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昭和40年代男★けんぢのブログ

日常の出来事から趣味の音楽や模型の事・・・、特に角松敏生とスペクトラムが好みデス。

・・・と聴けば、角松ファンなら誰でも胸が躍りますね!!

 

今日6月12日は、日本のトップベーシストであり

 

不世出のベースプレイヤー青木智仁氏の60回目の誕生日にして

 

11回目の命日でもあります。

 

マイ・フェイバリット・ベーシストである青木氏。

 

49歳という、あまりにも若過ぎたお別れでした。

 

80年代初期から、角松サウンドには無くてはならない存在で、

 

角松作品では、必ず青木さんがプレイされてました。

 

角松以外でも、数々のアーチストの曲でそのプレイが聴けるのですが、一回聴いただけで“あっ!!青木さんの音!!”って判るんですよね音譜

 

最近でも買い物してたら、店内BGMで青木さん参加の堀井勝美PROJECTの曲がかかってて、一人で喜んでましたウインク音譜

 

89年には角松プロデュースでソロアルバム「Double Face」を発表。

 

90年代は、レコーディング以外にも自身のユニットやセッションでのライブ活動も行われていて、まさに30代は音楽とお酒と仲間たちと駆け抜けた感じだったのではないでしょうか・・・。

 

2000年には、2作目にして最後のソロアルバム「EXPERIENCE」をリリース。

 

この頃には、日本フュージョン界のトップ・ベーシストと誰もが認めるほどの存在になっていましたね。

 

そして、まさに様々なレコーディングやセッションに引っ張りだこで超多忙な毎日だったと思います。

 

角松も、青木さんがあまりにも忙しいので、スケジュールが合わず(角松は基本、レコーディングメンバーでツアーを回るので)、泣く泣く青木さんとは“協議離婚”した・・・

 

みたいな事を言ってたような・・・。

 

青木さんは、淋しかったみたいでしたが・・・汗

 

角松2004年発表の「Fankacoustics」では、青木さん半分、松原秀樹さんみたいな感じですよね。

 

青木さんは、角松の87年と90年リリースの2枚のインストアルバムに参加していますが、3枚目の構想はお互いに練っておられたようで、そのへんのエピソードが、先日発売された『SEA IS A LADY 2017』のライナーに書かれていますね。

読んでいてジィィィィィーーーーンときましたえーん

角松の心の中には常に盟友・青木智仁が居てるんだな・・・と感じました。

 

・・・といろいろまとまりもなく書き連ねましたが・・・

 

20年くらい前の90年代・・・

 

僕は、青木さんの参加するセッションには、

 

毎月、友人と足を運んでいる様な時期がありました。

 

青木さんも、毎回“出待ち”(というか、当時は、ライブハウスなんかでは、ご本人が器材の片付け・撤収なんかもされてましたあせる)をしていた僕らを覚えてくれてて、お話も何度かさせてもらいました。

 

ホント、あのまんまの人柄なんですよねウインク

 

当時、スタジオミュージシャンやその手の人は

 

「絶対にコワイ!!」みたいなイメージがあったんですが、

 

そんな考えは一気に払拭されましたビックリマーク

 

ホントに「イイ人」を絵に描いたような感じ合格

 

気取った所も無く「優しい兄ィちゃん!!」て感じなんですよね照れ

 

 

そんな青木さんとの大切なツーショットですカメラ

 

場所は神戸チキンジョージですが、

 

まだ阪神淡路大震災の前で、チキンジョージも初代(!?)です。エエ味出してます汗「ノアール」とかいうキャバレー?・・・ありましたね〜ニヤリ 「NOBU CAIN」のライブ後だったかな・・・。

 

これは、超貴重な青木さんのプレベ写真!!!!!

 

激レアかもびっくり 普段はジャズベースですもんね音譜

 

タワー・オブ・パワーの曲ばかりを演奏するライブの日で、

 

当時タワー・オブ・パワーを知らなかった僕は、ライブ終了後青木さんに・・・・

 

「今日はプレベなんですね!!」なんてアホな事を聞いてしましまして

 

「タワー・オブ・パワーと言えば、ロッコのプレベでしょ〜♪」と言われてしまい、恥ずかしかった想い出がありますあせる

 

今となっては、大切な永遠の想い出です照れ

 

もっともっと色んな事を聞けば良かったなぁ・・・。

 

今夜は、青木さんの音を聴きながら

 

天国の青木さんを偲びたいと思います。

 

 

※どちらの写真も、晩年のアスリート系マッスルパワースタイルの青木さんではなく、ほのぼの(!?)系って感じですね照れ