*マグロは常に泳いでいて、動いていないと死んでしまう生き物。マグロのようにいつも動いている人のことをマグロという。
2年前くらいまで、私はマグロだと思っていました。
マグロであることが心地いい、それが私であると思ってました。
だけど、長く勤めた会社を辞め、今まで積み重ねてきたものもすべて捨てて、ゼロに戻ったように感じたとき、
ふと思ったんです。
あれ〜?
あたしはいつからマグロになったんだ?って。
マグロのように動き続けることが楽しい、心地いい、清々しい、充実感がある、達成感がある、と思うようになったのはいつからだ?と疑問に思いました。
マグロじゃないといけないとどこかで思っていて、マグロじゃないと安心できなかったのかもしれないですね。
考えてみたら、私は子供の頃、早いのが苦手だった。時間をかけて丁寧に何かをすることが好きだった。
それがいつの間にかやることに追われ、テキパキとこなさなければならなくなった。
それによって確かに要領も良くなったし、知恵もついた。
できる人になったようにも感じた。
でも、カラダは悲鳴をあげていたんだなぁ〜、
カラダにムチ打って、無理してカラダを鍛えて努力して、テキパキこなすことをを維持しようとしていた。
でも、それはダメなんだとカラダが教えてくれた。
早くしようと焦ったり、効率よくテキパキやろうとするとケガをして動けなくなるということが度々起こり、これは違うんだ、間違えていると気がつくことができた。
これは本当の私ではない、本当に望んでいる私の在り方ではないと思い、子どもの頃のように敢えて効率など関係なくゆっくり丁寧にマイペースで楽しんでやってみることを始めてみた。
初めはゆっくりがどうも心地悪く感じたけれど、続けてみてわかったことは、
ゆっくりは楽しいだった。
飽きたら休む、疲れたら休むとか、
とにかく無理せずマイペースを貫いてみたりした。
やっぱり私は、ゆっくり丁寧がもともと好きでそれが心地よく感じるのだと改めて知った。
呼吸もゆったり深くなった気がするし、ムダにイライラすることもなくなった。
自分の感情にも気づく余裕が生まれ、人に対する見方にも変化が出てきて、嫌いな人に対しても相手の事情や心理も見えるようになり、あまりこだわらなくなった。
今は、カラダに無理をさせないで心地よさを大切にして、痛んでいるところは丁寧にケアしてあげられるように、仕事を減らすなどして時間を作るように変えてみた。
収入はだいぶ減ったけど、なんとかなっているし、
自分が安心できるリズムで生きられる心地よさを作ってあげることのほうが何より大事なんだと痛感している今日この頃です。