『山上宗二記』に「茶湯者の覚悟」(茶の湯を嗜む者の心得)が記されており、前報告書において、特に、以下二条に注目した。
 「薄茶ヲ建ルカ専一也、是ヲ眞ノ茶ト云、世間ニ眞ノ茶ヲ濃茶ト云ハ非也、濃茶ノ建様ハ手前ニモ身モカハズ、茶ノカタマラヌヤウニ、イキノヌケヌヤウニ建ルカ習也」
 「濃茶呑ヤウ」
 濃茶は、茶葉の固まらないようにともかく一生懸命かき混ぜることが肝要であり、その点、薄茶の場合は点前の作法の美しさを表現することに意義があり、むしろ薄茶の方が真の茶の湯であるとした。
 濃茶については、むしろその飲み方に意義を見出していた。

 

 

                                   南宗寺(堺市) 実相庵 濃茶席(平成24年4月27日)


 その一考察として、堺の会合衆(かいごうしゅう)は、日常的に身近なところで戦乱の絶えない戦国の世相にあって、利害の異なる諸集団を一つの都市としてまとめる調停機能を持ち、自衛組織として幕府や守護と関わる役目があり相互の信頼関係の構築に腐心していた。
千利休をはじめ、今井宗久、津田宗及、山上宗二など茶人を含む会合衆にとって、上質の茶葉を用いて手間と時間をかけ丹精をこめて練り点てた濃茶をもてなす席では、一味同心(*1)のもと相互信頼の証として一つの茶碗から相互に回して飲むことを習わしとする一座建立(*2)の思想を創造したと考えた。

 

 
 杭全神社(大阪市平野区)連歌所 および 連歌の会(杭全神社御由緒より)

 

*1「一味同心」:

        同じ目的をもって集まり、飲食を共にして一体感を呼び起こすこと。
   応仁・文明の乱の乱(1467~1477年)後、古代的な美意識が決定的に崩壊し新たに中世的な美・幽玄への美意識が深まり「歌」主道論は能楽論や連歌論へと変わり、世相は荘園領主への請願をはじめ、各種一揆が多発し、その集団意識の深層心理を支えた。
*2「一座建立」:

  主客が時間と空間をともに一体感を生ずるほどに充実した「場」を形成してゆくこと

 

  

              PHP研究所、1995年      現代では、パンの代わりにウェハーを使用

 

 一方、ロンドン生まれでオックスフォード大学卒業後来日し、1960年よりカトリック司祭として東京純心大学教授であったピーター・ミルワード師が、茶道の本席(濃茶席)において点てられた一つの椀の濃茶が会席者の間で飲みまわされる作法は、カトリックのミサで一つの聖杯にそそがれた赤ぶどう酒をイエスの血として飲みまわす作法と共通していることを指摘され注目されている。
 本論では、茶租・栄西禅師開山による臨済宗・東山・建仁寺に伝わる「四つ頭茶会」をはじめ、伝統的な献茶式およびお茶の点前(稽古)の様子とキリスト教のミサ(聖餐式)の作法の事例動画を収録し比較検証していただく機会を提供できればと考えた。


【緑のミサ(茶道)

茶粗・栄西開山 臨済宗 東山建仁寺に伝わる「四つ頭茶会」
  動画は、こちらから

 

 
 

                左:抹茶入りの天目茶碗                     僧が、順に、天目茶碗に湯を注いでお茶が点てられる

              右:紅白の紋菓と椿の葉に載せた「ぴりコン(醤油で炊いた蒟蒻)」を盛った縁高

 禅宗では、食事の作法も修業の一つであり、食事の最後の喫茶を取り出した茶礼とした。
 栄西禅師が唐の禅院で学んだ喫茶方で、茶道の原形とされる古式にのっとった禅宗式の茶会。「四ツ頭茶礼(よつがしらちゃれい)」とも称される。
 室町時代に、延暦寺の学僧 玄慧法印(げんえほういん)が茶礼のことを記した「喫茶往来」にのっとり行われる
日本最古の茶法といわれる「四頭」は、中国の禅寺の接客形式。4人の正客(頭)が、各8人の相伴客を連れて席に入る
 献香が焚かれ、茶室の広間の四方に座った客の前に、4人の供給僧が抹茶の粉が入った天目茶碗と菓子盆が配られる。給仕役の別の4人の僧が、茶筅(ちゃせん)と浄瓶(じんびん)を持って入り、順に、天目茶碗に湯を注いでお茶が点てられる。

 

茶道献茶式    
 崇敬の心をもって、神仏や御霊にお茶をお供えする儀式。
今日では、お家元宗匠のご奉仕により、古式ゆかしく、全国の神社仏閣などで献茶式が斎行されている。

 

 

 

                                                                  南宗寺(堺市) 献茶式

 

 日吉大社 裏千家献茶祭
  動画は、こちらから

 日吉大社のある滋賀県大津坂本は伝教大師由来により日本でのお茶発祥の地として知られており、そのご縁から新緑薫る初夏に西本宮拝殿にて裏千家今日庵家元の千宗室宗匠のお手前により濃茶・薄茶二碗を謹点、ご祭神に捧げられた。

 

お茶手前(稽古)

 

  
            風炉                            盆略手前セット

 

 薄茶点前(裏千家)
    動画は、こちらから
 濃茶手前(裏千家)
    動画は、こちらから    スペインから来た友達とのお茶のお稽古体験

    お茶会(裏千家)
    動画は、こちらから  ミャンマー留学生によるお点前

 


【紅いミサ (パンとブドウ酒の儀式)

レオナルド・ダ・ヴィンチ作 最後の晩餐(修復前) ウイキペディア

 

 イエスは、パンをとり、祝福してこれをさき、弟子たちに与えていわれた「とって食べよ、これは私のからだである」。また、杯をとり感謝して彼らに与えていわれた「みな、この杯から飲め、これは、罪のゆるしを得させるようにと多くの人のために流す私の契約の血である」

 

ミサ(聖餐式)における“パン”と葡萄酒“の作法の事例
  聖餐式-中央福音教会              動画は、こちらから
     クリスマス・ミサ-桜町協会            動画は、こちらから

 

高山右近生誕の地

 
                  大阪府豊能郡高山町                          高山右近像

                                                                                                                                         (茨木市立キリシタン遺物史料館)

 高山右近生誕地のキリシタン遺物
   動画は、こちらから


 キリシタン大名として有名な高山右近の生誕地・大阪府豊能町高山地区へ、カトリック日生中央教会の信者を中心とした人たちが訪問され、地域の郷土史研究家と町立資料館職員のお2人から説明を受けた後、西方寺(旧オラトリヨ)、右近生誕の碑、高札場、マリアの墓、高山城跡など右近やキリシタンに関わる地区内の史跡を見学されました。
 史跡巡りの後、西方寺の本堂でカトリックのミサが行われました。

 

 聖堂(オラトリヨ)があったと思われる西方寺にてカトリックのミサ
   動画は、こちらから


 2015年は右近の没後400年。その年を前に、弾圧を受けながら神に一生を捧げた高山右近を聖人にしようするカトリック信者と、高山右近をテーマにした町おこしを考える地元住民の思いが結びついて、徳川家康の禁教令(1614年)以前にオラトリヨ(聖堂)がその地にあったといわれる 西方寺の本堂でミサが執り行われました。

 

<関連情報>
 ◆第14回直木賞受賞山本兼一著『利休にたずねよ』あらすじと読書感 こちらから
 ◆論文「十六世紀 茶の湯におけるキリシタン受容の構図」 こちらから
 ◆論文「茶湯者の覚悟 濃茶呑ヤウ その一考察」 こちらから

 

 

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前田秀一 プロフィール