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移転するか辞めるかする。
このIDと重ねてきた長さに執着心はあるのだけれど
最近文章ちゅうどくだからやめるわけにもね
記事は消すかこのままかしかほうほうがないらしい
消すのはもったいない
ばいばい一年
明日学校だと思うとなかなか寝付けない。
けさ書いた文章を読み返してみた。なかなか不愉快な文章だもの
衝動的にかいたことに後悔している。
なんというか、わたしは(だれでも、かもしれないけど)
切羽詰まって緊張するとすごく自己顕示欲がでてきて
すごくやらしい女の子になりやすい。自分をまもろうとしてのかんじなのだけれど。
でもその自分の守り方が、「そういう人間」って感じにおいては自然だから
ひとには緊張していることが伝わらない。うまくいってるのだかうまくいっていないのだか。
見下されはしないし、どちらかといえば怖がれるけどそれはわたしではないなあとか思うんだ。
家族にいじられて、笑われてる私が私だと思うんだ。ふざけたこといってる私がいちばん心地いい。
どんな自分もじぶんだけど。
自分は変わらない一個の個体
じゃなくてそのばの状況に影響された部分をふくめて自分なんだ。
自分はつねに液体で気体なんだよ。
でも消すのはなんだか責任のがれだし、
私の厭ないちめんを消すのも正しくないからしないけども。
読んでも私のすべてを見いだそうとしないでほしい。
とにかくブログなんかでそのひとのすべてを図るなんてむりなわけだけどね。
ただ自分を語るのではなくて自分と対話するツールとしてブログを使いたいと思ってる。
自分を語るのは他者の存在を意識したもので、きっと中身がかわってしまうから。
さおりは(勝手な私の思い込みだけど)すごく私と他者の線引きのあいまいなところにいるんだよね。
似ているのか、さおりが想像力のあるひとだからなのか、よくはわからないんだけどね。
とにかく、自分と対話するツール、という姿勢は崩しちゃいけないとおもう。
崩した結果、こんなふうに後悔してしまっているわけなんだもの。
アイデンティティというのは自分に語るストーリーなんだって。
あしたから学校なんだって。やだな。
小学校からいままで学校が好きだったことなんてないよ。
毎日やりすごす場所だった。
いまは場所のせいにせず、自分が楽しくなるような努力を怠らない
ということをポリシーにしてやったおかげでつまらなくはないけれど。
学校は好きじゃない。学校というものが好きじゃない。
ひとは好きだけど。勉強もすきなんだけど。昔からそうだった。
ただ学校という制度、施設、たてもの、匂い、色が苦手。
まあ辛くないだけましなんだから贅沢はいえません。
死にそうじゃないんだから喜べ私。
わたしは自分のことばを使えるようになりたい。
どうしてもだれかが使ったような、どこかで聴いたことがあるようなことばを使ってしまうんだ。
そのことばに落ち着くことで、自分の本当の気持ちを軽視したことばになってしまうんだ。
ダリの. 「最初に若い女性の頬をバラにたとえた人は明らかに詩人であり、最初にそれを繰り返した人は愚か者である」
っていうやつさ。まあこうやって引用することもそうなるんだけど。
あと今日のもやもや。さいきんニュースが苦手。
ニュースとかドキュメンタリーにでてくるひとをどうしても疑いの目でみてしまって
どうしても純粋にそれらに感動したり感心できないわたしは
感受性がない、つまらない、ひねくれてるって非難されているような気分になってしまうから。
非難されて、お前なんて社会から要らないっていわれてるかのような。
つらいんだよ。
ブログとのつきあいかたに悩む。
よし、吐いたからもうねむれる気がする。あしたはぜったいに3時におきたい。
けさ書いた文章を読み返してみた。なかなか不愉快な文章だもの
衝動的にかいたことに後悔している。
なんというか、わたしは(だれでも、かもしれないけど)
切羽詰まって緊張するとすごく自己顕示欲がでてきて
すごくやらしい女の子になりやすい。自分をまもろうとしてのかんじなのだけれど。
でもその自分の守り方が、「そういう人間」って感じにおいては自然だから
ひとには緊張していることが伝わらない。うまくいってるのだかうまくいっていないのだか。
見下されはしないし、どちらかといえば怖がれるけどそれはわたしではないなあとか思うんだ。
家族にいじられて、笑われてる私が私だと思うんだ。ふざけたこといってる私がいちばん心地いい。
どんな自分もじぶんだけど。
自分は変わらない一個の個体
じゃなくてそのばの状況に影響された部分をふくめて自分なんだ。
自分はつねに液体で気体なんだよ。
でも消すのはなんだか責任のがれだし、
私の厭ないちめんを消すのも正しくないからしないけども。
読んでも私のすべてを見いだそうとしないでほしい。
とにかくブログなんかでそのひとのすべてを図るなんてむりなわけだけどね。
ただ自分を語るのではなくて自分と対話するツールとしてブログを使いたいと思ってる。
自分を語るのは他者の存在を意識したもので、きっと中身がかわってしまうから。
さおりは(勝手な私の思い込みだけど)すごく私と他者の線引きのあいまいなところにいるんだよね。
似ているのか、さおりが想像力のあるひとだからなのか、よくはわからないんだけどね。
とにかく、自分と対話するツール、という姿勢は崩しちゃいけないとおもう。
崩した結果、こんなふうに後悔してしまっているわけなんだもの。
アイデンティティというのは自分に語るストーリーなんだって。
あしたから学校なんだって。やだな。
小学校からいままで学校が好きだったことなんてないよ。
毎日やりすごす場所だった。
いまは場所のせいにせず、自分が楽しくなるような努力を怠らない
ということをポリシーにしてやったおかげでつまらなくはないけれど。
学校は好きじゃない。学校というものが好きじゃない。
ひとは好きだけど。勉強もすきなんだけど。昔からそうだった。
ただ学校という制度、施設、たてもの、匂い、色が苦手。
まあ辛くないだけましなんだから贅沢はいえません。
死にそうじゃないんだから喜べ私。
わたしは自分のことばを使えるようになりたい。
どうしてもだれかが使ったような、どこかで聴いたことがあるようなことばを使ってしまうんだ。
そのことばに落ち着くことで、自分の本当の気持ちを軽視したことばになってしまうんだ。
ダリの. 「最初に若い女性の頬をバラにたとえた人は明らかに詩人であり、最初にそれを繰り返した人は愚か者である」
っていうやつさ。まあこうやって引用することもそうなるんだけど。
あと今日のもやもや。さいきんニュースが苦手。
ニュースとかドキュメンタリーにでてくるひとをどうしても疑いの目でみてしまって
どうしても純粋にそれらに感動したり感心できないわたしは
感受性がない、つまらない、ひねくれてるって非難されているような気分になってしまうから。
非難されて、お前なんて社会から要らないっていわれてるかのような。
つらいんだよ。
ブログとのつきあいかたに悩む。
よし、吐いたからもうねむれる気がする。あしたはぜったいに3時におきたい。