見るも無残なトヨタ自動車の"生き証人"

2/20(水) 19:38配信
octane.jp
ここに掲載したような“残骸”が自動車専門誌の誌面に登場することは希だ。だからといって、あまりに醜いからと目を背けないでいただきたい。“残骸”どころか、今や世界一の自動車製造会社となったトヨタ自動車の人々にとっては、自社のルーツを明らかにする重要な“生き証人”なのである。地球の果てまで旅しても探し求める価値を持つ1台といっても、決して過言ではないだろう。本稿は地球上に1台かもしれないクルマを発見した人々のストーリーである。
ヤフーニュース トヨダAA型

「インターネットからは、距離を置こう。」と最近は考えているスモールですが、この記事には、興味深々です。
すごいですね。トヨタ自動車やトヨタ博物館が展示のために総力を挙げて世界中を探したにもかかわらず発見できなかった昭和12年から製造されたトヨダAA型の実物が発見されて移送される様子を、かなり詳細に書いてある記事です。

ソビエト連邦という環境が、サバイバーとなる要因だったようです。自動車は配給制で、入手するとしても、10年かかるという環境。そうなると、たとえ古い車でも、修理して乗るということになります。
ちなみに、このトヨダAA型は、「古いシボレー」だと思われていたフシがあります。ラダーフレームや車体形状など、当時のアメリカの車を模倣しているかた、その部分は仕方ないですね。

ちなみに日産自動車のダットサンは、いくつかのボディータイプ別で、同年代のモデルが現存しています。それは、当時の日本国の国策が関係しています。
「日本国で乗用車を製造するメーカーは、国が決める。」という政策があったからです。
このトヨダAAが生産を開始した翌年には、日本と中国が険悪になり事変が起こり戦時体制に、どんどん移行していきます。
そうすると、自動車というよりトラックが国策として求められ、大型乗用車などは、敬遠されていきます。おまけに、政府は、当時のトヨダには冷酷だったという歴史上のいきさつがあります。

ソビエト連邦に守られていた歴史の証人のような車、トヨダAA型。
これは、すばらしいですね。よく残っていました。