『男はつらいよ』思いつくまま・・・
松竹映画『男はつらいよ』は、1969年に大ヒットした作品である。後に48作品が制作され、一人の主人公を扱った最長シリーズの映画作品として現在ギネスブックに掲載されている。しかし、この作品はもともとフジテレビの連続テレビドラマであった。1968年10月から翌年の3月まで放映されていたのである。テレビドラマでは、さくら役には長山藍子、またマドンナ役には佐藤オリエの配役となっている。このマドンナは、坪内散歩という、坪内逍遥をもじった英語の先生の娘の役で、いわゆる“いいところのお嬢さん”という設定であり、その後の映画版に登場する寅さんの愛するマドンナたちにも、その共通性を見出すこが出来る。
さて、この映画、第1作こそ監督はドラマの脚本を書いた山田洋次であるのだが、第3作は森崎東、第4作が小林俊一と変遷していく。制作当初はシリーズ化する予定は無かったのであろう。また、星野哲郎作詞、山本直純作曲の、あの主題歌も、ドラマ時代のものであることから、第1作で終わるべき内容であったことがうかがわれる。また、映画の第1作では、主人公の寅次郎は非常に乱暴な人物として描かれている。しかし、渥美清が年を重ねるのにつれて、またシリーズが長く続くにつれて、その性格は次第に穏やかになる。そして“仲良きことは美しき哉”的な、武者小路実篤的な発言が目立つようになるのである。この変貌は、当初からの寅さんファンにとっては、ある意味では虚しいことであるのかもしれない。しかし、この作品が大衆娯楽映画として次第に人々に受け入れられ、また支持されていくうちに自然に変貌していったことに対しては、ファンとても充分納得のいくことなのかもしれない。
ところで、監督の山田洋次は東京大学法学部の出身であり、いわゆる「さしずめインテリ」である。そうであっても、映画の中での視点という意味においては、上から見下ろすのではなく、下から見据えるという形で描かれている。つまり「ロードーシャ者諸君」という視点から描かれている点を重視しておかなければならない。そして、庶民性、大衆性という観点から、鑑賞者は共感と感動の涙を流すのだ。
また、この映画の魅力の一つに、寅さんの「アリア」場面がある。見事な抑揚。口跡の良さ。そして、それらを遥かに凌駕する寅さんのその姿、物腰、存在感。渥美清という俳優の、本名の田所康雄という人間の、人生そのものを語るがごとき長い口上。人間関係の葛藤をも含めた、その傷だらけの壮絶な役者人生を思い、戦慄さえ覚える。このシリーズの真の価値が世界中の人たちによって認められ、そして何よりも渇望される時が今、まさに到来している。このアリアを聴き、人々は、「人が人を想う気持ちの大切さ」を再確認するのだ。山田洋次監督は、この映画を通じて、まさに「人が人を想う」ということの尊さ、大切さを、すべての人々に伝えたかったのではないだろうか。
そして、山田洋次監督は、この映画の大きなテーマとして、純愛を掲げていたのである。この純愛は、西欧では「宮廷愛」(宮廷的恋愛)と考えられ、騎士が貴婦人に無償の愛を注ぐという形で現れる。シリーズのマドンナンの多くが、庶民には手が届かない貴婦人のような女性であることからもそう考えられよう。ラ・マンチャの男、ドンキホーテ等が、愛を捧げるのも、これと同じテーマであるからに他ならない。マドンナという語自体、聖母マリアのことを表し、犯すべからざる存在を意味しているのだ。
このように考えると、この映画を、単純に日本映画の典型と考えることは間違えであることに気づく。実は、根源的には西欧的なテーマを内包した、全世界の人々に共感を得られる世界的感動映画であるということができるのだ。この映画は、日本的表現法を見事に駆使して、普遍的な愛を描いている。そうであるからこそ、今日のように国内のみならず、海外でも受容され、楽しまれているのである。
全国津々浦々を旅した寅さんが、訪れることが出来なかった土地が2ヶ所あった。それは富山県と高知県である。高知県は、第49作のロケ地として既に正式に決定していたのだが、残る高知県については全く決まっていなかった。もしかすると、その後、第50作のロケ地として候補地として挙がっていたのかもしれない。また、山田洋次監督がこのシリーズの結末をどのように考えていたのかなどと思うと、興味は尽きないのである。
