普通は、技術というものは進化します。ただ外交という面が加わると、その進化が混沌することもありえます。

昭和51年になると、いままで美学だった消費などができなくなります。オイルショックです。イスラエルと中東諸国との対立が、実際の武力衝突となったからです。
国際的な石油の取引価格は、4倍にまでなり、三木総理が「アメリカ寄りの日本ですが、かといってイスラエルの味方はしません。」とわざわざ訪問して釈明するということになりました。

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このころになると、省エネや環境基準というものも自動車に求められるようになりました。でも、規制前より規制後の新車は、「なんだこりゃ。」というくらい走りが悪く、燃費も悪化します。
アクセルをいくら踏んでも、もさーとした加速。爽快感は皆無です。


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いまでは、EGRという方法がとられていますが、キャブレターに排気ガスを混ぜて、燃えたあとの排気ガスを、もう一度、燃焼させるという手法をとったので、酸欠気味でエンジンに燃料を送っていたことが原因です。
いまでも、この手法なのですが、当時は、コンピューターなどありませんから、「ここで、加速したい。」というときも、調整できなかったことが理由です。

外交上の問題が、自動車の加速を悪くさせたというめずらしい現象です。

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アメリカの自動車産業は、もうちょっと問題が複雑でした。ビッグ3という風に大メーカーによる市場の支配がすすんでいました。
エンジンのサイズは、そのままで、補給器だけが、どんどん加わりダウンサイジングするも、車としてはイマイチなものになります。
あとは、労働組合が大変な力をもって、だれがきいてもおかしいというような、元従業員を過保護にする年金制度などを作ってしまい、自動車本来の消費者優先ではなく、メーカー第一主義のような、今の大統領のような発言や手法ばかりとるようになります。

このころの車は、いまとは比較にならないくらいサビがひどく出ます。おまけに、まったく爽快じゃない走り。
このまま、混沌から抜け出せないんじゃないかと思わせるものでした。