ナビスコカップの試合について書くつもりでしたが、まだちゃんと見れてないので、



やめました。



この前、色んなことを思って書いてみたけど、実際自分ってどうなんだろう…。と思いました。



他人のことなんだかんだ言うけど、自分って何!?みたいな。



私は、こういうところで発散する分、皆よりも子どもなのかもしれない。



結局自分の感情が抑えきれずにどこかで爆発させないと、自分がおかしくなりそうだと最近よく感じる。



努力は人を裏切らない、とかいうけど裏切られたことがあるからそんなもの信じられない。



私はよく言います。



でも、このブログを始めてから、



努力しても落ちる時はある。でも受かったやつに努力していないやつはいない



という言葉をbookで見つけてドキッとしました。



そう、私はこの言葉で自分が甘えていたことに気づかされました。



高校、良い友達には巡り会えたし、あの高校に行かなければ、おそらく今の恩師にも出会うチャンスは少なかったと思う。



今は、そう思えますが、高校時代はそんなこと思えませんでした。



やめたい



何度思ったか。しかし、親は私よりもショックを受けていたにも関わらず、だまって授業料と入学金を出してくれました。



それをわかっているから私もやめてもう一度受験しようとは言えませんでした。



しかし、何か壁にぶち当たるとすぐに学校のせいにするし、一番の問題は



「私の学校」



であるという自覚が一切なかったこと。



体験入学をしているような感覚で毎日学校に行っていました。



私と放課後までの時間をつなぐ場所



だから、すべてに一生懸命になれず、キャンプやJリーグで自分を満足させていました。



毎朝、乗り換える駅で


「ここで降りずに次の駅まで行ったら、新しい世界が出てくるかな」


と、現実から目を背けたり、しかし勇気がないからそんなことはできない、、、



ずっと、あの時番号がなかった自分を責め続け、環境のせいにして、自分を騙すかのように毎日を過ごしていました。



私がやっと高校を「自分の学校」と思えたとき、



それは高2の終わりごろ、



諦めがついたのかもしれません。もう他の高校に行くことは出来ないんだと。受験することはないんだと。



そして、その日は体調が悪く、運良く家に父がいたので学校に迎えに来てもらい車の中で少し話をしました。



「私、最近思うねんけど、今までな、体験入学してるようなフワフワした感じがあってん。行ってもここは私の来るところと違うって。他の学校にほんまは行くねんって。でもな、



やっと自分の学校のようなきがしてきた。」



良かったなぁ。2年長かったなぁ、よう頑張ったな。



お父さんには見せられませんでしたが、涙が溢れてたまりませんでした。



自分だけが苦しいと思い、ずっと見放されていたと勝手に思い込んでいたのに、実はずっと見守っていてくれたんだと、改めて両親に感謝しました。



高1の頃、友だちに「りんごは過去ばっかり見過ぎやねん。そんなん悔やんだって今さら仕方ないやん



と言われました。



そうは思っても割り切れない。それほどの思いがあったのに行けなかった。自分も苛立ち相手に対しても苛立つ。あのころは確かにすべてに対して後ろ向きだったのかもしれません。



でも、私は自分が納得するまで落ち込めたから起き上がれた気もします。



確かに前を向けと言うのは簡単に言えるけれど、実際向くまでには何時間も何年もかかりました。



その代わり、親の愛情や、そんな私を受け入れてくれる友達の存在にも気づけました。また、自分をほめるわけではないけど、この経験のおかげで、大切な、本当に本当に大切な友達を励ますことも出来た。



大学受験で前期に落ちた友達。私は泣くだけ泣いて言いました。




泣かずに我慢できるほどの思いじゃない。そこに行くために必死にすべてを我慢してきた彼女。この試験にかけていました。


「他の子は後期もあるし落ち込まずに頑張れとか言うけど、そんな慰めは通じひんかった。りんごだけが、落ち込むだけ落ち込め、泣くだけ泣け、悔しいやんな、むっちゃむかつくやんな、今はとにかく思いを吐いて、ほんでまた戻ってきて。って言ってくれて、めっちゃ嬉しかった。」



この後、彼女は後期で合格しました。




最近、、また環境のせいにし出していた私。



この日記を書いて、少しあの頃の気持ちを思い出せました。



ゆっくり、ゆっくり前を向こう。



そして後悔しないように今頑張れることを精一杯頑張ろう。



自分一人な気がしていました。でもどこかで誰かが見守ってくれてるのかな、と思うとなんとか、なんとか、、、



一歩踏み出します。






私には、甘えが最大の敵だわ…ガーン

お待たせしました☆(ま、私がですが)



今日は書いちゃいます。何がって?



もちろんあの人についてです。



この前は川口さんのお話。いやぁ、本当に書きながら自分でも「よくサッカー好きになったなぁ…」と思うくらいサッカー嫌いな要素たっぷりでしたねげっ!


能活さん、あんた本当すごいよ。



そしてトリコロールのブルーからサックスブルーへと変わる日が来ました。98年JOMOカップ。

柳沢のハットトリック!!


なんかよりも、私の心を奪った恋の矢人がいました。


そのハットトリックの2点をアシストサッカー



2点目の頭アシストはなぜかどツボ…。



その人とは、、、私の友達なら一度は名前を聞いたことがあるだろうと思いますが、




奥大介です。



今でこそあのちょこちょこ歩きが特徴的な大さんですが、このときは意外と普通に歩いてたし、戻るときには走ってたんですよ!!!!



おく


という名前が異様に馴染んだというか頭から離れなくなり、また頭アシストが異常に気に入り、どこのチームか見ると、これまたずっとお世話をかけることになる



ジュビロ磐田


でした。これがサッカーばかになるきっかけですかね…。


ちなみに、友達なんかは「私=ジュビロ」となってる人もいて、この前ちょっと今気になる選手を見に、長居競技場に足を運んで久々の再開ニコニコした途端、「そういえば今日ジュビロの人数(サポですよ)いつもより多かったなぁ」




…ちなみにこの日見に行ったのはセレッソ対ジェフでした。。。


「あ!!!!!違う!!今日ジェフやん!!!」友達は自分で言いながらめっちゃビックリしてました。


そうだよね、どれだけジュビロの試合行ってたかを考えると、しかも私と長居で会うのはそういう時よね…(笑)



そしてそのJOMOカップ以降、Jリーグのテレビ放送でジュビロは全てチェックですテレビ

ちなみにテレビ放送がなければラジオヘッドフォンでも聞きましたよ。確かこの日はレッズ戦inヤマハ。レッズが降格争いをしてる(!!)時で、「今日レッズが負ければ何かするぞ」みたいな脅迫電話がヤマハスタジアムにかかってきたらしく、警察100人動員だったらしいです。試合も大荒れ。取りつ取られつのシーソーゲームで、最後に点を決めてくれたのはやっぱりこの人、ジュビロといえばこの人、



奥大介ラブラブ(今、隊長やと思った皆さん、すいません)











中盤少し下あたりから得意のドリブル突破&技ありルーーーーープサッカー決勝点!!その日の夜のスーパーサッカーで映像は見ましたが、ラジオの実況だけでも大興奮アップちなみに映像は鼻血もんですクラッカー



万博でのジュビロ戦やら、天皇杯でユニバーに来たとき、どっちも行けずに泣いた記憶が…。



そして、とうとう痛いファンへ。。。



ファンレター、しかも変な気遣いのために、毎日のように日記を読まされた大さん。



大さん、本当にごめんなさいっっっっっあせる


もちろん、試合はちゃんと見てましたからね、言いたくなるじゃないですか、色々と。でもですよ、プロが中2の小娘に「このプレーはあーだこーだ」言われたら「なんやねん?むかっ」って思うじゃないですか!!



だから、自分の周りの日常生活で起こったおもしろいことを云々と書いて送り続けたんですよ。



本当にすいません…



今思えばすぐにでも燃やしていただきたい代物です。いや、それは寂しい。。。でもできれば燃やしてこの世に残らないような状態にしていただきたいと思っています。



というか、恥ずかしすぎます。。。








そんなこんなで、奥大介選手のファンというか強力な(?)サポーターとして日々過ごした中学と高校でした。




その後、大さん移籍&私の受験ということで(&大さんの結婚…)で、サッカーから徐々に離れざるをえない状況になっていきました。




まだまだあるんですが、細かいことを言い出すとキリがないことに今気付き、終わります。



今日はこの前の続きを書こうと思ったんですが、久々にブログ上ですが、友達と再会できてとても嬉しくてこの報告だけ…(笑)

彼女とは高校3年間同じクラスだったんですが、1年生の頃にめっちゃ激しく(?)ケンカをしました。あの時は本当に「なんで私がこんなことこの子に言われんとあかんの!?」と激怒していましたが…。



今考えると、あれだけお互いに思っていることを言えたのはあれ以来ないんじゃないかな…(恩師に諭されたのは除きます…)と思うんです。今の大学では、仲は良いんですが、時たま(最近はしょっちゅう)



これってどうせうわべだけの関係やん。」



と感じることがあります。そう、結局良いとこしか見ないから、いやな事を相手に言えなくなって、自分が我慢しなければいけないんです。



確かに自分が我慢するということは大切だし、大人になって「あれが嫌だ、これが気に入らない」とか言ってる方がおかしいとも思いますが、



友達


ってそうじゃないと思う。我慢できる部分はしないとダメだと思うし、するべきだとも思うんですが、相手にとっても自分にとっても良くないことは言わないといけないんじゃないかと思います。それがいくら関係を悪くしたくない人たちでも。今の友達の中では、そういうところをうやむやというか、なぁなぁで終わらせてしまう雰囲気があり、少し気になってます。昔、私が言ったときは「りんご、怖い~」と流す感じで私が悪者にされ笑いで終わらされた感じがありました。



それで良いの??



誰かが我慢して楽しければそれで良いの?



それはいじめと大して変わらないかもしれない。

紙一重かも。

友達だから許されているだけであって。



「ま、いいか」

「仕方ないんじゃん?」



こういう場面で使われると少し悲しいです。





だから、あの時彼女に私がしたことや考えていたことで彼女にどれだけ迷惑がかかったとか、あの時はただ言われたことがショックで泣いていましたが、今思えばそんなことを彼女も言いたくなかっただろうし、言ってもらったことで、自分の立場っていうのが再確認できたし(そのとき、Jリーグを見るために学校の仕事を彼女に任せました。)、実際、今そのせいで気まずい関係かと言われれば、そんなことはなく、言ってもらえて良かったと最近本当によく思います。そして今、もしかしたら、私は思いっきり言い合える相手がいないのかな、と感じました。




本当に仲が良いってどんななんでしょうね…。

ではないんですが、私のサッカーばかネタを。



私は川口能活さんのプレーを見てサッカーのことを知りました。




まぁ、弟がサッカー部だったんですけど、全然興味はなく。。。キャプテン翼見てたなぁぐらいのレベルな人間だったんです。だから1998年のフランスW杯とか、どっちかというと、というかはっきり言って始まるな!って感じだったんです。


冬季オリンピック長野大会いわゆる長野オリンピックですね。私はそっちのほうが楽しくて、スピードスケートでは清水さん優勝するし、モーグルでは里谷さん優勝するし、ジャンプでは個人・団体ともに泣かされるし、フィギュアスケートではミッシェル・クワンに心を持っていかれるし…(以来私はミッシェルしか女王と呼びません)。


そんなこんなで私にはサッカーなんてものはその時点で不要なもので、長野オリンピックの余韻を消すだけの邪魔者だと思ってました。




しかし、弟がいればやっぱりテレビはついてるものですよね。そして、ついていれば見てしまうものです。人生初!!W杯観戦。残念ながらサッカー初観戦ではなかったんです…。なんせ、私の地元、ホームタウンなんですよ、J初年度からのサッカーテレビ放送、無駄にあるわけですよ。(無駄とか言ってごめんね)



あのアルゼンチン、名前くらいは知ってますよ。強いってのもなんでか知ってますよ。だから日本、かわいそうに、、、って思いましたよ。10-0くらいの勢いで負けるんじゃないかと思ってました。




しかし、あの能活さんのファインセーブの連発に私は釘付けになりました。オルテガやバティが何度もシュートを放つんですが、絶妙な飛び出し。結局1点取られちゃいましたが、まさかあんなに善戦するとは思いもよらず…。それどころか、90分飽きずに試合を見れたことが

奇跡!!!


そうなんです。ホームタウンなおかげでサッカーも何もわからない小学生、Jリーグ楽しいはずがありません。


それでサッカー嫌い、助長されていました。その反動がなんともでかかった!この試合は今でも忘れません!!



おかげでクロアチア戦、うちの中で誰よりも楽しみにしていました(笑)




その後、どうしてもあの能活さんのプレーが生で見たくて、とうとう行きました、競技場。中学生であの強烈な横浜サポーターの中に乗り込みました。なかなか聞かない標準語を新鮮に感じ(笑)、城彰二の2点でマリノスの勝利!!今もその時のチケットは取ってあります。大事に大事に☆



W杯後、色々試合を見る中でやはりハマっていく選手が出てくるわけです。JOMOカップかなぁ。。。今じゃオールスターと一緒になっちゃってるみたいやけど、昔はJOMOカップってのがあったんですよねぇ、懐かしい!!!



じゃあ次回はその選手について…(笑)

やってきました。

グチを書く日が…。

こんなに早く訪れるなんて。




昨日、学校の演習で緩和ケアの授業でホスピス病棟に行きました。



人数が多いので、半分に分かれて行ったんですがね…



なんせ、病院というのは色んな特色があるじゃないですか。



そこにはそこの良さがあると思うんです。



確かに私達が行った病院の説明、とっても長くて眠かったんですよ…。ごめんなさいショック!



でも、ホスピスっていうのは、キリスト教の流れを汲んでここまで発展してきた背景があり、

キリスト教とはなかなか切り離して考えることはできないんですよね。



それすら友達たちは受け入れられないようでしたが。


私は運良く(?)高校時代がキリスト教系のミッションスクールクリスマスツリーだったので

そこらへんの知識はたんまりあるわけです。



しかしそれとこれとは別問題で、その亡くなって逝く人たちが心のよりどころとなる

場としてホスピスがあり、その根本がキリスト教でそれがその人たちを

スピリチュアルな悩みから救うことができるなら、キリストだろうがなんだろうが

私は良いと思うんです。



こんな時私は、ヨーロッパの方やキリスト教の信者さんやその他宗教を信仰している人を

うらやましいと思う。

だって死ぬことが怖くないと思えるなら、それは私にはとっても嬉しいこと。



家族ともう会えない。恋人ともう会えない。友達ともう会えない。

何ももうできない。やりたいことまだまだあるよ…


そんな気持ちをすべて「神の近くに行ける。幸せなことです」

と思って、死ぬことを前向きに考えられる。



そんなふうに考えられるのはとても幸せだと思いました。


タイタニックの上で最後に死が迫っている人は神に救いを求めていました。

その言葉で恐怖から解放されるのなら…。



「なぜ私が死ななければならないの?」

「どうして他の人じゃなくて私なの?」

「死にたくないよ」



このような解決できないような悩み痛みを「スピリチュアルな痛み」と言います。



これを軽くしてあげられるなら、キリスト教がなんだとかそんなこと言っていられないんじゃないかな。



でも、この見学で他の人の反応は

「もう一つのほうの病院はとっても綺麗だったんだよ」

「向こうはロールプレイングとかして実践的で良さげだったよ」

「最後に紅茶とかハーブティー出してくれたんだって」




こんなことを感じるために行ったんだろうか…。

ないものねだりをしたって、今は仕方ないのに。

どうして行ったところから何も学ばないのだろう。



と、感じてしまいました。      



皆、ごめんね…。

皆はほかの事をもっと感じているんだろうけど、

私にはあの言葉を聞くと、死に臨む人たちの気持ちは?

と感じずにはいられないんです。










珍しくまじめでしょ?ってまだ3回目日記だけどあせる