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 昨晩まぼろしペイガンズのリハーサルを最後に今年の用事は全て終わった。まぼろしペイガンズは来年のライブに向けて、新たな曲を数曲挑戦中。バンドマスターの千尋さんのウィットに富んだ小噺を挟みながらのリハは、終始和やかなムードで楽しかった。そしてリハ後は忘年会。ドラムスのこうへいさんが、「今年の抱負って何でした?」とベースの臨太郎さんに聞いていたのを横耳に、タバコを吸いながら達成出来ていない我が今年の抱負を思い出した。それはPCのブラインドタッチ。1ミリも練習することをしなかった言い訳として「今年は忙しかった」という言葉は抱負同様に平凡極まりなく、そしてくだらない。

 そんなことはさておき、音楽的な目標は二つあった。「アコースティックとエレクトリックの両立」「ウードとタンブールそれぞれで新曲を書く」。前者は両立とまではいかなんだが、まあそれなりに達成。後者はけっこう頑張った。ウードでは古楽+アラビック調の「Pagano」を作詞作曲、タンブールではクルド+11/8拍子ブルガリア調の「رقصتان(ラクサタニ・二つの踊り)」と、これまたクルディスタンな「צל הרוח(セルハルーアッフ・風の影)」を作曲。ここ数年作曲スランプの私としては、なんとかスランプから脱することができたのではないかと思う。しかしそれらの新曲がウケたかどうかは、また別のお話である(笑)。

 

 
 6月に新たにウードを購入した。私はさほど上手くもないくせに、セミホロウのエレアコウードとエレクトリックウード、あと所謂ウードを一丁前に所有している。そしてこの所謂ウードの弦高が高すぎる問題がここ2年、私を悩ませた。解決するために購入という結論に至った。
 今まで使ったことがないトルコのサイトを使用したのだが、メールも英語でのやり取りでスムーズだったこと、発送からたった4日で到着したことにグローバライゼーションを感じた。
 封を開けるとウッディなボディと滑らかな指板、アラビア語で彫られたロゼッタは何処か土着的で美しい。しかしながら、ちょいちょい「あ…ここ少し甘い」点が見受けられるのは外国産の御愛嬌として見て見ぬふり。楽器のプレイアビリティはかなり高く、ただただ弾きやすく、音も乾いていて心地が良い。ウードという楽器の音は、静かで奥深く、また音に芳しい香りを纏っている。そして弾き手としては、書を書くような感覚に見舞われると個人的に思っている。素晴らしい楽器を手にしたため今年はオスマン調のマカーム saz sema'i を練習していたのだが、まだモノにならなんだことは、これも御愛嬌。


 ライブはまあまあ演れた年だった。しんごとひでこはもちろんのこと、毎年演らさせていただいているまぼろしペイガンズのライブも良い感じだったと思う。アコースティックとエレクトリック…。私には差はない。ところが誰だか忘れたが「どちらを演りたいの?」と聞かれ、唖然とした。このグローバリズムの時代に、このLGBTQの時代に音楽の在り方を分けるのか?ディランがマイク・ブルームフィールドを率いたことを批判するかのように、岡林信康がはっぴいえんどを率いたことを否定するかのような感じがいまだにあるのだと!!驚きだ!
意味のないナショナリズムだ(笑)。
アコースティックのドライブ感を舐めるな、エレクトリックだからといって、ドラムスはアコースティック楽器だ。だいたいがデジタル処理をしているのにアコースティックもエレクトリックもない。
どちらも幻影、悲しき天使だ。


 そんな私も今日49歳と相成った。感慨はないが50代への準備は2年前からしていた。妻にマットピラティスの手ほどきを受け、今年の9月からはランニングを始めた。30年ぶりの有酸素運動だ。始めは3kmしか走れなんだのが、いつの間にか8km走っていた。しかも週3回。ちょいちょい鵞足炎や足底筋膜炎をやりながらも走った。走った、走った、走った、走った結果……。
まあまあ足が痛い。
結果、疲労骨折手前と誕生日の朝、整形外科で言われサポーターを足首にま巻いている始末(笑)。
我ながら私らしい。
自負ではない。
未だに現状把握すらできない49歳。
だが私らしい49歳だ。


ちなみにタイトルの答え合わせはジェイムズ・ギャングのファンク#49だ。私はやっと50手前となったのだ。