幼少期とかって、あまり良い思い出がない。
っていうか、思い出したくもない事ばっかだな、
けど、このブログでは正直に回想してみる。
一人っ子で生まれ、不自由まるけで育ちました。
とにかく家は金がなかったなー。
父親は大工で、酒もタバコもやらない仕事一本の人、
なんで金がないかっていうと、父親が職人仲間の保証人になってから。
お約束でそいつが飛んでからがもう大変。
吉本新喜劇のヤクザの役みたいな奴が、ホントに家にくるから。。
母親は結構大きな病気で入退院繰り返して(これもお金がかかる原因)
父親も病院につきっきりで、そこから仕事行ってるような感じだったから
俺は小5くらいから結構な割合で一人暮らし状態。
取り立て屋の対応も結構やったなあ。。最初は怖くて泣いてたなあ。。
このころ父親に泣きついて、剣道を習わしてくれって言ったんだけど、
最初に防具とかでお金かかるから却下。
「剣道は棒がないと強くないぞ、その点空手は何も持たず戦えるんだぞ。」
っていう大人の嘘を信じて空手を習う事に。空手は道義だけでできるからね。
なんで武道をやりたかったかというと、ヤクザが恐かったから、自分が強くなりたかったっていう
単純な動機です。
家にいるのが怖いから、関係ない日も道場通ったおかげで、まあまあ強くなっていきました。
中二位ではり立て屋に逆らえるようになっていったわ(笑)
学校では明るく元気な子。だって貧乏を悟られたくなかったからね。日によってはやばい位金のない家だから。
このころは、校内暴力とか大ブームね。横浜銀蝿とか、ヤンキーブーム。
当時は暴対法もなく、ヤクザの息子が必ず何人かいて、それはそれは荒れ狂ってましたよ。
俺はいわゆる不良ではなかった。と思う。
群れて調子こいてる奴らが、取り立て屋とダブって見えたんだよな
だってあいつらガキ相手に2.3人で来るじゃない?
こっちがバットでボコボコにしたら翌日5人位で青少年の俺をボコボコにするんだよ。
男として失格だと思いません?
だから学校のいわゆる不良達のいう事も聞かない方向で生きてました。最初は揉めたけど、
俺にとって中学生のヤンキーなんて、何人いても怖くなかったからね。取り立て屋さんありがとうって感じ。
その頃ね、恥ずかしながら家にはラジカセとかラジオなかったのよ。
中2の技術の時間に、「ラジオの制作」授業があって、やっとラジオが手に入った。
嬉しかったなー、これで「ビートたけしのオールナイトニッポン」が聞ける!って。
聞いてたのは「ビートたけしのオールナイトニッポン」と「鶴光のオールナイトニッポン」だけ。
鶴光は思春期だったから聞いた(笑)
たけしのANNはホント面白かったなー
当時は面と向かってスポンサーや大御所にたてついたりする芸人なんていなかったから、
たけしが正直で良い大人に見えてしまった。あの頃のたけしはホントに面白かったな。
そしてこのラジオの本が定期的に出るんだよ。はがき職人って言葉もこの頃できたんじゃなかったっけ?
どの職人たちも面白かったなー
当然俺ははがきなど送った事などありません。そんなセンスないからね。
たけしのANNは最終回まで聞きました。
そういえばやたらとたけしは番組さぼってたなー。