連絡が途絶えて7ヶ月。

彼女の部屋の前まで行ってみるともうカーテンはかかっていなかった。

意を決して連絡を取り夜行バスで東京に向かった。

スターバックスで早朝の待ち合わせ。

人は程よく満席だったけど僕と彼女ぐらいは空いていた。

そして待つこと30分。

ゆっくと僕を見つけてお店に入ってくる彼女の顔をみた途端、僕は涙が止まらなくなっていた。

でもさすが東京。朝っぱらから泣いている男の事など誰一人として見向きもされなかった。

その日の夜にまた夜行バスで帰るから一緒にいる事の出来る時間は10時間はあったと思う。

離れていた時間の事や謝りたい事、

たくさん話をした。

彼女は黙って僕の話を聞いていた。

それから数ヶ月後、

一通のmailが届いた。

「ゴメンね、自分を信じて頑張ってね。」

4年という月日が経っても、

いい思い出しか残っていない。

素敵な映画をみる度に。



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過去に若くして偉大な成功をおさめた人はその後の人生は大きく二分すると思う。
その成功の波にどんどん乗る事が出来る人と、
その成功の天秤にかけられもがき苦しむ人。

グラミー賞授賞式を目前にして死を選んだホイットニーヒューストン。

勿論僕は成功者でも何者でもないが彼女のメンタルの波動は強く伝わってくる。

死を選択するという行為は生半可な気持ちでは出来ない。

僕は親友が二人、自ら命を絶った。

18年前の時も4年前の時も僕は彼らの波動をとても強く感じた。

とかく健常者は、

『死んだらおしまい』

『死ぬ勇気があったのなら…』

『生きてりゃなんとかなったのに』

生きている人間には向けても構わないが、

コレを死者に向けるヤツは許せない。

健常者が死を選択する人間の気持ちになれるハズがないからだ。

ホイットニーヒューストン。

彼女はこの世にとても偉大な功績を刻み込んだ。

どうかゆっくりと休んでください。

素晴らしい音楽をありがとう。



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18歳の時にコンテストの個人賞のお祝いに大好きなおばちゃんに買ってもらったスネアドラム。

23歳の時位から少しずつ器材をそろえ始めてから18年間僕の想いを音にかえてくれて、縁あって僕のもとに来てくれた器材を今日から少しずつ感謝の気持ちを込めてメンテナンスを始めた。

鳴って当たり前の器材。

その当たり前の視点観点で感謝の気持ちを忘れていた様な気がしてきて。

一つずつ自分の部屋の納戸に移動させながらその一つ一つを手にしながら購入したときの事や演奏のときの思い出、いい音が出たときの喜び、さまざまな思い出がたくさん蘇ってきた。

そしてその一つ一つのそれぞれの個性や性能の高さを再認識しながら

「音楽は形じゃなくて、心のきもち」

と、なんだかしみじみと思ってしまいました。

もともと器材に対しての執着心はないのですが同じ機材でもヘッドを張り替えたりするだけでも表情は変化するし、

僕のこだわりはスティック。

演奏形態によっては曲ごとに換えます。

お客さんには100%のニュアンスは伝わらないかも知れませんが確実に音が変化します。

あとはスティックも楽器だと思ってるから握ったときの感触やそのスティックが楽器にあたってくる反響音の心地よさからのエネルギーがとても好きです。

ソンなコンな想い巡らせていたら音楽が愛おしくてなりません。