ぽたらかを始めた頃に隅田川河川敷きにいるホームレスたちにおにぎりを配って、何か要る物はないかと声を掛けて回ったことがある。その時、一人のおっちゃんが「わしらはいいよ。日本人なら生活保護という手段があるし。それより、外人さんのホームレスの面倒をみてくれよ。」と言われてその後、民主党が政権を掌握、事業仕分けで難民申請中の外人さんたちの微々たる生活支援金が打ち切られて、ホームレス化しているという新聞記事を見つけた。すぐさま、難民支援協会(JAR)に電話をして、難民申請中の彼らの宿泊所を用意したいので、一緒に手伝ってもらいたいと申し込んだ。JARも緊急支援金の中から協力すると言う約束で、千葉県松戸市に家を借りた。
とはいっても、本体のぽたらかの改修工事と重なり、自転車操業もいいところだった。いや、物件の契約に始まって、大体アフリカや東南アジアの出身者が多いから冬なんぞ、エアコンは30℃に設定してパンツ一枚の連中だから、電気代は月50万にもなったことがあって、その時どうやって賄ったのか、意識喪失していて覚えていない。やがて、彼らの一部から生活支援金が受け取れる人も出てきて、JARは半年で降りた。そこで支援者がいる人、生活支援金がもらえる人は退去してもらって松戸の『みなはうす』は1年で解散し、残りこういった面々を以後10年近く世話をしてきた。
入れ代わり立ち代わり30人近くを世話してきて、彼らの話を聞く限り、政治的な圧力や命の危険を感じて来た難民らしき人は内5人くらいかなあ、というのが正直な感想だ。でも、人の良い可愛い連中ばかりなので、『ま、いいか。』
そして、この写真の連中は全員、帰国した。強制送還されたバングラデッシュのアリさんは国に帰ったら、殺されるといっていたけれど、1年も経たない間に電話をしてきて、「日本へのビザが出ました。日本に行っていいですか。」と言ってきたから、「来るな。」一言。何が殺されるじゃ…。
みなはうすは一部屋数人で住んでいたけれど、小さな台所のついた個室に入れたマリ人は台所に住むのはメイドだとか何とか言って、飛び出てしまった。その後、彼は牛久収容所に1年半も入っていたことを知り、帰国費用を出して帰国させた。そのように遠い国から来日する人はメイドを雇ういいとこのお坊ちゃんばかりらしい。殆どの人が1Rに住む日本になぞくる必要がないのである。
改正入管法は6月9日から施行される。難民申請者は3度目の申請について特段新しい事由がなく不許可になった場合は強制送還されることと。入管が認める監視人が責任を負うのであれば、帰国準備が整うまでは収容を解かれるというもの。
これらは名古屋入管で餓死したスリランカのオシムさんの件があって、改正されたものだ。
みなはうすにいたミャンマーのジョーウナという若い男性は、向精神薬を注射で打たれ、1週間眠り続け、1週間全身に震えがつくという生活を続けていた。その主治医のシンポジウムに招かれたところ、難民支援の弁護士たちが列を組んで話を聞こうと待っていた。つまりそういう事である。一度統合失調症と病名が付けば、後は自動的に仮放免になる。
ジョーウナは「ぼくはこのまま日本にいると本当の廃人になってしまう。」と言って帰国した。
収容所の面会室には携帯は持ち込めない。しかし、入管側は監視カメラがあり映像だけではなく音声も録音されていることはみんな知っている。オシムさんに支援者が食事を拒否して、病気になったら仮放免できるとそそのかしている音声も録音されていたらしい。もちろん、入管の警備官らの態度は昔からどこも酷い。しかし、せっかく日本国がただで送ってくれようとしてくれているのに、危険な断食をしてまで日本にいる必要はなかった。
他の国はそんなことまでしてくれるとこない。日本が何処の国より(不法滞在者の)一番待遇がいい。とギニア人が言っていた。彼は今度9回目の難民認定が不許可になれば帰るだろう。いや、帰って欲しい。貧しいかもしれないし、自由はないかもしれないが、生まれ育った国で死ぬのは幸せなんだよ。やがて日本は沈没するかもしれんし。支援するこちとらも大変なんだよ。
