そもそも享保のむかし服部南郭
はっとりなんかく
が一夜月明
げつめい
に隅田川を下り「金竜山畔江月浮
きんりゅうさんはんにこうげつうく
」の名吟を世に残してより、明治に至るまで凡
およそ
二百有余年、墨水
ぼくすい
の風月を愛してここに居
きょ
を卜
ぼく
した文雅の士は勝
あ
げるに堪えない。しかしてそが最終の殿
しんがり
をなした者を誰かと問えば、それは実に幸田先生であろう。先生は震災の後まで向嶋の旧居を守っておられた。今日その人はなお矍鑠
かくしゃく
としておられるが、その人の日夜見て娯
たのし
みとなした風景は既に亡びて存在していない。先生の名著『言
らんげん
長語』の二巻は明治三十二、三年の頃に公刊せられた。同書に載せられた春の墨堤
ぼくてい
という一篇を見るに、
「一、塵いまだたたず、土なほ湿りたる暁方