今夕で嫁はんから くるみ食パンを食べたいなぁ~ってリクエストありました

早速に くるみ食パンの作り方のレシピを調べてみました

早焼きパンコースで くるみ食パンを作れるレシピを見つけました(^^)v

すぐに 材料を出して くるみ食パンを焼いてみました

出来上がる寸前に 甘いにおいが出てました

こんな早焼きパンコースに たった2時間で 焼きあがるなんて信じられなかったよ~

通常は 4時間くらいで かかるのに驚きでした

明日の朝メシで!!

どんな味するんかなって 楽しみやなぁ~(^^)

 


この冊子の4~5ページには、
手話を実質的に言語として認めることになる、
『手話の5つの権利』を述べています。

3ページには、わかりやすいように日本語の場合を例にして、
権利の行使が保障されていることを説明している、
と言えそうです。

手話は、日本語と同じように使われている状況ではありません。
それが、その後のページに具体例が述べられています。

手話の現状とはどんなふうなのか、
これも私の体験を幾つか述べてみることにします。

手話禁止時代(冊子の20ページを参照)が終わった今は、
「手話を使っても構いませんよ」
という時代に変わりました。
しかし、その権利は保障されたものにはなっていません。

例えば、ろう学校では手話が使われていても、
卒業して社会に入ると、
実質的には手話が使えなくなります。

ろう者の例ではありませんが考えさせられる、
こんな例があります。

ある難聴者が手話講習会に熱心に通っていました。
しかし、家族に

「手話なんて社会では何の役にも立たないのよ。
やめなさい」

と言われました。
その難聴者は、やっぱり家族関係を優先せざるをえないわけで、
手話をやめてしまいました。
これでは、手話を学ぶ人の人口だって増えないわけですし、
こうした考え方は、ろう・難聴児を持つ親にもいます。

「聴覚障害者協会に入ったら親に反対されたので、辞めた」

と言う、若いろう者もいます。

しかし、手話の獲得には、ろう者社会の存在は欠かせません。
本当は、ろう者だけではなく、難聴者や中途失聴者にとっても、
手話を覚えると、コミュニケーションが豊かになるだけでなく、
人間性も豊かになってゆきます。

ところが、その重要性を日本語にだけ認め、
手話には認めていないと実質的に言えるのが、
現状なのだと思います。

また、これも一見、ろう者と無関係に思われるかもしれませんが、

「難聴者や中途失聴者は、
筆談でコミュニケーションができるからいい」

と言われることが、しばしばあります。
でも、果たしてそうだろうか?
誰も相手にしてくれなかったら、
筆談コミュニケーションは成立しないのです。

手話もそれと同じことで、相手が手話を知らないだけでなく、
勉強しなかったり、知っていても常に後回しにされてしまう
可能性だってありえる、と思います。

他ブログでは、筆談、筆記と通訳との違いを
何回か述べてきました。
そこで述べていることと同様に、
人が自然に空気を吸うごとく、
コミュニケーションをする日本語音声言語や手話と、
筆談は大きな差があり、筆談では本当はそのような
コミュニケーションと同じとは言えず、
また情報としても乏しいものになりがちです。

問題はそれだけではありません。
これはすべての聴覚障害者に言えることで、
聴覚障害者が自分の権利として、
筆談か手話かを選べないことだけでなく、
(相手の健聴者が判断して選ぶのが普通)
したがって、その権利は完全ではない、
ということです。
これは手話でも筆談でも、同じだろうと思います。

選択権はあっても、すぐ健聴者にナンタラカンタラと
言い訳を言われて、その聴覚障害者への
最適対応方法となる手話や、筆談は後回しか、
なくなってしまうという悲しい現実が日常茶飯事です。

筆談で周りの人とコミュニケーションをとろうとしても、
その両側(隣り)と前にいる3人ぐらいが見れるのがやっとで、
そこにいる健聴者と放射状のコミュニケーションは
生まれにくいものです。

手話も、分かる人としか通じません。
今のままでは、自然とろう者同士とか、
筆談で相手になってくれる者同士とかでしか、
話すことはできません。
会社の歓送別会とか、納会とか、
そこで誰かと話したいときでも、
そんな現状があります。

その意味では、音声言語は問題ないと言えます。
逆に、手話言語の社会では「手話ならば問題ない」
ということになりますが。

自分の立場を逆になってみて考えてみても、
相手のことがわかるはずです。

手話も、手話がわからない人とは通じない、
という問題があります。

これは、日本語を知らない人に
日本語の話が通じないのと同じことですが、
手話言語法は、すべての日本国民に
日本語と同様に手話を教えるべき、
と考えているのかどうかまでは、
わかりません。

手話がわからない人には関係がない、
というのならば、果たしてそれは本当に
「みんなでつくる」と言えるのかどうか?
という疑問も出てきます。

ですから、
そこで言っている「みんな」とは誰々のことをさしているのか、
きちんと説明が必要なのではないだろうか。

しかし、日本のろう者に「手話とは何か」と聞くと、
人により違いはありますが、最も多いのは
「視覚言語として成り立っている日本手話(ろう者の手話)だ」
という答えです。
これがろう者の伝統的手話、手話禁止時代から伝わる手話だからです。
したがって、難聴者、中途失聴者が使う日本語対応手話や、
障害者福祉で使われる手話通訳(「中間型手話」と呼ばれている)は、
ろう者の手話とは当然、区別されているのです。

けれども、全日本ろうあ連盟は、これら三種に大別される手話を、
すべて「手話」と認めてきました。
手話サークルでも、通訳者がそう教えています。

しかし、手話言語法の言う「手話」には「ろう者の」という
前置きがある点に注目して下さい。
これは一体、どういう意味なのだろうか。

もしかしたら「手話言語法」となると、
話は違ってくるのかもしれません。

手話についての考え方も、ろう者によって違いが見られます。
若いろう者には、指文字を使う人が増えていますが、
年齢が高くなるにつれて「指文字は手話ではない」と言う
ろう者もいます。

指文字自体は、アルファベット文字の姿形を
そのまま真似て表しているものとかが多いので、
視覚言語と言えるのかもしれないけど、
それを日本語と同じように組み立てると、
結局日本語と同じ使い方になります。

そのような指文字による表現よりも、
伝統的手話のCLを使うろう者が多く、
そういうことから「手話ではない」と否定されるわけです。
日本語を借りた手話なのか、日本語対応手話なのか、
どっちかになると考えられそうです。

こういうふうに「手話とは何か」ということを考えるのは、
それもそれで手話の勉強になると思います。

しかし、言語として使うとき、そんなことまで
いちいち考えて使うものなのでしょうか。

その「言語」の意味からして、
皆が普遍的に使っている意味での「言語」と、
手話言語法の言う「言語」の意味は、違うのかもしれません。

まだ 聞き込むコトが沢山ありますので、続きで書き込みたいと
思います。

皆から これを読んでくれたら幸いです。

よろしく お願いします。




 久々 今日の晩メシのオカズとして料理したよ~
俺の息子からリクエストで(^^)!

材 料    (2人分 )           518カロリー1人分
豚バラ肉(薄切り)...150~200g
キャベツ...1/4個
土ショウガ(すりおろし)...1片分
プチトマト...4~6個
[調味料]
ウスターソース...大さじ2
ケチャップ...大さじ1
酒...大さじ1
みりん...大さじ1
マヨネーズ...適量
粗びき黒コショウ...少々
サラダ油...大さじ1

作り方

1.豚バラ肉は長さ3~4cmに切る。
レシピ画像
  • 2.キャベツは3cm角に切り、芯は薄切りにする。
  • 3.フライパンにサラダ油を熱して豚バラ肉を炒め、焼き色がついたらキャベツも加え、しんなりするまで炒める。
    レシピ画像
  • 4.土ショウガと<調味料>の材料を加えて炒め合わせ、全体に混ざったら器に盛る。お好みでマヨネーズをかけ、粗びき黒コショウを振る。横にプチトマトを添える。
    レシピ画像