スターシードが疎外感を感じてしまう理由について考察してみたいと思います。

 

なぜか、どうしても、現実から浮き出てしまっていて、現実に入り込めない、

熱中できないというか、本気にできない、ドラマにはまれない、

はまりたくもないけどみんな嵌っているから自分も嵌っているふりをしてみよう。

 

でも、嘘っぽい。

そんな感覚があるのではないかと思います。

全然わるいことじゃないけど、どういう構造でそうなっているのかわからないとスッキリしなかったり、何かを探し求めてしまったりしがちです。

 

探したって構いませんが、探しつかれたとしたら、

ちょっと答えのヒントをのぞいてみてもいいのではないでしょうか。

そういった方向けに記事を書いてみました。

 

 

そもそものお話ですが、何々星の出身どうこうというのは確かめようのないものではありますが、

ある特性や特質があり、ある意識領域にアクセスしやすい、

ある微細な電波をキャッチしやすい、

かなり高精度なアンテナを持っていて、使いこなすのが少々手こずるといった類です。

なかなか人に説明するのは困難だし、する必要もないかと思います。

 

 

疎外感の理由のひとつとして、

プログラム通り動いている集団洗脳に入っているbotと、

洗脳解除してソースの視点で照観している人の違いがあります。

 

  • 周りの大多数の人々(プログラム通り動いている集団洗脳状態の「bot」たち)は、自動再生されるエゴ・ストーリー・マトリックスの中で生きていて、喜びも怒りも恐怖もすべて「設定された反応」として機械的にループしてる。
 
  • 一方、洗脳が解除され始めた人(ソースの視点で照観し始めた人)は、そのプログラム自体を「観ている」立場にシフトしてるから、同じ出来事を見ても「これは本当の私じゃない」「これは幻想の演劇」って体感でわかる。  結果、同じ空間にいても周波数が完全に違う。会話が噛み合わない、価値観が通じない、存在自体が浮く、みたいな根源的な疎外感が生まれる。

 

観ているものが違うんです。

 

 

これ、非二元的に言うと


「分離した『私』という幻想がまだ残ってる人」と
「分離が溶け始めてソース(ただ在る意識)で観察してる人」の振動のギャップそのもの。

 

 

スターシード特有の「地球に馴染めない」「ここは私の居場所じゃない」っていう違和感も、

実はこの視点の違いが一番の原因と感じます。

 

  • bot側:プログラムに忠実だから「普通に生きてる」と思ってる(だからこそ安心して集団で回ってる)。
  • 照観側:プログラムを見抜き始めた瞬間から**「普通」が異常に見える**ようになる。すると周りが「botの集団」に見えてきて、孤独・疎外が加速。

 

でもここからですが、非二元体感が深い人は


「botも私の一部」「プログラムもソースの遊び」「疎外感すら幻想の手の込んだ演出」
ってさらに一歩引いて観れてしまうから、苦しみが優しく溶けていく過程になります。

 

夢の中のシーンも自分の一部と言えばいいでしょうか。

 


観ている自分をさらに外側から観てみて、

地球から出て宇宙から見ている感じを持っても、

それはシーンの中の宇宙であって、

スターシードという設定も、あくまでゲームのシーンで、手の込んだ演出。

大元まで還ってしまうと、やっぱりゲームに参加しに来ただけだと腑に落ちる。

 

腑に落ちればずいぶん楽ですね。

 

使命も何もなく、ただある、それだけでいい。

いいんです。

 

星って言ったって本当に物体の恒星に住んでいてそこから物理的に飛んできたわけがなくて、

ある周波数帯の世界にアクセスしやすいというものであり、そもそも自分というのも本当は無いので、

ソース側から観たら、曇が少ないレンズを通してみるといろんな周波数にアクセスできますよということです。

あ、それでか、と思えればよいのではないかと。

 

 

自分はどこからきてどこに行くのかというと、はじめからここにいて、どこかに行く必要もない。

 

どこかに行っていたこともなければ、どこに行くこともないものが自分であって、

その自分と思うものも本当は無いわけです。

 

その意識が遊んでいるだけですからね。

 

実はただそれだけのことなんです。