セカンドオピニオン。
一番最初に病院でこの言葉を使ったのは
B病院で告知を受けたあと。
詳しい説明もなく抗がん剤一択、即入院、
即治療という流れに私は納得できなかった。
「あくまでも延命のため」という前置きが
つくなら尚更のこと。
今思えば医師からすれば当然の成り行き
なのだろうけど
突然降りかかった経験のない災いで
更にそれがのっぴきならない状況だと
言われて混乱している時にあまりに
大雑把な話だった。
だから思わず抗がん剤を含めたとしても
他にも何か手を尽くせることがあるのではと
疑心暗鬼にもなってセカンドオピニオンを
受けたいと口に出してしまった。
医師はその話以前に治療は地元の病院でも
いいと思うと何度か言ってはいた。
でもセカンドオピニオンの件では何故か
使う抗がん剤の相談をするのにおすすめ
という都内の病院を紹介された。
もうその時点で齟齬が生じていた。
結局セカンドオピニオンを受けたのは
5クールの抗がん剤治療を受けたあとに
もう何もすることがないと言われてから
だった。
本来の意味とは違うセカンドオピニオン。
ここまでが前置き。
実際には息子と一緒に3人の医師から
セカンドオピニオンを受けた。
どの医師も丁寧で親切だった。
3人の医師のうち2人はA病院の違う科の
医師だった。
それぞれにとても真摯に息子と向き合って
くれて色々な知恵も授けてくれた。
すぐに治験の話も提供してもらえた。
それに他の病院にもセカンドオピニオンを
受ける予定であることを伝えたところ
ぜひその病院と掛け持ちしてかかるように
勧めてもらえた。
ただ結果的には悪い話にはならなかったが
予約を取る際にB病院の看護師の思い込みで
A病院のコーディネーターを巻き込んで
ひと騒動があった。
電話での慇懃無礼な態度は今でも許し難い。
この件のあと露骨に無視をした看護師は
自分に疚しいところがあったからだろう。
そしてもう1人の医師はアメブロで自身の
闘病を書いていた人のおかげで辿り着いた
著名な医師だった。
この先生のおかげでこの後また新たな
心強い医師の方々、看護師さんに繋がれた。
そういう意味ではセカンドオピニオンは
とても意味のある実りあるものだった。
最悪の中での最善。
これらのセカンドオピニオン以外にも
私達両親だけで相談にも行っていた。
専ら私主導ではあったけれど夫も納得して
同行してくれた。
ひとつは緩和専門の医師。
もうひとつはハイパーサーミアを
行なっている医師。
余談でB病院の対応が常識的なのか知りたくて
尋ねるとそんなことは決してないと言われた。
でもがんの治療というのはケースバイケース
とにかく一筋縄ではいかないと実感した。
標準治療と自由診療、その狭間に位置する
ハイパーサーミア。
がんは情報戦という言葉を思い出す。
全てが初めての経験だった。
無我夢中だった。
指が腱鞘炎になる程スマホで夜な夜な調べ
本屋やアマゾンで大量の本を買って読んだ。
息子と同じ病名は検索しても殆どヒットしない。
しても論文か1人の途中までのブログだった。
どうしてB病院の医師とは
セカンドオピニオンの医師のように
きちんと向き合ってくれるような
状況にならなかったのか。
どうしてコミュニケーションがうまく
取れなかったのか。
だからこそ後半戦ではいい医師達と
巡り会えたのか。
考えだすと堂々巡り。
でもやっぱり息子に申し訳ない。
何をどうしても、何がどうであっても
闘病を思い出すと謝ることしかできない。
本当にごめんなさい。
手を握りたい。
一番最初に病院でこの言葉を使ったのは
B病院で告知を受けたあと。
詳しい説明もなく抗がん剤一択、即入院、
即治療という流れに私は納得できなかった。
「あくまでも延命のため」という前置きが
つくなら尚更のこと。
今思えば医師からすれば当然の成り行き
なのだろうけど
突然降りかかった経験のない災いで
更にそれがのっぴきならない状況だと
言われて混乱している時にあまりに
大雑把な話だった。
だから思わず抗がん剤を含めたとしても
他にも何か手を尽くせることがあるのではと
疑心暗鬼にもなってセカンドオピニオンを
受けたいと口に出してしまった。
医師はその話以前に治療は地元の病院でも
いいと思うと何度か言ってはいた。
でもセカンドオピニオンの件では何故か
使う抗がん剤の相談をするのにおすすめ
という都内の病院を紹介された。
もうその時点で齟齬が生じていた。
結局セカンドオピニオンを受けたのは
5クールの抗がん剤治療を受けたあとに
もう何もすることがないと言われてから
だった。
本来の意味とは違うセカンドオピニオン。
ここまでが前置き。
実際には息子と一緒に3人の医師から
セカンドオピニオンを受けた。
どの医師も丁寧で親切だった。
3人の医師のうち2人はA病院の違う科の
医師だった。
それぞれにとても真摯に息子と向き合って
くれて色々な知恵も授けてくれた。
すぐに治験の話も提供してもらえた。
それに他の病院にもセカンドオピニオンを
受ける予定であることを伝えたところ
ぜひその病院と掛け持ちしてかかるように
勧めてもらえた。
ただ結果的には悪い話にはならなかったが
予約を取る際にB病院の看護師の思い込みで
A病院のコーディネーターを巻き込んで
ひと騒動があった。
電話での慇懃無礼な態度は今でも許し難い。
この件のあと露骨に無視をした看護師は
自分に疚しいところがあったからだろう。
そしてもう1人の医師はアメブロで自身の
闘病を書いていた人のおかげで辿り着いた
著名な医師だった。
この先生のおかげでこの後また新たな
心強い医師の方々、看護師さんに繋がれた。
そういう意味ではセカンドオピニオンは
とても意味のある実りあるものだった。
最悪の中での最善。
これらのセカンドオピニオン以外にも
私達両親だけで相談にも行っていた。
専ら私主導ではあったけれど夫も納得して
同行してくれた。
ひとつは緩和専門の医師。
もうひとつはハイパーサーミアを
行なっている医師。
余談でB病院の対応が常識的なのか知りたくて
尋ねるとそんなことは決してないと言われた。
でもがんの治療というのはケースバイケース
とにかく一筋縄ではいかないと実感した。
標準治療と自由診療、その狭間に位置する
ハイパーサーミア。
がんは情報戦という言葉を思い出す。
全てが初めての経験だった。
無我夢中だった。
指が腱鞘炎になる程スマホで夜な夜な調べ
本屋やアマゾンで大量の本を買って読んだ。
息子と同じ病名は検索しても殆どヒットしない。
しても論文か1人の途中までのブログだった。
どうしてB病院の医師とは
セカンドオピニオンの医師のように
きちんと向き合ってくれるような
状況にならなかったのか。
どうしてコミュニケーションがうまく
取れなかったのか。
だからこそ後半戦ではいい医師達と
巡り会えたのか。
考えだすと堂々巡り。
でもやっぱり息子に申し訳ない。
何をどうしても、何がどうであっても
闘病を思い出すと謝ることしかできない。
本当にごめんなさい。
手を握りたい。