読書 | 気がつけば ひふみちゃんや空や輝くなにかと一緒に♪

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わたしは
わたしと調和して生きていこう

わたしのあゆみがわたしの花となる

(今日は本読みの日でした。

 その中で
 スーッと身体で理解した部分を
 覚え書として残しておきます。)




「一念」とは、一つの念いと書きます。 

念いと書いて「おもい」と読みます。
現在では、 
「思い」とか 
「想い」という字で表されて、
同じようなくくりになっていますが、
漢字が異なるように、
本来は意味も違っているのです。
 (中略)

「思い」とは、
「頭」で考えることです。

つまり、思考のことです。
頭で、空想することです。

「あれが欲しいな」とか、
「そこに行きたいな」など、

  
物理的な欲求のほとんどは、
頭で考えた思いです。

いっぽう、

「想い」とは、
胸から湧き上がる感情のことです。

相手の心と書いて
「想い」と読みます。

代表的なのは、
親が子どもを想う心。

あるいは、子どもが親を想う心。

それでは「念い」とは、
一体何なのでしょう?

それは、物理的な欲求でもなく、
相手を想う心でもありません。
そして、
そこには、自己責任の覚悟が伴います。
「思い」も
「想い」も、自分以外に対象があります。
しかし「念い」とは、自分の中にあるのです。

「自分が」欲しいのです。
「自分が」想っているのです。
「自分、が」。

些細な違いですが、
この差は大きいです。
 (中略)

「自分が」という責任のもと、
何かを求めることが「念い」なのです。

      『わたしは王』金城光夫著より