日当たり良好。

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自然食、プチ農、ターシャ・テューダ、東洋医学、鍼、整体、瞑想、ハタヨガ、レイキなど



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プラナヨガOneDayセミナー 


 


 

 19世紀から20世紀にかけて活躍した心理学者のS.フロイトは、人間の心の奥底に広大な無意識の領域を発見しました。さらにその弟子であったC.G.ユングは、無意識の領域のさらに奥底には人類共通の意識があると主張し、それを“集合無意識”と呼びました。

 西洋の世界で数百年前に発見された無意識の領域は、じつは東洋の世界では数千年も前に発見されていました。さらに東洋の世界では、心の最も深層にある意識をも発見し、それを“純粋意識”あるいは“プルシャ”などと呼びました。

 本来“ヨガ(Yoga)”とは“結合、結び付ける”の意味があり、瞑想によって私達の通常の意識を、この心の最も深層にある純粋意識に結びつけることをいいます。本来ヨガとは瞑想を指しているのです。

 純粋意識に到った時、人は愛、至福、知性、創造性、完全性、安定性、永続性などと溶けあいます。その結果、私たちの日常の人間関係、仕事、健康などの問題が、自然でより良い方向へと変化していくのです。それは私たちの思い、言葉、行為が純粋意識の影響を受けて、より自然で愛に満ちたものに変化するからです。

 このセミナーでは深い瞑想に入りやすくするために、簡単な身体的ヨガ(アーサナ)を行って体の歪みを取り、その後ビジャ(種子)・マントラを用いた瞑想を行い、私たちの意識を純粋意識に導きます。

 初めて瞑想に触れたい方、ストレスの解消をしたい方、人生の流れを変えたい方、人間関係に困っている方、より健康で豊かな生活を送りたい方など、是非このセミナーにご参加下さい。


日時:10月5日(日)10:00-16:00

場所:【21世紀の森】森のホール3F 小会議室2
   千葉県松戸市千駄堀646番地の4

   最寄駅 JR武蔵野線「新八柱駅」、新京成線「八柱駅」下車、徒歩15分。
   または新京成バス小金原団地行・北小金駅行5分「公園中央口」下車。

参加費:お一人様15,000円
    ・早割りお一人様13,000円(9月20日迄にお振込みの場合)
    ・ペア割りお一人様12,000円

持ち物:ヨガマットまたは大判タオル。
    動きやすい服装(体を締め付けないもの)。

申し込み:まずはメールかお電話でお申し込み下さい。
     ご連絡を頂いた後に、振込み先をご連絡させて頂きます。
     ご入金を確認した時点で、ご予約完了とさせて頂きます。

     TEL 090-4000-2800
     E-mail prana_work@infoseek.jp

     (上記のメールアドレスはスパム防止のために、 アットマークを大文字にしてあります。) 

     氏名・年齢・性別・住所・電話番号・メールアドレス・振込み予定日を
     明記してお申し込み下さい。  【プラナヨガ研究会】

東京・三宿にある行列のできる印鑑屋さん。


私がここで印鑑を作ってもらってから、5年近くなるパンダ



妻が独身のときにお世話になったらしく


おじさんに様々なことを、直感で当てられたらしい。


私は結婚して印鑑を新しく作るつもりでいたので、


妻がいろいろ当てられた、そのおじさんにも興味があり、


山本印店のお世話になることにした。


値段も手頃というし…。



ちなみに、


山本印店は、その当時もすでに有名であったが、


今はさらに人気のようで、


電話で予約を取ろうにも、繋がることすら稀のようだ。



5年前はとりあえず電話をすれば繋がったし、


予約も取れた。



お店は三宿交差点の近くにあり、ものすごく目立つ色の、


しかし小さな建物だった。


ガラガラっと戸を開けると、中は三畳ほどのスペースで、


とても静かな空間で、何かいい香りが漂っていた。


そこに白髪ロン毛おじさんと娘さんらしき人がいた。


一見とっつきにくい感じのおじさんだが、話し出すと、


内面の優しさがにじみ出てくる感じ。



初めにこれまで使ってきた印鑑を見せろという。


また、紙に氏名と生年月日を書けともいわれた。


おじさんは持っていった印鑑を手にして、


材質や文字、印鑑の汚れなどを、


細かくチェックをしているようだった。


しばらく印鑑を見ながら、おもむろに話を始めた―――。(夫)












最近テレビをつけると、暗いニュースが多いしょぼん


さっきも夫が妻を溺死させた事件が報道されていた。



多くの事件を見ると、親子関係や夫婦関係が悪化し、


不満、怒り、嫌悪などが生まれて、


さまざまな事件に発展しているように思う。



恋人達が婚姻を結び夫婦になった時、


至上の喜びを感じ、


お互いを大切にしたいと思ったに違いない。


初めて子が産まれたとき、


泣きじゃくる我が子を見て、親は歓喜したに違いない。


でも、いつしかその喜びを、人は忘れてしまう―――。



この世を生きるということは、


本当に大変なことだ。


さまざまな問題が幾つも幾つも出てきて、


それらに対応していかないといけない。


自分の思い通りにならないことの方が多い。




エゴを通せば、そこに軋轢が生まれ、


さまざまな争いになることがある。


人はエゴを持つ生き物だ。


ある意味それは、仕方がないことだろう。



でもほんの少しでも、幸福を手にしたときの


あの喜びを思い出すことが出来たらどうだろう。


愛の視点を持っていたならどうだろう。


もしかしたら争いの幾つかは、


避けることができたかもしれない。



生きているという事実を、人は普通のことだと感じる。


しかしそれは、とても奇跡的なことだ。


さらに人と人とが出会う奇跡。


子供を授かるという奇跡。


本当は、すべてが神聖なものではなかろうか。



でも私達のエゴは、それを当たり前のこととして感じる。


時間が経つにつれて、


いつしかお互いの存在を当たり前のように感じ、


自らのエゴを通すので一生懸命になる。


自分に非はない、相手が悪いといい、


争いが生まれる。



争いの背景には依存がある。


愛して貰いたいと願う利己愛がある。


一緒に暮らす時間が慣れを生み、


私達のエゴが肥大するのだ。


あの時の喜びを忘れて―――。



しかし人は一人で生まれ、一人で死んでゆくもの。


親子であろうと、当然夫婦でも、個々の人格だ。


決して自分の思い通りにはならない。


その前提を忘れてしまい、依存し始めると、


その関係が崩壊し始める。



お互いが相手の思考や人格を尊重し、


その出会いに、誠の感謝の心が生まれたとき、


きっと多くの争いが止むことだろう。



私達に足りないのは、


「愛」という視点、


そして「感謝」する心ではなかろうか虹(夫)