はじめまして 文章ヘタですがよろしくお願いします。
母を許せない自分がいる‥
昔は母は憧れの人だったのに‥親に憧れるって変かもしれませんが私にとって憧れの人でした。
なぜ憧れの人だったのか‥それは一緒に住んでいなかったから‥
私が何歳だったのか知らないけど親は離婚し、中学生まで祖父母に育てられました。
母は男の人と暮らしていて月に1回程度、私に会いに来てたと記憶しています。
私はその男の人が苦手でした。毎年お正月にその人が家に来ることがとても苦痛でした。狭い家だったので逃げ場がありません。友達は家族と過ごしていてどうしようもなかったんです。
母が来るとうれしかった。でも甘えることはできませんでした。こうしたいとか言えませんでした。ただ、ただ憧れの人だったんです。
学校には一緒に住んでいることになっていたので母は家庭訪問に合わせて家に来ていました。
授業参観は一度も来たことはなかったです。授業参観の日時すら母は知らなかったと思います。
遠足の日も知らなかったと思います。小学校3年の時、山登りの遠足がありました。服装はズボンと指定されていました。私はズボンを持っていませんでした。仕方なくスカートで行くと男子にからかわれました。4年生も山登りの遠足がありました。祖母のズボンをはいて行きました。
小学校でパペット(人形)を作成するので肌色のストッキングを持ってくるようにと言われました。家には肌色がなかったんです。仕方なく灰色のストッキングを持っていきました。その時もとても恥ずかしかったです。
きっと祖母にも甘えたりできなかったので必要なものとか言えなかったんだと思います。
母とおでかけして何かほしいものある?と聞かれても本当はほしいものがあっても
いつも『わかんない』としか言えなかったです。自分の意見が言えなかったんです。一度だけ このスカートがほしいと言ったおぼえがあります。母に『そんなのがいいの?』とか返答されるのか怖かった。無事買ってもらえました。
小学校高学年になると祖母に
「どうしてお母さんと暮らせないの?」と度々泣いて困らせていました。
祖母は
「お母さんは厳しい人だから一緒に暮らしたら大変だよ」
と私をなだめていたのを覚えています。そう言うしかなかったのだろうなと思っています。
卒業式に着ていく服に困りました。祖母のジャケットにスカート、ブラウスは普段着ているもの、それにコアラのベストを着ていきました。卒業写真には母も写っています。母はちゃんとした服着てるのにどうして私には用意してくれなかったのかと疑問が残っています。
つづく