ADHD生まれは貧乏くじなの?
遊園地に行ったら、最初に何にのる? 観覧車や回転木馬にもロマンは感じるけど、私だったら、やっぱり一番スリルのある絶叫マシン。「死ぬほど怖い」と評判のオバケ屋敷なんかもいいな。せっかく遊園地に行くのなら、刺激強めがいい。カルピスだって濃いめが好き。人生も同じで、私は平凡で順調で退屈な生活より、毎日がスリルとサスペンスで「濃いめ」なADHDの日常の方が絶対楽しいと思う。
もし「来世」というものがあって、次に生まれてくるとき、神様に「どうする?」って聞かれたら、たぶん「もう1回ADHDでいく!」って即答する。
ADHDであるか否かに関わらず、どんな人生にも山や谷はあるはずだ。ADHDの人生はその山がすっごく高くて、谷がすっごく深い。そんなレッドブルでも思いつかない極端なコースを超高速で疾走していく。「命なんていくつあっても足りないわ~」なんて思っていると意外となくさないもんだわね、命って。
私もさすがに「他の人と比べる」と、「あぁ、あっちの生き方ができればラクそうだな」って思うことはある。でも、比べなければいいじゃん。他人と違うことを恐れちゃダメだ。自分が走るコースに集中して、思う存分スリルライドを楽しんだらいい。人生なんて楽しんだ者が勝ちなのさ。ジェットコースターに乗ったら、声が枯れるほどキャーキャー叫んだ方が楽しいに決まっている。
私がADHDだと診断されたのは30代に入ってからだけど、生まれたときから、もう60年近くADHDをやっている。遡って考えても「退屈だ」とか「ヒマだ」とか感じたことは全然ない。
だから、最近「あなたはADHDです」と診断されてドキドキしている初心者マークちゃん達に耳打ちしてあげたい。「ADHDって世間的にはハズレに見えるかもしれないけど、本当は大アタリかもしれないよ?」「どうせなら、おもいっきり楽しんじゃいなよ~!」って。
最近、50~60代の有名人が続けて亡くなった。ニュースを見て「私の人生も今日で終わるかもしれない」とか考える。明日の朝、無事に目が覚める保証なんか、どこにもないのだ。
だから今日は「亡くなったあの人が、とっても生きたかった1日だ」って、大切に生きようと思う。
で、本当に死ぬってときは「うわ~、超楽しかったなぁ~!」って大笑いしながら死んで、神様に「もう1回、ADHDでいく!」ってリクエストしたい。
No screams No Life!