たましいの響き -2ページ目

たましいの響き

サブです。メインからコピーしている場合もあります。

その4です 


<子供の命を守るために今、母親の覚悟が問われている!>


親のつけを子供が払わされる、それだけはかわいそう


江原

「私の子供時代を振り返れば、昔からすさんだ地域や家はいっぱいありました。洗濯もしてない服を着せている子だくさん、いつも夫婦げんかで物が飛び交う家。ある日、家ごとみんないなくなっちゃうというのもあった。当然、いじめもありましたよ。だけど、誰もがどこかで他人の痛みがわかっていた。


だから、今の時代みたいな陰惨ないじめはないし、ある時はいじめても、基本的にはかばい合ったんですよ。大人も子供もお互いに面倒を見たりご飯を食べさせたりとか。今回の事件の中で、それに近いものがあったなと思ったのは、被害者の中学の友達が 「守りきれなかった」と悔やんでいたことですね。」


「友達が、犯人の少年のところに抗議に行って、一度は謝らせていますよね。だから、なおさら大人が何もしてやれなかったことが、やりきれないんです。」


江原

「こうした事件が起こるたびに、「今は子供が変わった」と言われますが、私は反論します。

子供は変わってないと思う。絶対に。 変わったのは、親とか社会とか、大人のほうなんです。」


「今、子供の貧困化が急速に進んでいます。何年か前にその話を聞いた時は、本当に日本の話かなと思ったんですが、実際に今、ご飯を食べさせてもらえない子供たちが、いっぱいいるんですね。中学の出張授業をするために、各地に行きますが、ある学校では、クラスの3分の2が生活保護世帯だと聞いたこともあります。 豊かな日本で子供が甘やかされてわがままに育っていることが社会問題になっている、といわれていたのが一変しましたね。」


厚労省の調査(2012年)によると、

経済的に普通の暮らしが困難な人の割合を示す「相対的貧困率」は16.1%  

ひとり親家庭に限るとその割合は54.6%にまで達する。

また18才未満の子供の貧困率も50%を超えている。

2014年に生活保護を受給した世帯は161万を超える。

なお、何人の少年3人も、貧困が遠因となって非行に走っていたという指摘もある。

いずれも暮らしの貧しさが影を落としているのだ。


江原

「今は、金銭の貧しさが心の貧しさにそのままつながっていますよね。」


「非正規雇用が増えて、その人たちは300万円以下の収入しか得られていないといわれていますよね。雇用形態がひどいことになっているのは、私も承知しています。でも、手に職を持って一生懸命働くとか、努力した人、能力が高い人はそれなりの待遇を得ているんですよ。逆にいえば、努力もしない能力も磨かない、それでは貧困から抜け出せないと思う。

だから、子供の時から自分の人生をどうしたいのかという教育を、収入の多寡にかかわらず、親がちゃんとすべきだと思うんです。」


江原

「私たちは子供の時から、働かざる者食うべからず、と言われて育ってきました。「母子家庭で子供が3人いて貧しくて」と嘆いて相談に来る人がいますよ。 「子育てなんかあっという間ですよ、もうちょっと我慢しなさい。 子供たちが働けるようになったら、1人が20万円の働きだったとしても、4人合わせたら80万円ですよ」って。


「それまでの間が、本当につらかったら、生活保護や児童扶養手当などをもらってもいいじゃないですか。川崎のこのお母さんは報道によると、子供が成長するまで、このお母さんこそ支給してもらうべきだったと思うんですね。


シングルマザーであることも、貧困も恥ずべき事じゃないんだけど、その貧困のみじめさとかつらさを子供に味わわせちゃいけない。 「朝か晩まで働き詰めのお母さんが、受給の申請に行けるだろうか」という反論もありましたけど、生きるため、何より子供のために受給の手続きぐらいとるのは当たり前だと思うんです。


親のつけを子供が払わされる、それだけはかわいそうでなりません。その意味で、水商売だって若くてキレイなら、手っ取り早く稼げて、いいと思いますよ。ただ、夜、子供たちだけにしてしまうのは心配です。」


その5につづく。

前回の続き、その3です。


子育ての時期はなりふり構わず子供と向き合うべき


「今回の事件に限らず、子供を虐待で殺したりする親に向かって、「女であることを優先させるな」ということも私は書きました。でも、それが引用される時には、すべてのシングルマザーに向かって書いているように受け止められてしまいました。」


江原

「今の世の中の人を見ていて、以前と変わったなと思うことをひと言で言うと、すべてが゛自己憐憫゛なんです。パワハラ、モラハラといった言葉はその最たるもので、真っ当なことを言っても、都合よくモラハラといった言葉を使われたら最後、何も言えなくなってしまう。結局、自分に不都合なことが全部、責任転嫁されているわけです。」


「こんなに満たされない、こんなに報われない私は、本当にかわいそう、という感覚をみんな持つようになっているんでしょうね。 「私だって女なのに」 「いつまでも女でいたいのに」 ・・・・そういう意識も強い。」


江原

「それでみんなで、゛まあまあ゛って慰め合っているわけです。 もう10年以上前になりますが、ある雑誌から 「お母さんの悩み相談に答えてください」 と依頼されたことがありました。 その時、「子供にかかりきりで、自分一人の時間が持てない」という相談がとても多かった。 


そこで私は、「それが育児というものです。その覚悟を持って、あなたは母親になったんじゃないんですか」と答えたんです。 ところが、それでは駄目だって。で、私は本当のことを言えないのはおかしいと思って辞退したんですけど、今はこうした不満がもっと大きくなって、欲望に負けることを善としてしまう。



この事件についていえば、何があったかは知りませんが、旦那さんとのことでそれだけ嫌な思いをして離婚したわけですから、子供がある程度目鼻立ちがつくまで我慢なんですよ。 子育ての時間なんて振り返ってみたら短いものです。その間ぐらいなりふり構わず、ひたすら髪を振り乱して子供と向かい合ってもいいじゃないですか。」



「『女性セブン』でも、「お母さんはがんばったよね」という母親擁護の記事がありましたが、私はとても違和感を持ちました。 「ひとりの女性として生きるわずかな時間を男の人と過ごして、責められるのだろうか」と書いていましたけど、最近、子供が被害者になる事件の裏を見ると、母親が男の人を家に入れる、そのために子供の行き場がなくなって、外に出ていたという例が少なくないんですよね。かわいそうだから、もう言うのはよそうね、ということでは、同じような事件がこの先、何度でも起きてしまいますよ。」


江原

「私もそういう記事を読んで、びっくりしました。母親である前に女でいたいという思いの人が多いんでしょうね。」


本誌は3月26日号で 「上村くん お母さんはがんばったよね。」と題した記事を掲載。母親でなく、108万人を超えるといわれるシングルマザーに立ち塞がる貧困と、国や自治体のサポートが行き届いていない実態こそが問題ではないかと問うた。


「せめて子供が義務教育を終えるまでは我慢して自分のことは後回しにしなくちゃ。「いくつになっても女として生きる」などというのは、ごく恵まれた一部の人たちの戯言だと思うんです。 

子供を学校に行かせない、家の中はぐちゃぐちゃ、汚れた服を着せておいて、家に男の人を引き入れる・・・・。報じられている通りなら、私、ちょっと違うような気がするんです。」


江原

「家事育児は放棄、それでいて、自分は欲望のままに生きたいなんて、自分に甘すぎますよ。何かを得るには何かを失うという、そういうパワーバランスがあるんです。 あれもこれも全部欲しいと考えるのは、あまりにも幼稚すぎます。」


「先程、先生は ゛心の闇゛と言われましたけど、育児放棄や虐待するお母さんたちの心の闇というのは、子供もペットと同じで、ある時は猫かわいがりして、とんでもないかわいい格好をさせては、ブログやフェイスブックに載せて、「ほら、私はこんなかわいい子と幸せに暮らしているんです」って。」


江原

「演じているだけでしょう。 「こんなにいい親をしています」って、それがくだびれ果てて、裏では虐待になる・・・・。」


「夏になると、虐待が多くなるじゃないですか、暑くてイライラしてきて。狭い家に男の人を引き込んで、その相手もイライラして、 「うるさい」と子供を怒鳴ったり叩いたり。 そんなニュースを聞くたびに、本当に腹が立つんですよね。」


江原

「だったら、結婚しなきゃよかったし、子供を持たなきゃよかったでしょうと、私は言いたくなります。何も考えずに結婚をして、何も考えずに離婚して、何も考えずに子育てする人がどれほど多いか。自分でやったことは自分で落とし前をつける。その覚悟がないから、こういうことになっているんだと思いますね。」


その4に続く

その2です。


「5人もの子供を産んで、なぜ離婚するんですか、と多くの人が思ったのではないでしょうか。5人を女ひとりで育てるのがどんなに大変なことか。離婚するなら、相当の覚悟と同時に、経済的な保証、祖父母の協力も得られるのかどうか、事前の準備もいるはずなんです。」


江原

「幼い子供を抱えて離婚するには、それなりの理由があり、急を要することもあるかもしれない。でも、その場合でも理想的なことばかり考えてはならないと思う。自分の両親の先々の介護まで考えて、どこまで背負えるのかという自分の力量を知り、最善の選択をするのも大人の知恵なんですよね。それが無理だったら、児童施設に預けるとかそういう手だてを考えるべきなんです。生活の基盤もないのに手元に置きたいというのは、ただのエゴだと思わずにはいられません。」


「結果として育児放棄といわれてもおかしくない状態に陥っていたわけですからね。殺された子供の立場に立てば、私はこのお母さんにものを言わざるを得ないんです。」


江原

「私のことでいえば、実は4つのときに父に死なれて、私は急に祖母の家に預けられたんです。母は、生活の基盤ができたら迎えに来るからと言いましてね。クリスマスには枕元にミニカーが置かれていたりして、「もうちょっとで迎えに来るからね」って・・・・。保育園の運動会とかそんな時は顔を見せてくれました。


「折々にプレゼントやお土産を持って訪ねてくださったんですね。」


江原

「母にしてみれば、一から仕事を始めるなど大変だったと思うんです。ようやく2年後に生活が安定し、住む部屋も確保できたから、と迎えに来てくれたのです。なぜ、川崎のこのお母さんはそういうことができなかったのか、と思うんです。


「とても説得力のあるお話ですね。どんな理由があっても、優先されるのは子供の命であり、貧困と子供を育てるということは、分けて考えないといけないと私も思います。親には子供をまっとうな社会人に育てる責任があるんですから。」


その3につづく。

私より

「女性セブン GWスペシャル対談をご紹介します。

長いので記事を6回に分けました。

世間ではこの記事に賛否両論です。

それでいいと思います、多くの人が議論して考えるきっかけになれば。


たしかにジジババの説教ほどウザイものはないと思う人が多いかもしれない。

それに、本人の立場になってみなければわからないことはたくさんある。


母親から愛されない子どもの気持ちを考えてみたことがあるでしょうか。

甘やかすのではなく、

子どもの心を傷つける親にならないでほしいと思うのです。


どんな子でも両親を嫌いな人は誰一人いません。


母親になった人は、自分が傷ついても、自分が大変でも、

それでもお子さんを守ってあげてほしい。


子どもは両親、もしくは育ててくれた人からの愛を受け、

心が満たされてこそ、真っ直ぐに成長できるのです。

中には自分で変えたくても、どうやって抜け出せるのか、

その方法がわからなくて人生を遠回りしてしまう人もいる。


誰かが言わずして、誰がこの日本の闇を救えるのか?

「亀の甲より歳の功」。

江原さんと林さんは批判など百も承知だと思います。

だからこそ、厳しい愛をもってあなたに訴えかけているのです。


<子供の命を守るために今、母親の覚悟が問われている!>

川崎中1殺害事件への拭いきれない違和感


「気づかなくてもしょうがない」で済ませていいはずがない


 

「この事件を見る時、私が思うのは、なぜもっと早く親や周りの大人が声をかけたり、気がついてやれなかったのか、ということに尽きます。 いくら忙しいからといっても、子供が顔に大きなアザをつくって帰ってきたのに、その時点で何の手も打たなかったことが、残念でならないんです。


たとえ子供が親に心配かけまいとして、「何でもないよ」と言ったとしても、警察に言うなり病院に連れて行くなり、せめて学校に相談するくらいはしてほしかった。本当に心が痛みます。ですから、子供を殺されたお母さんが、誰よりもつらい思いをしていることは百も承知の上で、「お母さん、頼みますよ」という気持ちをエッセイでも書きました。」


事件の原因と再発防止策については、学校や教育委員会の対応のまずさ、地域コミュニティーの崩壊などさまざまな点から議論されたが、なかでも大きくクローズアップされたのは「親の責任」だった。遼太くんには高校生の兄、小学生の妹が2人、保育園児の弟がいる。


林さんは事件について、「週刊文春」連載エッセイ『夜ふけのなわとび』(3月19日号)で、母親の責任に触れた。「お母さん、お願い」というタイトルで、貧困や暴力、親の離婚など子供を取り巻く環境から、子供を守るのは母親なのだから、その自覚をしてほしい、という願いを切々と綴り、賛否両論を巻き起こした。


江原

「私もこの事件について、親の責任をまず考えました。まだ13才の子供ですよ。親は何としてもわが子を守る責任があったと思うんです。」


「このお母さんは、朝から晩まで働いているんだから、気づかなくてもしょうがない、という言葉で済ませたら、このような事件はこれからも起こるんじゃないかなと思ったんです。ところが、「ひとりでこんなに苦しんでいる母親をまだ責めるのか」などとネットで叩かれました。


江原

「私はこのお母さんに対しては、頑張っているシングルマザーこそ批判的だったと思うんですね。こういう事件が起こると、十把一絡げで、「だからシングルマザーは駄目なんだ」みたいな目で見られてしまいますから。でも、実際は違います。」


「シングルマザーでも、貧しくても、きちんと子育てしてる人はいっぱいいるんですからね。私は、子供を貧困の渦の中に巻き込んでは駄目だと思うんですよ。」


江原

「元はといえば、覚悟を持って離婚したのかな、ということも、私は思いました。このお母さん自身、離婚してひとり子育てをする中で、心の闇みたいなものを抱えてしまっていたんじゃないかと・・・。」


遼太くんの一家は、島根に暮らしていたが、父親のDVが原因で、遼太くんが小学3年生の時に離婚したとされる。母親が子供とともに自分の両親が住む川崎に引っ越したのは2013年の夏のこと。そこでは、頼りにしていた祖父が病気になったこともあり、生活はひっ迫。一方で、母親の交際中の男性が家に出入りをしていたという報道もあった。


「5人もの子供を産んで、なぜ離婚するんですか、と多くの人が思ったのではないでしょうか。5人を女ひとりで育てるのがどんなに大変なことか。離婚するなら、相当の覚悟と同時に、経済的な保証、祖父母の協力も得られるのかどうか、事前の準備もいるはずなんです。」


江原

「幼い子供を抱えて離婚するには、それなりの理由があり、急を要することもあるかもしれない。でも、その場合でも理想的なことばかり考えてはならないと思う。自分の両親の先々の介護まで考えて、どこまで背負えるのかという自分の力量を知り、最善の選択をするのも大人の知恵なんですよね。それが無理だったら、児童施設に預けるとかそういう手だてを考えるべきなんです。生活の基盤もないのに手元に置きたいというのは、ただのエゴだと思わずにはいられません。」


「結果として育児放棄といわれてもおかしくない状態に陥っていたわけですからね。殺された子供の立場に立てば、私はこのお母さんにものを言わざるを得ないんです。」


江原

「私のことでいえば、実は4つのときに父に死なれて、私は急に祖母の家に預けられたんです。母は、生活の基盤ができたら迎えに来るからと言いましてね。クリスマスには枕元にミニカーが置かれていたりして、「もうちょっとで迎えに来るからね」って・・・・。保育園の運動会とかそんな時は顔を見せてくれました。


「折々にプレゼントやお土産を持って訪ねてくださったんですね。」


江原

「母にしてみれば、一から仕事を始めるなど大変だったと思うんです。ようやく2年後に生活が安定し、住む部屋も確保できたから、と迎えに来てくれたのです。なぜ、川崎のこのお母さんはそういうことができなかったのか、と思うんです。


「とても説得力のあるお話ですね。どんな理由があっても、優先されるのは子供の命であり、貧困と子供を育てるということは、分けて考えないといけないと私も思います。親には子供をまっとうな社会人に育てる責任があるんですから。」

その2へつづく

(注意、この記事は私のメインブログから移動させたものなので、 日付が古くなっています。) 2015年5月26日火曜日発売の婦人公論 2015年6月9日号は江原啓之さんと新垣隆さんの対談です。「佐村河内さんを拒めなかった理由」 今回は、以前に発売された婦人公論から江原啓之さんのお話をご紹介いたします。

江原啓之が解き明かす 「家族の正しい関係」

最終回 岐路に立たされたら>

加算法で生きれば感謝が生まれる ハラスメントとは「嫌がらせ」といった意味ですが、「セクハラ」「モラハラ」などのほかに、最近では「家事ハラ」という言葉も流布しています。 これは、ある企業のCMにより広く知られるようになりました。 内容は、皿洗いをした夫に対し、妻が「一応、もう一度洗っておくね」と伝える。すると、その妻の一言で、夫はやる気をなくすというもの。企業はその様子を妻の家事ハラと称し、後に行われたアンケートの結果では、7割もの男性が妻による家事ハラの経験があると発表したのです。 しかし、家事ハラという言葉を誤用しているうえに、夫が家事を手伝うという表現が物議を醸し、CMは打ち切りになりました。 いずれにしても、この問題は、共働きが主流となった夫婦間における家事分担の難しさを物語っています。まだまだ多くの男性の中に、「家事は妻が担うもの」という意識が根づいているのでしょう。だから「家事を手伝ってやっている」と思ってしまう。 一方で、妻は「私も働いているのに、なぜ自分だけが家事を担うのか」と考える。中には「夫の稼ぎだけでは足りないから、私が働いているのに」と不満を抱いている人もいるでしょう。 つまりお互い、恩に着せ合っている状態。 これでは関係がうまくいくはずがありません。大切なのはよく話し合うこと。 そのうえで、私が女性に提唱したいのは、加算法で生きるという人生哲学です。 夫も家事に参加して当然という期待は、結果的に女性を苦しめ、落胆と苛立ちを生みます。だからこそ、最初から夫に期待せず自分でやると決めてしまうのです。 「どうして私だけが!」という声が聞こえてきそうですが、それがあなたの心の平穏のためだから、他者を変えることはできません。もし期待しなければ、夫がちょっと手伝ってくれただけで感謝の気持ちが生まれるかもしれない。加算法で生きることは、不満を手放すための唯一の方法なのです。 夫婦の家事分担だけでなく、自己実現と現実問題の狭間で苦悩している人も多いでしょう。その後に続く子育てにも悩んでいる人が多いようです。私の携帯サイトにも、「子育てのために、妻だけが仕事を制限しなければならないのは不公平だと思う」といったものや、「子どもを犠牲にしてまで働きたいと思う私はダメな母親でしょうか」という相談が数多く寄せられています。 確かに、子育ては女性に比重がかかるため、仕事との両立は本当に大変です。けれど出産しようと決めたのは自分であり、その意思を貫くためには、それ相応の覚悟が必要です。厳しい言い方になりますが、決断をしたのは自分だということを忘れてはいけません。 子育てと仕事を両立したいことが、悪いわけではないと思います。けれど現実には、ある程度仕事をセーブするのも仕方ないと、理性的に心に折り合いをつけなければいけません。 仕事と家事、家族の世話を両立するには  また、最近では「病気の家族の世話をするために仕事を辞めるべきか」「親の介護を理由に離職を迫られている。そこまで自分の人生を犠牲にしなければいけないのか」と悩んでいる人も多いと聞きます。大切なのは、子育ての場合と同じく、感情的にならず、実務的に問題を捉えることです。 自分が働かなければ経済が立ち行かないなら、家族に我慢してもらうしかありません。そこに「子育てを人任せにするなんて」 「親を施設に入れてしまうなんて」といった感情は必要ないということです。 世間から何を言われようと、わが家にとっての最善の道を探り、粛々と実践する。現実的に考えた場合には、それしかないのではないでしょうか。 先ほどの育児の話もそうですが、多くの人が、AかBか極端な結論を求めてしまいがちです。しかし、仕事と育児、家族の世話を両立することは可能なはず。ただし、その場合には完璧を望まないことが重要です。つまり上手に人の手を借り、期間限定で仕事に注ぐ時間やエネルギーを半減させ、バランスを取る必要があるということ。 仕事が楽しくなってきた矢先や、出世を目前に控えていたタイミングなら、自己犠牲も強いられている気持ちにもなるでしょう。けれど、今の瞬間だけで考えるのではなく、自分の一生を俯瞰し、後悔のない人生を送るためにどんな選択をすればよいのか?と考えなければいけません。そして、選択をしたならば、迷わず突き進むことが大切なのです。 今回で「家族の正しい関係」と題した連載は最終回を迎えますが、私が繰り返しお伝えしてきたのは、「人生は選択の連続であり、腹を括って生きることが求められている」ということ。理性、自立心、自律心という三種の神器を備えていれば、何が起きても恐れることはありません。 感情に翻弄されず、確固たる信念に基づき、地に足をつけて人生を歩んでいきましょう。 みなさまの充実した未来をお祈りしています。長い間ご愛読ありがとうございました。 以上です。 追記、2018年婦人公論で新たな連載が始まっています。

注意、この記事は私のメインブログから移動させたものです。

日付が古い場合があります。


江原啓之さんの

「ことたまオーラカード」 ~幸運の手がかりがつかめる特製カード48~

発売されました!



カードがね、とても素敵なんです。これは私の。カードの中から3枚をご紹介。奇跡・赦し・再生
image

数字はスピリチュアルナンバー、その下にことたまキーワード ことたまメッセージ

裏にはオーラカラー 説明書もついてます。

◆マガジンハウス『an・an』≪2015年5月13日(水)発売≫

「[江原啓之さん直伝] インスピレーションを高めて究極のセルフカウンセリング!」


オーラカードを実演しています

今、発売中のan・an(5月13日発売)にもオーラカードの使い方が出ています。

ゲストの知英さんがオーラカードを使ってセルフカウンセリングの方法を江原先生から教えてもらっている様子が4ページに渡って掲載されています。


お二人の会話の一部

知英さん>今日、このカードを見て、変われる気がしました。

江原先生>それは良かった。今の時代は誰かに相談しようとしても、みんな忙しいでしょうから、いつでも自分自身の話し相手のようにこのカードを使ってもらえるといいと思います。


知英さん>このカード、とてもいいですね。いつもの自分とは違う視点がもらえ、「こういう考え方もあるんだ」と思えます。

江原先生>カードは心の対話の相手でもあり、アドバイザー。いろいろなことを教えてくれるし、勇気を与えてくれます。パワースポットみたいな存在にしてほしいと思っています。


LESSON内容 (an・anより)

身の回りにあるものからメッセージを受け取る方法

あなたに”今”必要なメッセージがカードを通して届きます。

「ことたまオーラーカード」からいろんなヒントをもらおう!

旅に出るならどこがベスト? 

今のオーラカラーは?

スピリチュアルナンバーは?

ネットのある動画イベントで、


チャットでリアルタイムに討論できる機会があって私も参加して様子を見ていました。


その動画の主催者が、

「今後、世界の人口をかなりの数で減らすという陰謀説がある。」と言ったら、


参加者の男性がこう言ったのです。


「それなら邪魔な年寄りから先に殺せばいい。年寄りは生きる価値なんてない。」

今日は江原啓之さんが昨年に女性自身で語った安楽死についてご紹介いたします。

<安楽死を望むのは命を「お残し」すること>

11月、アメリカで起こった若い女性の安楽死の報に接し、まず日本のワイドショーや情報番組の中には「安楽死」と「尊厳死」を混同したまま報じていることに大きな問題を感じました。

<まったく意味が異なる安楽死と尊厳死>

日本の定義では、安楽死とは医師が医療行為によって患者を死亡させること。日本では患者を安楽死させた事件で有罪判決が確定しています。

しかし、オレゴン州ほかアメリカの一部の州では安楽死が法的に認められていることから、今回の女性のように余命宣告を受けた人が移り住み、身体的、精神的苦痛を回避するために自ら望んでその生を終える選択が可能となっているのです。けれど、こうした安楽死は「自殺ほう助」にほかなりません。

いっぽう、尊厳死とは、生命維持装置を使用しなければ死亡する状態となったとき、患者や家族の意思によりこの治療をしないことです。

霊的視点でいえば、延命治療をしている間は肉体とたましいがシルバーコードでかろうじてつながっているような状態です。定められた寿命を迎えてあの世へ帰ろうとしているところに足かせをつけて、必死で引っ張っているような状態なのです。

まったく意味の異なる安楽死と尊厳死を、日本のメディアでは混同して扱っていたところが多かったと思います。

今回の安楽死に賛成派の声が大きかったのには、そういった理由がありました。このような誤解が流布していくのはとんでもないことだと、私は声を大にして言わなければなりません。

<健康でなければ生きる価値はありませんか?>

特に「お母さん」というイメージでメディアに出ているコメンテーターの方々の見解には、母として口にしてはならない内容もありました。彼女たちは安楽死について「私も、苦しむのはいやだから認めたい」とか、「自分の命を自分で判断する権利は欲しい」と言いました。またある方は、自分の母はがんで亡くなったのだけれど、貧しくて満足な治療もできなかったので、いま思うと安楽死という方法が選択できたなら、させてあげたかった、というようなことを話していました。

ここで、みなさんに考えていただきたいのは、まず世の中には生まれながらにして寝たきりの方、そして事故や病気のために自分の意思で体をいっさい動かせない、または持病を患っていて激しい痛みに耐えながらも必死に生活している方が、たくさんいるということです。

私は15年間個人カウンセリングをしていた経験から、そのような状態の方ともたくさん接してきました。


排せつも入浴も食事も全て人の手を借りなければならず、愛する家族にも、親しい友人にも自分から会いにいくことはできない。

そのような状態の人は、生きている意味がありませんか?


元気でアクティブに生活できなければ、人間は生きる価値がないのでしょうか?

そうではないですよね。
不必要な人など、この世の中にはいないのです。世の中がみな、健康な人たちばかりで構成されていたなら、私たちに優しい心は芽生えないと思います。お年寄りも病人も子どもも共に生きているからこそ、命の価値や、看取りの大切さを実感することができるのです。「つらくなったらリセットしてしまえばいい」という諦めを容認したら、それは恐ろしいことになります。

これから超高齢社会を迎える日本で、生産性、機能性の低い人たちはますます増えていきます。そこで「安楽死」がまかり通り、自ら死を選ぶ人が増えたら、まさに゛平成楢山節考゛といえるような、恐ろしい社会となってしまうのです。

<いただいた命は最後までまっとうする>

命を生み、守る立場の女性が、そんな主張をしてはいけないのです。女性が子を産むというのは、命を分けること、命を削ることです。

みなさんは小さいころ、食べ物も命、草木も命だと教えられてきたでしょう。私たちは母から分けられた命を、ほかの命をいただきながら生きているのです。

安楽死を選択することは、いただいた命を途中で「お残し」することです。厳しい言い方をすれば、まだ生きられる命を途中で放棄しているということです。

現代では、医療の進歩と現場に従事する方々の努力で、完全にではないけれど痛みをコントロールできるようになってきています。緩和ケアもホスピスも昔と比べて格段に充実してきています。苦しい痛みを少しでも癒そうと医療従事者たちは必死い頑張っているのです。

<老い、衰えるのは自然な姿>


「自分が自分でなくなっていくのを見られるのがつらい」という羞恥心もあるでしょうけれど、人はみな恥ずかしい姿で生まれてくるではありませんか。私も最近、ふとした瞬間に老いを感じますし、それはショックなことですが、これが人間の自然の姿なのだろうと受け入れるようにしています。



肉体が衰えるのはみじめなことでしょうか?そんなことはありません。たくさんの命が寄り添い合いながら尽きる。人間というものは、最後はそうやって受け入れていくものだと思うのです。

人に迷惑を掛けたくないという気持ちもあるでしょう。しかしそれは、裏返すと人を信じられないということ。政治も社会もいま不信感にあふれていますからね。


元気でいる間しかこの世は幸せはないと思うのなら、それはあまりにも悲しい時代だといえます。そんな社会は、私たちの力で変えていかなければなりません。



年を重ねる美しさというものがあります。自然を見ていても、木の葉は紅葉からが美しいとは思いませんか。そして、その葉がやがて台地に落ちて養分となることに価値があるのです。



人の生命にも同じことがいえますね。生きていくということはさまざまな経験と感動に出会う旅ですから、最後まで希望を捨てずに生き抜いてから死にましょう。そうして生きた命こそ、価値があるのです。

<残された人のためにエンディングノートを>


積極的な延命治療をするのか否かという決断を、家族にさせるのは残酷です。死は誰にでも必ず訪れるものですから、元気でいるうちにエンディングノートを記しておくのもよいでしょう。


団塊の世代を中心に「終活」という言葉が定着し、行動に移している方も多いですが、重要なのは「自分がどうしたいか」だけではなく、残された人について考えることです。ここでも、想像力が大切になっていくのです。


たとえば散骨の問題にしても、多くの人が海に骨をまき散らしたら、そこに暮らす人や自然はどうなるのでしょう。自分のためだけではなく、その後のことも考えて、自分の身を処することを忘れてはならないと思います。


足元を見つめ、満ち足りることを知り、自然を敬い、老いや死を受け入れる。


そう心がけて生きていけば、怖いことはないのです。

2015年の死はビックリマーク


<救いのない死の形が増え、「リセット症候群」が蔓延するでしょう>


これから先は、ますます虐待死、孤独死が増えます。そして老人自殺、老人心中、親子心中・・・・。


言葉にするのさえつらい、救いのない死の形が多発していきそうです。自分の番がきたときにそのようなことにならないように、社会に堂々とお世話になる準備をしておきましょう。それはつまり、健康で働けるうちに、社会貢献や社会奉仕をしておくということです。そうすれば、自分がその番になったとき、気兼ねなくケアを受けることができるでしょう。

いっぽう、若い人たちのあいだでは、「リセット症候群」が蔓延するでしょう。人生がうまくいかないと思えば、命をゲームのようにリセットしてしまうという、安易な死が増えてくるのです。世界に発信された安楽死騒動が発端となりました。命を軽んずる人がますます増えそうです。




2014年女性自身「江原啓之さんが解く災害、金、死 2014年ゆく年2015年くる年より」

注意(この記事は私のメインブログから移動させてきたものなので、

書いた日付が古いものです。 

今回の記事は2015年3月にアップしたものです。いつもありがとうございます)


江原啓之さんが準レギュラーとしてテレビ番組に出演することが決定しました。


東京MXテレビ 『5時に夢中(月~金 17時~18時)』という番組で、

水曜日隔週でコメンテーターとして出演される予定です。

4月の出演予定日は 1日と15日です。

詳しくは、5時に夢中のホームページ  または江原さんの公式サイトをご覧ください。

「5時に夢中」は10周年記念を迎えたそうですクラッカー

3月12日に発売された「幸せに生きる ひとりの法則(幻冬舎)」に続き、

4月9日に新刊書籍が発売されます。

『自分の家をパワースポットに変える最強のルール46』 小学館 発売日2015年4月9日(木)

定価1200円(税別)


江原啓之公式サイトより

家をおろそかにしていませんか?

家は家族の絆を育み、心と体を休め、明日への活力を養う大切な場所。

その家を最高のパワースポットにしなければ、あなた自身、そしてご家族の幸せはありえません。


この本は、自分の住まいを最高のパワースポットにするためのさまざまな極意を伝授するものです。

家を買うとき、借りるときの注意点から、魔を寄せつけない住まいづくりまで、

家づくりを通して幸せに生きる方法をご紹介しています。

また、「結婚・恋愛がうまくいく家」 「子供が勉強するようになる家」 「仕事がうまくまわる家」

「人間関係が改善する家」など、悩み別に「住む人が幸せになる家の住まい方」も併せてアドバイス。


家は「箱」にすぎません。

買った、借りた時がゴールではなく、暮らし方次第でよくも悪くもなるのです。

家づくり・住まい方を通してたましいを磨き、充実した人生をおくるために指南書です。

晴れ

この本には特製「家内安全」護符シールがついています。

そして、このシールをはがすと、今のあなたにふさわしいメッセージが現れます。

江原啓之さんの著書からです。


★「人霊」と「自然霊」

この世にはさまざまな「たましい」が共存しています。私たち人間のたましい、つまり「人霊」もその一つ。

「動物霊」、すなわち犬や猫などの動物のたましいもいます。


いわゆる「霊的世界」もこの世と重なり合っているので、肉眼には見えないたましいも、私たちのまわりに無数にいます。そのうち、物質での「姿かたち」を一度も持ったことのないたましいを「自然霊」と言います。


身近なところでは、古くから民間信仰の対象として広く知られている「お稲荷さん」が、自然霊のわかりやすい例でしょう。別名を「狐霊(これい)」と言いますが、動物の狐(きつね)の霊とはまた別のものです。

自然霊のお稲荷さんは、狐のような性質を持つ霊的エネルギー、あるいはそのような姿に霊視される霊的エネルギーと考えるといいと思います。


龍神、天狗などと言われる存在もみな自然霊です。花や草木に宿っている妖精も、小さな自然霊の一種です。岩石などの鉱物にも自然霊は宿っています。

昔の人たちは、そうした自然霊のエネルギーに畏敬と感謝を抱き、調和をはかりながらともに生きてきました。


自然霊にも、高級なもの(高級自然霊)から低級なもの(低級自然霊)までさまざまな段階があり、私たちが「神」と呼んでいるエネルギーは、高級自然霊の中でも最高級の自然霊です。


これに対し、低級自然霊としては、昔から「狐憑き」と呼ばれる霊障で人間に悪戯をしてきた、未浄化な「狐霊」がいい例です。


このつづきは著書「子どもが危ない!」をお読みくださいね。


「子どもが危ない!」より。 著者 江原啓之 集英社2004/09

江原さんが図書館にも置いてある場合があるので、ぜひ読んでほしい1冊だと仰っていました。




(この記事は私のメインブログから移動させているので、日付にズレがあります

2015年3月に書いた記事です)


江原さんより  

>人生の不安から解放されます。是非ぜひお読みください。

 

>大切な霊的真理に基づいた人生哲学が詰め込まれています。

 

>私も現世に生きる身として、自身で書きながらも学んでおります。


「幸せに生きる ひとりの法則」 幻冬舎 1296円 2015年3月12日発売

Amazonから、

<内容>
家族がいても、恋人がいても、人は究極にはひとり。しかし不安になる必要はありません。

この一冊に、幸せになる方法が書かれています。

人はみな、ひとりで生まれ、ひとりで死んでいきます。

家族がいても、配偶者がいても、子どもがいても、人は究極にはひとり。

この本は、「幸せに人生を生ききる」ための覚悟と智慧を手に入れていただくための、カウンセリングの本です。漠然とひとりでいる人には「本当にそれでいいのですか?」と問いかけ、家族や子どもがいてひとりで生きていくことを考えたことのない人には、人はみなひとりだという真実をお伝えしながら、「ひとりで生きることが怖い」「ひとりで生きていく自信がない」という人のために、不安を手放し、自律して生きて行くためのアドバイスを詰め込みました。いま、さまざまなことに迷って、不安な人も、最後には必ず、自ら人生の道を選択できて、幸せをつかめる……その法則が、本書です。