紆余曲折を経て
優先枠の与えられていない研究グループへの配属希望で、しかも競合他者が数名いることが事前にわかってたから、たぶん落ちて一番人気のないとこに行くんやろなと思ってたから驚いた。
これで、高2のときに考えてた将来のストーリーから、またしても外れなかったことになる。
進振りで別のコースに行ったこと以外はすべて予定通りと言える。
就活してるから院進しない分この先は嫌が応でも変わってまうけど。
全く同じ日、妹の後期発表に番号がなく、第一志望だった国立は諦めての私大進学が決まった。
中学受験、高校受験、大学受験と3回も経験して、高校のとき以外はほぼ失敗という認識。
ついぞ思い描いた生活が実現するという感覚は希薄に学生生活が過ぎて行くのかもしれん。
比べるとおれはほんまに何も挫折して来なかった。
前期落ちたらどうすんのっておかんに聞かれて何て答えたか覚えてないけど落ちる気はせんかったから正直真剣に考えてなかった。
やりたいと思った通りの環境を手に入れ続けてこれたのはものすごく幸運で、嫌味な言い方やけどおれはそういうツキを持ってるんかもしれん。
もしかしたらヒトの分まで。
それやったら、ほんまにやりたいことをやりたいようにやるのがもはや義務なんちゃうかと思える。
自分がほんまに熱意を持って取り組めるもの
なんなんやろ。
正直高校のときに決めたのも、目標を定めるためだけであって内から湧き上がる感情から導いた解ではない。
お金とか家族との時間とか、変数が多すぎて極値が見極められん。
ただ、人生はそんなに残り長くないんやろなぁという感覚だけは間違いない。
見落とし
昨日ディズニー行って、今まで以上に心理的な近さを実感したし、やっぱり今が一番いい距離感な気がする。
ていうかおれがもう少し大人になれるまではこうするのがいいんかも。
考えが甘かった。
過去は知りたいけど知ったが最後醜い感情を持ってしまう。
まぁ、でも過去のことやから今問題にすることじゃない。
別に問題でもないし。
明日から外資系銀行インターン、過酷みたいやけどがんばろう。
真の落ち着き
最初の頃は距離感も接し方もわからんとおったから、それを落ち着いてるとみなして納得させてたけど、たぶんそれはおれも向こうも距離の取り方が下手なんやからやろう。
いつでもどうぞ状態になると、いつまでも一緒ってわけにはいかんから必要以上に距離を感じて、忙しくなると機会が限られるから自然に近づいていく。
やっと一般的な軌道に近づいた気もする。
今日でインターンは終わり、アルバイトに移行。
プレゼンがうまくいき、時給1400円を勝ちとった。
1日フルで働いたら1万以上入るからでかい。
自分の思う好ましい使い方をしよう。
忙しい方が集中できるし、うまく回る。
仕事する上ではこれがええんかもな。
今回お世話になったコンサル会社みたいな感じの労働量やったら、たぶん普通にやっていける。
ドイチェがどんなもんか、いい比較材料を持って臨める。
働くことのビジョンが開けたおかげで、学生であることの価値もより強く自覚した。
いい経験やった。
会ってみると
確かに事実には近いねんけど、それを見るより美点を見よ、と。
気心知れてて会って話して楽しかったらそれでええやん、と思った。
これぐらい離れるのが案外お互いの妥協点で、ギブアンドテイクが成り立ってるのかなと思う。
それもこれもインターンでフルタイム勤務したからな気もするけど。
自分でいかに新たな価値を生み出せるかが社会人としての能力の一つなんやなぁと実感。
金曜には自分のことをプレゼンして、インターン後のアルバイトの時給が決まるらしい。
上限額を提示して納得してもらえるようなプレゼンを考えよう。
やっぱ自分の裁量があるっていうのは燃えるからそういうとこ就職しよう
時間が解決
そのときに考えてること自体はわりと正しいというか筋通ってはいるんやけど、そればっかり考えてるがためにより悪く考えてしまっているというか。
ボールぶつけた奴らおもっきり殴ったろかと思ったけど、そう思ったということはいいことやな。
ぶつけた奴らは許さんけど。
夏休み最終日がもうすぐ終わる。
明日からはインターンやけど、2日3日の関西出張の詳細を早く教えてほしい、
実家帰れたらいいけどなー
いざ働くとなると面倒な感はあるけど
この1ヶ月で方向性決めると思ってがんばる。
9月を前にして
書き始めると早いねんけど書き始めるまでが長いのは毎回のことやな。
1年のときに勉強したことそのまんま出しただけやからなんも成長はしてへん。
こう考えると、大学受験のころほどじゃなくても、1年前期ぐらいのがんばりを継続できてたら、人に説明できるぐらい理解した分野があと3つは持てたかと思うと、堕落したなぁと思う。
けどまぁ勉強せんかったわけじゃないしええか。
あとは世界史を一通り勉強し直せたらいいなぁ、程度…
バレーは最近試合出てる。
そこそこゲームでも落ち着いて動けるようになってきたけど、全然まだまだ伸びれるはず。
それ以上にあと2ヶ月もしたら最上級生になるってのがびっくり。
おれが下級生のころは上からしたら厄介な存在やったんやろなぁとは思うけど、別の意味で今の下級生は厄介。
最近いろいろ読んでるとどうもおれの考え方は対人関係においては良くないみたいで。
これも組織を動かす勉強と思って精進しよう。
9月ほんま休みないなー
たぶんその方が集中できるから、1ヶ月経っての収穫はわりとあるんやろうけど。
遠距離やったら諦めもつくかしらんけど近いのに会わんって歯がゆい
十分譲歩してくれてんねやと思うけど、、
おれは先を考えすぎなんやろなたぶん
すべては表裏一体な気がする
激動
この3か月ちょっと、めっちゃ人生が動いた。
ようわからんけどユダヤの占いみたいなのによると、おれの人生のピークは38歳に来て、その前に来る小ピークは今21歳やねんて。
後から振り返ってみんとわからんけど、たしかに、これまでの人生に比べてこの1年が自分にとってめちゃくちゃ意味のある年になりそうっていうのは納得できる。
今の環境を大事にできるかは自分次第やけども。
自分のことも理解できてないのに、他人のことを理解するのなんかめちゃくちゃ難しいねんなーと思う。
ほんまは中高でこういうこと経験すべきやったろうに、と後悔する日が多い。
中学のときは置いといて、高校のときのおれはわかった顔してほんまに何にもわかってなかってんな、と久しぶりに附高生と会って旅行いって痛感した。
精神的に未熟やった。
今も全然やけども。
心に余裕があるときにうまく行くのは当然といえば当然。
余裕がないときにどう振る舞えるか、やな。
9月は部活かインターンかバイトで平日も休日も全部つぶれた。
1か月がんばってみようとは思うけど、ちょっとやりすぎた。
先は長いとはいえ、やっぱ社会人になったら今みたいな生活はできんわけやし、早く社会人になりたいといっても先ばっかり見て今を楽しく生きられへんかったら同じ間違いを繰り返すことになる。
余裕を持つ努力を。
余裕がなくても、周りを見る努力を。
「体の不自由な方」になってみて
左足首の剥離骨折。
靭帯も切れてるらしいけど断裂とはまた違うんかな。
1週間ほどギプスで固定した松葉杖生活。
初日は雨降ってたのもあって、全然慣れへんかった。
まぁ看護婦さんの調節が下手やったみたいやねんけど、笑
びっくりするぐらい進むのがしんどい。
徒歩10分の駅からの帰り道が冗談抜きで地獄やった。
段差とか、なんでそんなとこに作ってんってのいっぱいあるな。
階段かて、最近の駅とかはエレベーターもエスカレーターもようついてるけど、
それでも移動距離は長いし階段とかは避けようがないから負担を強いられる。
バリアフリーが叫ばれて久しい今でこれやねんから、昔の人はもっと大変やったんやろな。
電車の中とか街行く人の視線も普段と違う。
まず見られる。
おれも多分元気なときはそうやったんやけど、そのことに頭を支配されることなどなくすっと元の所作に戻る。
バス乗るとき、運転士さんはおれが松葉杖持ってるって認識しはったらバス停に停めるとき入口をめっちゃ近づけてくれて乗りやすいようにしてくれはる。
慣れてはんのかしらんけど、こういうのはうれしいもんやなぁ。
バス乗ったら、下側のスペースで座ってはるおばちゃんおばあちゃんのうち1人はだいたい声かけて席譲ってくれたりする。
普段やったら絶対こっちが譲るようなおばあちゃんに一遍譲られたときはどないしよかと思った。
怪我した当日の帰りの電車も、優先座席の近くにたまたま乗ってしまったんやけど、若い女の人(うち一人赤ちゃん抱いてはった)3人をそろって立たせてしまって申し訳なかった。
その反面年食ったおっさんほど厄介なもんはない。
雨の日の帰りバス停近くの100円ローソン寄って、店出るときに店員さんが気使ってドア開けてくれはったのに、
おっさん何も考えんと外から入口の真ん中通って入って来よった。
当たりそうになるし。
「おれは今社会的弱者やから優先させろ」って言うつもりは毛頭ないけど
ちょっとは気つかってくれてもよかったんちゃうって思うのと(なんせそういうじじいに限って自分のことに関してはしょーもないことで文句たれるから)
店員さんが自分に背中を向けてドアを開けたことに対して何も思わなかったのではないかという愚鈍さにあきれる。
電車もちょっと混んでたら、席譲ってくれる人はいない。
人の心理やろな。
席を譲るって、偽善的に見えるかもって警戒するのはようわかるもん。
国民性なんかなぁ。
今回おれは松葉杖っていう目印があったけど
そういう「添加物」はないけど体が不自由な人っていてはるやん。
高校のときめっちゃ足引きずってる人おってそれこそ今のおれより席譲ったるべきやろと思ってんけど、結局誰も見向きもせず席も譲らんかったことがあって
そういう人らって、スマホでツイッター見たりパズドラしたりジャンプ読んだりすんのに必死で周りにどんな人がおるとか興味ないんやろな。
全員が全員周りに興味持ってちらちら見てたらそれは嫌な空間やけど
どこかで準備をしとくっていう発想が、欠けてる人は多いんちゃうかな。
自戒の念も込めて。
この怪我で結構新しいことにいろいろ気付けて良かった。
治ったら他人との接し方は気をつけよう。
今もそうやけど。
明日は我が身って思ってても実際なってみなわからんもんな。
押し付けじゃなく自分から。
youtubeで見た松本紳助の「人生○回目」って話がめっちゃ汎用性高い。
人間徳を積んだら生まれ変わっても人間になれるらしい。
生まれ変わった後前世の具体的な記憶はないけど、なんとなくやったことあるとか、そういう感覚は残るもので、
勉強できるやつも、めっちゃ器のでかいやつも、何回も人間やってて同じようなこと経験した感覚が残ってるからうまいことできる、っていう仏教的な考え方。
やからマナーの悪いおっさんとかは「この人一回目やねんな」って思ってみてると、怒って注意しようとかいう気も鎮まるって。
なるほどって話やった。
話半分やけど、自分の心をうまいことコントロールする技の一つとして、しまっとこう。
