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えちぜんりょうたのブログ『姿勢道は人間道』

カラダの使い方を通して原理・原則を学び、それをもって物事を考え、歪まない在り方・生き方を模索するための日記。

に考えて

こうであろうとか

こうなるはずという見方がある



遺体が碑文谷公園で見つかった事件の

ことが起きた経緯や犯人の動機は

ものすごく逸脱している



金銭目的なのは

まぁあるだろう

珍しい話ではない



しかし

だとしても防犯カメラに

被害者やあからさまに犯人らしい人が映っていなかったというならば

普通はマンション内の犯行・犯人が疑われる



あの被害者が住んでいたマンションや

他の住人の事情を考えると

その方が不自然さがない



それがどうだろう

金が欲しいからといって

わざわざマンションの階数が上の家を狙うって



なぜあの建物にしたのか不明だ



また

あの現場あの被害者にならざるをえなかったこととして

ちょっとしっくりこない



なぜあのマンションレベルで

88歳の老女がバラバラにされたと言う結末

違和感ある



かと言って

他の誰であれば

このケースならこのシチュエーションだろってのがあるわけではないが



ホント意味や意義のない行き当たりばったりのことだったんだな



起きているからなんだけど

なくてよい出来事だったわけだよ



なんでそれを起こすかな〜

呆れる



ネットではもうその言い方で一刀両断されているけど

こういうなくてよい事・モノは

速やかに廃棄し

その方が良かったねと言える結果にした方が良い

つまり犯人は消滅させ事件は発生を見過ごしてしまった後悔と共に

記録の中にとどめ先に進む事です



この場合大切な事は犠牲者の記憶以外に何も残さない事

改めて不快になることのないようにすることです

事件を振り返ったり犯人が生きていたりは

余程の例外以外しないのです



池田徳信は初めから存在しなかった…

今回の事件もあり得なかったのだと

整理したい



時計も歯車が狂ったり時間の刻みがズレたりする

生き物の育ち・成長も歪んだりズレたりする

どちらにも言えるのは

正しく直すこと

でも直せなければ捨てて新しくするのです

だって狂った時計・時刻ならなくて良いじゃないですか

用を成さないもん