9月8日(日)、「青春18きっぷ」を利用して、SL北びわこ号を、河毛・高時川の橋梁で撮影した後、何時も、大回り乗車しているルートで、JR琵琶湖線・草津駅で、草津線に乗り換え、更に、柘植駅で、関西線に乗り換えて、途中の、伊賀上野駅で下車。以前から訪問したかった、伊賀上野城へと向いました。
上野城へは、伊賀上野駅から、伊賀鉄道で、上野市駅へ。駅から徒歩10分位です。
伊賀上野城は、天正13(1585)年、伊賀の国を領した、筒井定次が三層の天守を築き、北に表門を構え、豊臣秀吉の没後、徳川家康が、関ヶ原の戦いに勝ち、豊臣政権の継承者としての地位を確立するに及んで、慶長13(1608)年、定次を失政を理由に改易、藤堂高虎が、伊賀・伊勢の城主として、伊予今治城から移り、自ら縄張りを指図、本丸を30mの高石垣で囲み、筒井故城を大拡張しました。
高さ30mの高石垣 大阪城と並んで日本一の高さを誇る
しかし、施工直前の五層の大天守は、慶長17(1612)年9月2日の暴風雨で倒壊、その後、大坂夏の陣で豊臣方が減亡したので、城普請は中止され、城代家老が執政する事となった。
現在の天守は、昭和10(1935)年、地元の名士、川崎克氏が私財を投じて、純木造の復興天守を再建、伊賀文化産業城と称した。
天守三階からは、上野市内、城下町景観を一望
内部は、天守閣復興を祝う、有名人の大色紙(1m角の大きさ)、46枚の書画がはめ込まれて居ます。
城跡は昭和42(1967)年に国史跡に、天守は昭和60(1985)年に伊賀市の文化財に指定されました。
訪問日の9月8日(日)は、残暑の厳しい一日でした。本日12日(木)は、昨日よりも、朝夕は、随分と涼しく成りました。
9月14日(土)から16日(月)まで、遅い夏休みを頂きました。
JR西日本のトクトクきっぷ「山陰めぐりパス」を利用して、鳥取~出雲へと山陰をめぐる予定です。
初日は、若桜鉄道、鳥取城跡の訪問。2日目は、鳥取から出雲市まで、観光列車「あめつち」の乗車。国宝・松江城の訪問。最終日の16日は、出雲市から、木次線を走る観光列車「奥出雲おろち」号を往復乗車・・・等、「歴史と鉄道の旅」を満喫する予定です。
次回の更新は、17日以降の予定です。