悲しみに暮れる暇もなく、
慌ただしく、葬儀屋さんに連絡して、
早速、葬儀屋さんが来られて、どんな葬儀にするかだの、日取りはいつだの、どんな棺桶にするだの、お花はどうするだの、色んな細かい事の打ち合わせが始まりました。
僕は、海外逃亡した親不孝者ですし、
アメリカ生活の方が長くて、日本の慣習、しきたりとか、肌で経験していなくて、分からないことばかりなので口出しするつもりはなかったんです。
それでも、一応、長男だから喪主になっちゃったし、
それでも、一応、長男だから喪主になっちゃったし、
母は身体が不自由な上に、父が亡くなって誰よりもショックを受けていたので、
僕が氣を張ってやるしかありませんでした。
(まあ、妹がずいぶん助けてくれましたが。)
そんな時に、問題発生!
そんな時に、問題発生!
お通夜の日取りを決めようにも、檀家のお寺の住職さんに連絡が取れないんです。
電話をかけても出ない。
留守電残してもかかって来ない。
終いには、お寺まで行ったけど誰もいない。
玄関に貼り紙して来たけど、連絡が来ない。
その頃には、身内も集まって氣を揉んでいました。
しびれを切らした従姉妹が、
「もう、今時、檀家なんかこだわらなくて良いから、家のお寺紹介するから、そっちの檀家になっちゃいなさい!」
って言われたんだけど、僕の中でなぜか、そこは大切にしたい想いがあって、なだめて待ってもらいました。
先祖代々からの檀家なのか、そうでないのかも知らないし、
父はともかく、僕には全く馴染みのないお寺でした。
事実、そのお寺の門をくぐったのは、その日が初めてでしたし。
でも、なんか父から、檀家は変えないでくれ、って頼まれている氣がしていたのです。
いよいよ、もう待てないとなって、従姉妹が、
「じゃあ、しょうがないから、家のお寺に電話するよ!」
って言ったその瞬間、
家の電話が鳴りました。
出たら、檀家の住職さんで、これから直ぐ伺いますとの事、
ホッと一息。
待っている間、身内の人達は、その住職さんについての噂話、
パチンコ、ギャンブルが得意、
サーフィン好きで、サーフボードの工房をやっている、
あまり良い印象を持っていないみたいでした。
程なくして、住職さんが来られました。
飄々とした感じの人で、集まっている人達の中に入ると、お話しを始められました。
「人が亡くなった時にお経あげるのは、亡くなった人のためじゃなく、遺された人のためなんですよ、」
とか、
「普段聞かないお経を聞く機会を、人は亡くなることで、遺された人に与えるんです。それをご縁と言うんですよ、」
とか、
「お経を聞くのは、慈悲の心を聞くため
人の話しを聞くことも、慈悲の心を聞くためです。」
とか、
「仏教は、時代を経て、色んな余分なものがいっぱいくっついちゃっているけど、本当はただ慈悲の心を聞くだけ」
とか、今まで僕が持っていた、仏教やお経に対する常識を壊すものだったので、頭は、はぁ???
けれど、あまりにシンプルに核心だけを直球で、投げてくるので、ドスンと響きました。
心に響いているのに、頭が理解していないって感じ!
食い入るように聞いていた僕に、住職さんは読みやすく訳されたお経の本をくれました。
そして、お通夜、お葬式も終わり、その後は、7日毎の法要、
その毎週の法要に、住職さんが来てくれるので、また話しが聞けると楽しみにしていたら、
「これからは息子の経験の為に、息子を一人で送りますが、あいつの勉強の為にも、何でも良いから質問してやって下さい。」
と言われ、
えっ、住職さん来てくれないの〜と残念。
息子さん、頼りないし。
で、それからは息子さんが家にお経をあげに来てくれました。
年齢は分からないけど、見た目は高校生の息子さん、
口の悪い僕の従姉妹からは、”僕ちゃん”と影で呼ばれていました。
ある時、僕はどうしても分からなくて、住職さんに聞きたいと思っていた質問を、住職さんに言われた通り、思い切って息子さん”僕ちゃん”に聞いてみることにしました。
法要が終わり、車に向かう息子さんを呼び止めて疑問に思っていた事を聞きました。
僕:「信心すると何で慈悲の心になるんですか?」
僕ちゃん:「慈悲の心は、自分でなろうとかするのではなく、してもらうんですよ。」
僕:???
僕:「では、信心って何ですか?」
僕ちゃん:「信心は、自分が努力して信じようって言う、一方通行のものではなく、阿弥陀様の慈悲に氣付くという事。
阿弥陀様の慈悲に氣付くと、自分も同じ様に、人に対して慈悲の心を持てるようになるんです。」
その言葉を聞いた瞬間、阿弥陀様の切実な願い、そして絶対的な慈悲の心が、光が、僕の心に入って来ました!
圧倒的な光、圧倒的な愛を感じました。
胸が熱くなりました。
僕は涙を必死にこらえて
「あああああ!
信じるのではなく、阿弥陀様の本願に氣付くという事なんですね!
ありがとうございます!」
と息子さんにお礼を言いました。
ず〜〜っと氣になっていた、この宇宙をつくっているもの、
この宇宙を満たしているもの、
それが何なのか、感じることができました。
色んな表現があるんだろうけど、仏教の表現で氣付くことができました。
体感することができました。
だからと言って、仏教徒になろうとか、南無阿弥陀仏を唱えようとは思わない。
阿弥陀如来にしても、その本願にしても、それは、ただの一つの表現方法。
僕にとっては、この宇宙は、すべての人の、あらゆる状態を、ゆるし、受け入れてくれている慈悲の心で満たされているということ、
つまり無条件の愛でできているという事実を実感し確信できただけで充分だったからです。
これは、僕の中での真理で、僕の中での勝手な解釈だから、あってるか、あってないかは、知らんけど!
ともあれ、父は、自分の命を失ってまでも、どうしても、この事を僕に伝えたかったのだろう。
それを思うと、父の無言の深い愛を感じられずにはいられません。
父が繋いでくれたご縁を通して与えられたかけがいのないギフト
そして、それは、9月24日、
前日の秋分の日に、大きく意識がシフトした次の日でした。
そして、9月23日は僕の誕生日でした。
事実、そのお寺の門をくぐったのは、その日が初めてでしたし。
でも、なんか父から、檀家は変えないでくれ、って頼まれている氣がしていたのです。
いよいよ、もう待てないとなって、従姉妹が、
「じゃあ、しょうがないから、家のお寺に電話するよ!」
って言ったその瞬間、
家の電話が鳴りました。
出たら、檀家の住職さんで、これから直ぐ伺いますとの事、
ホッと一息。
待っている間、身内の人達は、その住職さんについての噂話、
パチンコ、ギャンブルが得意、
サーフィン好きで、サーフボードの工房をやっている、
あまり良い印象を持っていないみたいでした。
程なくして、住職さんが来られました。
飄々とした感じの人で、集まっている人達の中に入ると、お話しを始められました。
「人が亡くなった時にお経あげるのは、亡くなった人のためじゃなく、遺された人のためなんですよ、」
とか、
「普段聞かないお経を聞く機会を、人は亡くなることで、遺された人に与えるんです。それをご縁と言うんですよ、」
とか、
「お経を聞くのは、慈悲の心を聞くため
人の話しを聞くことも、慈悲の心を聞くためです。」
とか、
「仏教は、時代を経て、色んな余分なものがいっぱいくっついちゃっているけど、本当はただ慈悲の心を聞くだけ」
とか、今まで僕が持っていた、仏教やお経に対する常識を壊すものだったので、頭は、はぁ???
けれど、あまりにシンプルに核心だけを直球で、投げてくるので、ドスンと響きました。
心に響いているのに、頭が理解していないって感じ!
食い入るように聞いていた僕に、住職さんは読みやすく訳されたお経の本をくれました。
そして、お通夜、お葬式も終わり、その後は、7日毎の法要、
その毎週の法要に、住職さんが来てくれるので、また話しが聞けると楽しみにしていたら、
「これからは息子の経験の為に、息子を一人で送りますが、あいつの勉強の為にも、何でも良いから質問してやって下さい。」
と言われ、
えっ、住職さん来てくれないの〜と残念。
息子さん、頼りないし。
で、それからは息子さんが家にお経をあげに来てくれました。
年齢は分からないけど、見た目は高校生の息子さん、
口の悪い僕の従姉妹からは、”僕ちゃん”と影で呼ばれていました。
ある時、僕はどうしても分からなくて、住職さんに聞きたいと思っていた質問を、住職さんに言われた通り、思い切って息子さん”僕ちゃん”に聞いてみることにしました。
法要が終わり、車に向かう息子さんを呼び止めて疑問に思っていた事を聞きました。
僕:「信心すると何で慈悲の心になるんですか?」
僕ちゃん:「慈悲の心は、自分でなろうとかするのではなく、してもらうんですよ。」
僕:???
僕:「では、信心って何ですか?」
僕ちゃん:「信心は、自分が努力して信じようって言う、一方通行のものではなく、阿弥陀様の慈悲に氣付くという事。
阿弥陀様の慈悲に氣付くと、自分も同じ様に、人に対して慈悲の心を持てるようになるんです。」
その言葉を聞いた瞬間、阿弥陀様の切実な願い、そして絶対的な慈悲の心が、光が、僕の心に入って来ました!
圧倒的な光、圧倒的な愛を感じました。
胸が熱くなりました。
僕は涙を必死にこらえて
「あああああ!
信じるのではなく、阿弥陀様の本願に氣付くという事なんですね!
ありがとうございます!」
と息子さんにお礼を言いました。
ず〜〜っと氣になっていた、この宇宙をつくっているもの、
この宇宙を満たしているもの、
それが何なのか、感じることができました。
色んな表現があるんだろうけど、仏教の表現で氣付くことができました。
体感することができました。
だからと言って、仏教徒になろうとか、南無阿弥陀仏を唱えようとは思わない。
阿弥陀如来にしても、その本願にしても、それは、ただの一つの表現方法。
僕にとっては、この宇宙は、すべての人の、あらゆる状態を、ゆるし、受け入れてくれている慈悲の心で満たされているということ、
つまり無条件の愛でできているという事実を実感し確信できただけで充分だったからです。
これは、僕の中での真理で、僕の中での勝手な解釈だから、あってるか、あってないかは、知らんけど!
ともあれ、父は、自分の命を失ってまでも、どうしても、この事を僕に伝えたかったのだろう。
それを思うと、父の無言の深い愛を感じられずにはいられません。
父が繋いでくれたご縁を通して与えられたかけがいのないギフト
そして、それは、9月24日、
前日の秋分の日に、大きく意識がシフトした次の日でした。
そして、9月23日は僕の誕生日でした。