや、

ピリ辛なマスタードや、

シャキッとレタス

 

入れすぎたマスタードに頭を痛めながら、

私はそのたびに、

 

 

「生きた心地するわ~爆  笑ルンルン

 

 

 

とか言いそう。(←あぶないやつ笑い泣き