WARという団体はプロレスの歴史の中では、
どういう位置づけなのだろうか?
おそらくというか、必ず大した評価はされていないだろう。
しかしその頃、色んなことでもがいていた私には
生きる糧だった。
学生生活、仕事様々なことを一生懸命乗り切るために、
ともに切磋琢磨したような気がする。

仕事に慣れてきて、何となくやる気がなくなり、
周りの人間の悪口を言うことが多くなったとき、
こういうことがあった。

場所は北海道大会。
天龍源一郎対するはミスター・ポーゴであった。
どちらが悪かったのかは今でも分からない、
とにかくかみ合わず、ポーゴは
試合放棄して会場から逃げ出してしまう。

天龍は控え室でコメントする。
「インディーでトップと言われる人間の実力がわかった。
 男だったら正面から向かって来い!」

周りには正面から行かない人間ばかり、
だからこそ自分を律しなければいけない。

いよいよ本日2006年7月27日はWAR最終興行。
今から中国出張のために、残念ながら観戦できない。
青春の忘れ物を探しに、後楽園ホールに行きたかったのだが。

いよいよ僕も大人にならないといけない。

WRESTLE AND ROMANCE、FOREVER!!
平成4年は天龍源一郎にとって、とてもタフで、
ハードな1年だった。
5月になると、2年間全てを投げ捨ててつくしたSWSで
クーデターが起こったからだ。
谷津嘉章を頭とする、道場・檄&パライストラ連合軍は
リングの内外で、天龍を肉体的にも精神的にも
土俵際まで追い詰めた。

シリーズ最終戦の後楽園ホール。
予想だにしなかったことが起こる。
試合後、観客が帰らないのだ。
何故か?
それは天龍源一郎の今後を心配するファンの
熱き思いであった。

現新日レフェリー・レッドシューズ海野が控え室に走る。
「社長が出てこられないとお客さんは帰りませんよ」

控え室を出て、リングへと向かう天龍の目は潤んでいた。

いつもよりもさらに何を言っているか分からない、
しかし胸を熱くした言葉が天龍の口から出る。

「俺は、、、俺はお前たちを決して裏切らないから。
 だから今日のところは帰ってくれ。
 俺は絶対に嘘をつかないから。約束する。
 俺は、お前たちのことを絶対に裏切らないから」

2年前に全ての実績を否定されて、
孤独に戦ってきた男の背中を、
ファンは温かく見続けていた。

いつも天龍源一郎は我々を裏切りなんかしてませんよ!
いつまでも源ちゃんが現役を続ける限り、
我々天龍隊は応援し続けます!
先日、近所の百貨店に4歳の息子を連れて行った。

あるTシャツ屋さんの男性店員が、
  「おっ、坊や可愛いねぇ~、名前なんていうの?」
 息子 「源一郎だよ」
店員 「んっ、ケンイチロウ?」、私 「源一郎ですよ」
 店員 「へー!まさか天龍源一郎じゃないですよね!」
私 「そうですよ」、
 店員 「えー!!本当っすか!僕、
滅茶苦茶ファンなんですよ!!!」
私 「あらあら」

それから10分程、その店員と天龍革命の話に興じた。
10分後、息子が痺れを切らし始めたので、
そろそろ行こうかとすると、店員が、

 「おいっ、源一郎!天龍源一郎は本当に凄いんだぞ!
  今まで3度しかギブアップしていないんだから!」

と言って息子を抱き上げた。
私は内心そうだったかなと思いつつ、
やっぱ天龍は偉大だなと思った。
店員がにこにこしながら最後に言った、

 「でもお前小さいなぁ~、もっと頑張れよ!
  この野郎!天龍みたいに大きくなれよ!!」

3度のギブアップ負けって、高田と健介と
あと誰にやられたのか?
誰かご存じないです?
水は低きに流れるという。
人間は楽なほうに流されがちだ。
それが自分という人間の価値を
貶めてしまう結果になってもだ。

平成7年4月2日、東京ドームでは
週刊プロレスを発行する出版社が主催する
13団体参加の一大イベント、
「夢の架け橋」があった。
その敷地内にある後楽園ホールでは
WARの興行が行われた。

天龍源一郎が90年に全日を退団して、
SWS設立に走ったときの騒動を
今のファンはどれくらいご存知だろうか?
今まで味方だったマスコミがこぞって
バッシングを始めた。
ファンは迷ったが、結局はマスコミに
煽られてしまった。
2年間精一杯走り抜けてきた、
プロレス大賞男は一気に
プロレス界の鼻つまみ者とされた。

特に週刊プロレスは酷かった。
「天龍は金で動いた」
とにかく論調は偏向しており、一辺倒だった。

その時の天龍源一郎の気持ちは
如何ほどのものだったのであろうか。
SWSは週刊プロレスを取材拒否にする。

時は流れて、WAR設立。
週刊プロレスの取材拒否は解除される。
しかし、あの時の悔しさは決して
天龍源一郎の心から消えていなかった。

天龍は、後楽園大会の収益を遥かに上回る
ギャラを提示されるが、断固拒絶した。
「俺は金じゃ動かない」
痛快なこと、この上なかった。

たまに思う、天龍がもう少し世渡りが旨かったら、
もっと楽にプロレス人生を送っているよなと。
でも低きに流れないからこそ、
天龍源一郎は天龍源一郎なのだと思う。
WE ALL WANT TO CHANGE THE WORLD!
92年SWSは崩壊した。
スタートこそ華々しかったが、その後様々な選手間の
確執が団体の足を引っ張った。
リング上にしか答えがないプロレスのはずが、
SWSの場合はリング外の、ファン不在の問題が多すぎた。
全日における天龍同盟の方法論とは全く逆のことが起こっていた。

社長に就任していた天龍源一郎の苦悩振りは
そうとうなものであっただろう。
そんな中反天龍派によるクーデターが起こる。
団体は完全に分裂、「レボリューション」と「パライストラ」
「道場・檄」の選手はいっさいマッチメークで絡まない。
ガタガタである。
ファン不在のリング上で
連合軍は大円陣を組んで反天龍を大アピールした。

その大会の控え室。
天龍は悔し涙を流しながら言葉を吐き出す。

「熱い気持ちをストレートにぶつけるだけでは、
権謀術数を弄する奴らに足元をすくわれてしまうのか」

そばにいる阿修羅・原がサポートする。

「源ちゃん、俺たちがついてるよ。
源ちゃんのやりたいようにやっていいんだよ。
 おい、冬木、弱音を吐かせちゃだめだ!」

ますます天龍の涙が溢れる。

「このまま終わらせないよ、SWS。
全日とSWSでやってきたことを無駄にはさせない。
 一体だれがこういう風にしたんだよ」

思いは空しく翌月SWSは崩壊する。
しかし天龍はWARを最高の仲間たちと旗揚げする。

思いが届かないことは人生多い。
真面目にやっている人間が幸せになれるわけではない。
でも世の中は捨てたもんじゃない。
ポニーキャニオン
橋本真也一周忌追悼DVD-BOX 破壊王 橋本真也全集

今日、スカパーでサムライを見ていたら、

破壊王・橋本真也の追悼番組があった。


いつの試合だったか、橋本は天龍との対戦後、こう語った。


 「俺も天龍源一郎のようなおっさんになれるかな」

ジャイアント馬場がなくなった時、天龍はこう語った。


 「あまりにも突然すぎて、なにも言う言葉が見つからない。
  今はご冥福をお祈りするとしかいえない。
  馬場さんがいなければプロレスをやっていなかった」

ジャンボ鶴田がなくなった時、天龍はこう語った。


 「とにかく俺は幸せ者だよ、こうやってプロレスを

  続けていけるんだから。志半ばでプロレスから

  離れていく者もいる。

  プロレスをやれる俺は彼らの分まで頑張らなくては」

人は誰か身近な、自分に近しい人がなくなった時、

自分の命が永遠でないことを思い出すという。

自分が死ぬときに我々は、他人の心にそれだけの衝撃を

残せるのだろうか。

破壊王・橋本真也よ、君はまだまだおっさんになる前に

逝ってしまったではないか。
君が目標とした天龍源一郎がSWSをスタートさせた歳に、

君は何を残せたのだ。
頼むから、安らかに眠らないでくれ、橋本!

携帯の着メロをサンダーストームから、爆勝宣言に換えた。
携帯がなるたびに、黒いパンタロンと白い鉢巻を思い出す。

ポニーキャニオン
さらば破壊王 橋本真也
代思想 (V ol.30-3)

1996年10月9日神宮球場。

メインの高田VS天龍よりも胸がときめくことがあった。
6年ぶりに天龍同盟が同じリングに立つ。

それだけで色々なことを期待してしまう。

天龍はことあるごとに郷愁を口にするが、

かっての直弟子川田は一切天龍のことを口に出さない。
あんなに育て上げてもらったのに、我々何も知らないファンは
川田を恩知らずだと思う。そんな二人が同じリングに上がる。

それだけでファンとしてはたまらない感情があった。

しかし、本番のリングでは何も起こらなかった。

残念がっている我々に週刊ゴングの表紙が届く。

そこには川田の試合を熱く見つめる天龍源一郎の姿があった。

「あれから何年経った、もう6年か、早いな。

とにかく天龍同盟ここにありだよな。 川田も、折原も大きくなった。

感無量だよ。俺の走ってきた道に間違いはなかった」

自分が信じた道を進み続けていても、たまに不安になることがある。
その道が過酷であればあるほどだ。
ただ必ず理解者はいる、必ず見守ってくれている人がいる。

ビデオメーカー
F[ef](4)タイトルマッチ編
4年前までハヤブサという大きな身体をしならせて、
華麗な空中殺法をこなす、素晴らしいレスラーがいた。
今でもファイヤーバードスプラッシュの迫力は忘れられない。

あの痛ましい事故のことが今でも昨日のことのように蘇る。
明らかにオーバーワークのせいだった。

1年後ハヤブサは帰ってきた。車椅子に乗って。

そしてWMF旗揚げ興行。
ハヤブサの挨拶は大声援で迎えられた。

「あのときから今までいくつの涙が流されたことでしょう。
僕らはあの頃の夢を紡いでいく、新しい夢を作っていく、
そういう団体を目指します」

次の言葉を発しながら、ハヤブサは震えながら杖をついて、
車椅子から立ち上がる。目は前を見つめているが、真っ赤だ。

弱った足、細くなった手、なくなった筋肉。
全てが絶望的であった。しかし、だがしかし...。

「見続ければ...諦めなければ夢は終わらない!」

搾り出す声、元気なころとは別人の張りのなさだ。
だから余計心に響いた。

最近、ハヤブサはよくマスコミに登場する。
そのたびにもう無理だよな、と思う。
だが、しかし、あのときの言葉が頭をよぎる。

もしかして、また不死鳥がリングを舞うときがくるのでは...。

本人と我々が諦めない限り...。


天龍 源一郎
瞬間(いま)を生きろ!―天龍源一郎の反骨格闘人生

1992年末天龍源一郎率いるWARは

経営悪化の打開策として新日との対抗戦に出ていた。


しかし連敗に次ぐ連敗。正直天龍も新日という強国に

飲み込まれてしまうのか、レボリューションもこれまでか、

という時期でもあった。

場所は後楽園ホール。相手は越中率いる反選手会同盟であった。
正直な話ここまでの戦跡はWAR陣営にとって芳しいものではなかった。

連敗につぐ連敗、総帥天龍源一郎が引っ張り出された格好であった。


序盤は反選手会同盟が試合のイニシアチブを握っていたが、

やはり天龍がひっくり返し、この試合を激勝。


試合後、天龍はリングサイドの当時新日幹部マサ斉藤にぶつける、

「おいっ!斉藤!俺はハードルを越えたからな!

 次は新日本プロレス! こいっ!この野郎!!」

試合後の控え室にて、興奮が収まらない天龍源一郎は、
テレ朝のインタビュアーにこう言う。

「断崖絶壁なんていう言葉は余裕がある奴のいう言葉だよ。

 あとは長州!俺は待ってるからな、カッコいい台詞を待ってるからな」

翌年の1月4日の東京ドーム大会、天龍は長州と一騎打ちを実現させる。
血反吐を吐いて頑張ることのみが、

自分の居場所を作ってくれる。