Pegasus JPN→AUS

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あーりーのAUSトビタテ生活

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こら、スポーツバカになっちゃダメよ!
こら、スポーツばかりしないで勉強もちゃんとしなさい!

いやいや、ほんとその通りでしょ
スポーツの技術1つで生きていける人なんてほんのほんの一握りだけ。なかには実業団チームに所属してスポーツをする人がいるけど、それはベスト選択肢なのだろうか、、、


結論、スポーツで生きるために必要なことは
スポーツ以外の知識だったり、技術だったり、サービスだったり。

矛盾してるように感じるかもしれないけど、
『スポーツで生きる=スポーツ以外の柱を建てる』
もしくは
『スポーツで生きる=関連分野での力をあげる』
『スポーツで生きる力=肩書きを変える力』
だと思う。

話を戻し、実業団での場合を見てみよう

多くの実業団の選手はおそらくこの
スポーツ以外の柱を建てるというチャンスから自ら離れて行っていると思う。有名プロ選手でもなく、アマチュア選手でもなくという立場で。まぁ僕はそんなに実業団選手の現状に詳しいわけではないために語弊があるかもしれない。


ある友人が話した内容を引用する
その人はある日本の地方の企業に勤め、野球部に所属し、午前中業務、午後野球という生活をしているらしい。『おれ、手取り12万。もし、給料が上がることを望むのなら野球をやめなさいって上の人から面と向かって言われるよ。でも野球がしたい。でも、このままだと将来が描けない』

この人の場合、実は肩書きは1つ
野球をすることでお金が発生しているわけではないから、肩書きとしてはおそらく“社員”1つ。
実業団選手もおそらくこういう世界なのだろうか?(無知です。勉強します。)

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また別の角度から話を考えよう
公務員という職業がある、、、この職業、、この先もずっとある職業なのだろうか。事務処理だったり、データの管理ならコンピューターに任せてしまった方が早いし、精度も上がるだろう。ロービーでぼーっと書類を待つ時間も短くなるかもしれない。もしこの公務員という職業がなくなった場合、いまものすごく強い肩書きだと思われてるこの“公務員”の人たちは肩書きを失う。しかもこの公務員、肩書きを変えて生きるという生活から遠い職業だ。副業が禁止されている。


控えめに言って、ぼくはヤベェと思う。
これが何年後の話なのかわからないがその波は絶対にすぐそこまで来てるのではないか?



これから、職業は無くなることを前提に考えなければならい。無くならないだろう職業はなにか、無くならないだろう肩書きはなにか、あたらしく作れそうな肩書きはなにか、僕たちに求められる力はそういう力だと思う。


自らの生活を支える柱を何本も立てて生きることが当たり前になる。肩書きを複数持つことが当たり前になっている。職業は無くなるものだという考えが当たり前になる。


いますぐ自分の時間に対するPAYが欲しいか
数年我慢して、そのあと3倍、4倍のPAYが得られる肩書きを持つか。副業ではなく、複業時代だ。




というか、こんなことを今更になって実体験から勉強した僕は、すでに乗り遅れているのだろうか、、、?焦
なに普通のこと今更言ってるの?パターンか笑
怖い怖いwwww

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一年間じっくり考えた。

今考えると、ぼくの大学生活の中でもこの一年はなくてはならない大きな一年だったと思う。


絶対に必要だった。


英語がどうのとか、技術がどうの以前にこれから人としてどう生きようか考える時間だった。

ばんっ!て張り出せる答えのような対外的におおっぴらに、たくさんの人が理解できるように、自信を持ってまだそれを語ることは自分自身できないけど。


もともとベラベラと口を動かすタイプではないからというのもあるかな。




表面的には馬術留学と言われる時間だったかもしれないけど、実感的には日々変わっていく自分の脳みそと、日々変わらない自分の弱さと、、、なにも価値を生み出せない中途半端さと、、、リンゴが腐り始めて茶色に色が変わり、実も溶け始め、ハエが集り、、、そんなメンタルだったと思う。



我をけす、、これが僕の修羅場体験だった。




馬の上で泣いたところでどうにもならんのだけど、あまりもの下手さと、カタチにしなきゃっていう焦りと、時間との戦いとでいっぱいいっぱいだった。馬に乗ることが怖くなった。


ただ、次の日も乗った。

いい結果にならなくとも、今僕ができることは毎日乗ること。


グズグズのリンゴだったとしても




でも、中の種はまだ綺麗にいきてるのかもしれない。


土に埋めて、

太陽を浴びて、

水を得て、


10年後20年後に綺麗な樹になってるかもしれない。そこにまた新しい実がつくかもしれない。


いや別に綺麗な樹じゃなくたっていいか。この種を埋める土壌はどこにするか、太陽や水になるものどう選ぶ?誰を選ぶ?どの文化を選ぶ?大きな規模の会社の中で歯車の中の1つとしての役割で勉強するか、小さな規模の中でたくさんのことを1人でやらなきゃいけない世界にぶち込むか。誰を先輩に選ぶか。



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結局、僕はまた留学に、自分のメンタルに〝負けた〟のかもしれない、これまでやってきたスポーツのように、中途半端で終わった勉学のように


ただ、ある意味〝勝った〟

ズタボロの異臭を放つ腐ったリンゴの状態でも種は死ななかった。まだやれると思った。



光がなくなったわけではなかった。



これから日本に戻って、大学四年生としてのあらたな一年がスタートする。まずはこの一年しっかりケジメをつける。胸はって卒業できるように。


部活での成績を最重要課題にはしない。


大学四年生をやりきる。


その傍で、僕のように何かやりたい!と思ってくすぶってる人がいたら声かける活動をしていきたい。現役高校生達にフィードバックしていきたい。


今の僕は高校時代のあの日から作り上げられた。

それを恩返ししたい。




とにかくとんがってた大学一年生

ぱっとみそこら辺どこにでもいる大学二年生

外との関わりで悩み潰れかけてた大学三年生

過去現在、理想と現実腐りかけリンゴの休学

やっとほんとの大学生 大学四年生


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今はもう、僕には才能も経験値も自分の能力に対する自信もなにもない。でもさ、これまで、23年間生きてきて、あ、おれちょっとこれできるわとかさ、人が迷ってるところで、あーこれこうやったらいいんじゃね?とか言えてきたよね。


自惚れだったな。

そういうのが今でも邪魔してる。




世間一般的に羽生・大谷世代と言われる94年組み。20台そこそこで世界と戦う仲間たち。そんな奴らにずっと憧れてきたよな。


いや

そんな大物たちだけじゃなくて、周りにいるプラスアルファができるやつ、それができる金銭的余裕だったり、経験値を得られる場所だったりそういうところで過ごしてる人たちを羨ましく思って時には嫌ってきた。


おれには敵わない所の話だって〝逃げてきた〟


その結果なにやっても中途半端。ゴルフも、野球も、バドミントンも、、、そして勉強も。

スポーツやっても中途半端な選手。別にうまくも特段下手でもない。勉強もとりあえず言われたことはこなすけど、何回か、お!って言われる成績もとったけど、結局自分の行きたかった道には行けずに抜け殻になった。あの時は、もうおれの人生終わったんだと本気で思った。



『なんでいつもあいつばっかり、、、』



そして、そんなこんなで入った大学で何かしなくちゃってやりだすも、がられてがられて、自分のための時間というより周りのみんなに頑張って欲しいからって厚かましくもやってきたことの方が多かったかもしれない。


そんなことも裏目にでてまたがられたり。

なんなんだよまじでって爆発寸前だった。




せかせかと、とんがってた時期に僕から離れていった仲間もいた。新入部員10名くらいいた馬術部も振り返れば僕しかいなくなった、いや周りの人間をぼくが切り飛ばしたのかもしれない。そんなことを考えながら生活していると自然と人に対して優しくなれたような気がする。


仲間の大事さを、孤独の辛さを味わったようなそんな感じ。


ここ数年でものすごく丸くなれたんじゃないか。


人には人の考える道がある。


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まるまる一年やりがい搾取がお得意のバイトとかめんどくさいことから離れて、自分のためだけの時間が欲しくて、えい!やっちゃえ!大学休んじゃえ!って。


そして、たまたま合格しちゃったトビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム第6期生。


たまたまなんて言ったら他のトビタテ生に怒られるかもしれないけど、そんな感覚だった。書類審査、二次面接、プレゼン、グループワーク、準備からなにからあっという間に時間が過ぎていつの間にかausに来てた。




世界各地で自らの将来を切り拓こうと踏ん張るキチガイ達。僕はその仲間になれた。


たくさん刺激をもらった。


人生いろんな選択肢があることを知った。


そして、おれはこれがしたい!と手を挙げればなんとかなることも知った。


みんなが知らないだけで面白いセカイが僕らの周りに広がっていることを知った。


あの人は今なに考えて生きてるんだろう、、、ちょっと明日会って話せない?て急な連絡でも、初めましてでも、なんの壁も感じることなく話を聞ける。トビタテってすげーコミュニティだと思う。


ものすごく居心地のいい、けれど、ものすごくプレッシャーが押し寄せるそんな集まり。毎日facebookでアクティブな人もいれば、ぼくのように地中に潜り込んで種を成長させている人もいる。


それぞれがおそらく鬱になりそうになりながら何かを考えている。何かをしようと力を溜め込んでいる。そんな人間達が世界中に散らばっている。


〈後半へ続く〉

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誰かに何かを教わるということは


自分自身を一旦殺すこと

自分で自分の我と呼ばれるものを殺すこと

一旦というか、金輪際って感じ



これが一番怖い、、、

できる人は無意識にできる

できない人は無意識に我から離れられないまま


人によっては水彩画が

人によっては油絵が

人によってはコンクリートが

キャンバスの上に乗っかっている

それを自力で引っぺがして、その下にある白をだす

もしくは元々の上からこれでもかこれでもかと新しい絵の具を乗せて乗せてのせまくる


僕はもしかしたらコンクリートだったかもしれない

現実世界では、コンクリートはぶったたけば木っ端微塵にできるけどこの場合はそうも行かない


ここの違いがすぐにうまくいく人か

なんでそんな遠回りをするの?て人の違いだとおもう


簡単にいうと素直か、素直じゃないか

理屈っぽいか、感覚派か



これまでの人生で、自分で自分を殺すことなんてしたことなかったかも。

考えたことなかったかも。


幼児教育から個性個性と謳われ

あなたの感覚は間違ってない

あなたはあなたの思うように自分の色を出しなさい

そう言われて生きて来た


大学入学から始めたこのスポーツも

指導者と呼ばれる人にレッスンを受けたことなどほぼなかったかもしれない。ネットで拾って来た動画や、人づてに伝わる言葉達をどう自分の感覚に落とし込むか。常に自分と会話をして来た。それが本当に正しい感覚だったかどうか、今となれば明白


これまでの大学三年間はいうなれば

あなた自身の自力でどうにかしなさいの環境だったと言えるかもしれない。

はじめて、他力に頼る環境に飛んで来た


自力本願、他力本願

正しい言葉の意味は違うんだろうけど、



僕はこれをこの一年嫌という程体験した



もし、トビタテに合格せずに、これを体験せず大学を卒業してしまっていたかとおもうと怖くて仕方ない


トビタテプロジェクトディレクターの船橋さんがいう、


修羅場体験


僕にとってはその修羅場体験はこれだった


約半年ブログを書くことをやめました。

最初の半年はなんとなくやってたけど、時が進むにつれて、人にオープンに何かを残していくより、自分の脳みその中でも処理できないことや、日々の悩みなどに集中したく対外的なものを排除していました。




さて、時の流れは早いもので、AUS馬術留学も残り2週間を残すだけになりました。



僕はどう成長できただろうか、、、

なにを学ぶことができただろうか、、、

どんな技術を得ることができただろうか、、、


あれから何回も競技会や

トレーニングデイにも参加して来ました


毎日毎日、

馬に乗って来ました

毎日毎日、

自分の下手さにやっつけられました

毎日毎日、

これからどう生きていこうか考えました

毎日毎日、

大学にいる仲間達のことを考えていました

毎日毎日、

人はなにを考えいきてるのか考えました



そう、

僕はあれから、ブログで薄っぺらな文章を綴ったり、海外生活の楽しさとか、挑戦することの大事さとか、そんなこと書きたいなんて思わなくなったわけです。自分のこと、自分を内省することにひたすらに時間を使って来ました。



そんな状態で、日々起こるイベントを

うまいこと言葉に、キラキラと書くことはできなかったわけです。


僕自身がキラキラしてなかった

これからおそらく投稿するであろう記事に出てくるとおもうけど、

「腐りかけのリンゴ」状態でした



僕はこの一年を文としてまた残したいと思い始めています。これから何回かの投稿に分けて、まとめを記述していこうと思います。


腐りかけのリンゴでも中の種はしっかり生きてる


そういう話です。



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