数日前のことですが久しぶりに叔母方の親戚に会いました


私自身、人見知りが激しく親戚一同が会する機会にあまり出ないものですから数年ぶりというものでした


そこで親戚の一人の子供たちと会話といいますかお世話をするように言いつけられたわけなのですが


先も記したように、私は人見知りが激しいもので子供であろうと卑屈に自虐する性格なわけなのです


また、子供というのは理論より感覚で動くので苦手意識も出ちゃうんですよね


しかしまあ、頼まれた以上はしっかりとこなすのが大人ですから、会話を不器用ながら行ったのですが


「ねーねー、これできる?」


と、突然会話の流れをブッタ切って指パッチンを見せてきたんですね


繋がりさっぱり見えねえよ、なんで今そんなことを聞くんだよ、それは見せつけてんのか、などと思いましたがグッとこらえた私大人


まあ、子供のすることですし聞いてくるってことは褒めてほしいのかな、と考えた私は適当に指をかすらせて出来ないなー凄いねーと答えました私大人





「はん、出来ないんだーm9(^д^)」





OK、戦争を始めよう
生きることについて考えてみました


それは、漠然とした命題というものでしょうか、よく分かりません


ふとして考えることではないかもしれません。今でも世界のどこかで考えられている、答えのないパズルかもしれません


結局それは、自身のエゴなのでしょう。自身が生み出す納得できる答えを考えるだけ


それを人に説いたところで、感銘を受けようが賛同されようが決して理解されることはないんじゃないのか


誰かが出した答えを自分が納得できる形におさめる。他人の認識は、思考は、理解できない。だって自身は他人になることはできないのですから


一人一人違う価値観を持った人間が、誰かを理解しようなどと言うのはおこがましいことではないでしょうか


故に、私が考える生きることの答えというのもまた誰にも理解されない私だけのエゴなのです



閑話休題



さて、私たち人間は何故生きるのでしょうか


人間は生きるだけで、他の動物や植物、同じ人間すらも傷つけています


世界は定員の決まった箱舟であり、その容量は限られています。人は無意識のうちに、あるいは意識的にその限られた場所を得るために他者を追い出す


それが生きることではないでしょうか。他に重ねる言葉もありますが、私自身しっかりまとめられないこと。なにより、正直文章打ちすぎて指が疲れて面倒になってきたので、こんなんで締めさせていただきます


消化不良で終わる、それが私のモットーであります
GWも特別なことは何も起きず、ふっつーに過ぎたわけですが、皆さんのなかには変化などは起こりましたでしょうか


私はというと長い休み関係なしにバイトがありましたので、他の方が休日を満喫しているなか一人黙々と汗を流しておりました


いやぁ、労働に流れる汗とは気持ちいいものですね





なんて思うわけないだろう、が!!


あぁ、いけないいけない。少しばかりGWの休みにはっちゃけたゆとり若者に接客してやさぐれの感情が出てしまいましたね


皆さん、それぞれお休みはいかに過ごされましたか?
知らぬうちに誰かの琴線に触れたりしてませんか?
心当たりのある方は月のない夜道に御注意を