だいぶ前のことですが、タイポップカルチャーマーケット 2023
で開催された「90’sバンコク音楽シーンミーティング with Pod(Moderndog)」に参加したのでその内容まとめ。
聞き手は木村和博さん(おそらくタイポップカルチャーマーケットの主催者の1人)
通訳は、タイ沼お馴染みの福冨渉先生
私は2020年頃からタイにハマった俄なもんで、T-POPシーンについて全く詳しくないから興味津々で聞いてました。
入門編としてPODさんのお話を楽しく聞けたので、ここから深掘りしていけそう。
そして詳しくないが故に、話に出て来たバンド名やアーティスト名がよく分からず聞き逃しが多いけど、そこはGoogle先生に聞きながら補完。
※ところどころ端折ったり言い回しを変えたりしているので、完全版ではないです。
P'Podの音楽ルーツ
幼稚園くらいの時は、父親がエルビスやカーペンターズ、ビートルズ好きだったから、そんな音楽がかかる環境で育った。
「50、60年代のぼくの父親世代は大体それが好きだよね。(P'Podは‘71生まれ)」
それにImpossiblesというバンドが、ビートルズなんかの歌詞をタイ語に変えて歌ってたのが流行ってて、Impossibleとビートルズの "Hard days night" をよく聞いてたのを覚えてる。
でも初めて買ったカセットテープは、当時(80年代)流行っていた、中国の仏教小説と言われるドラマのサウンドトラックで、小4の時。
「日本にはほとんど翻訳されてないギムヨンウイという作家の小説が原作のドラマで、翡翠のドラゴンという作品。たぶん日本では公開してないと思う」
と福冨先生がおっしゃってるように聞こえましたが、恐らく金庸の作品のどれかかと思われます。
「小6の頃、プリンスのパープルレインに感動したのを覚えているよ。映画のパープルレインもね。
その後、アッサニーワサンのファーストアルバムにインスパイアされて、中三の時にバンドを組んだんだ」
'80年〜'90年代のタイ音楽シーン
1994年にベーカリーミュージックというレーベルができるのだが
その10年前の84年に、"タイの最初のインディーズレーベル"と言われている「ナイトスポット」(たぶんNite Spot)がシティポップぽいアルバムを制作した(バンド名がよく分からなかった)。
アメリカでレコーディングしてタイでミックスした、9割タイ語、1割英語のアルバムで、これがタイの音楽シーンを開いていき、ティーンエイジャーのPODさんも刺激された。
当時の音楽レーベルは大手のグラミーとRSがマスのマーケット向けには影響力があったが、ナイトスポットみたいな小さなレーベルがロンドンやアメリカでレコーディングして、革新的なマニア向けの音楽を開拓していった。
「プリンスがレコーディングしているのと同じスタジオを夜だけ借りて、同じタイミングで演ってたっていうのを本人たちから聞いたことがあるんだ。
ミュージシャンもプリンスと同じ人だったらしいよ」
それがPODさんに影響を与えて、後のベーカリー誕生、そしてモダンドッグのファーストアルバムリリースにつながっていく。
Bakery Music誕生まで
モダンドッグを始めた時、まだベーカリーは存在していなかった。
ファーストアルバムを制作しようと思った時、TKOのスキーさんにプロデュースを依頼した。
彼が持っていたサイアムのスタジオを毎週火曜と木曜に借りて、1年かけてレコーディングした。
「完成してさてどこから出そうかとなった時に、グラミーにしようか?なんて言うもんだから
[スキーさんはなんで自分のレーベルを作らないんだ?]
と僕らが言って、それがきっかけでベーカリーミュージックができたんだ。
当時ベーカリーはプロダクションとしては存在していたけど、レーベルとして最初に出たのはモダンドッグだよ」
なぜベーカリーミュージックだったのか
「アルバムを出す時に、元々どこかのレーベルに属する気はなかったんだ。
曲を変えられたり、アイディアをいじられれたりするのが嫌だったし、こんな服着ろとか言われたくなかったしね。
最初からグラミーとか大手は興味なかった」
「でも実は、人に言われてグラミーのオーディションを受けにいったことがあるんだよ。
グラミーのアーティストのビリー オーガンの歌歌ってさ、合格したんだけど断った笑
受かるかなっていう興味本位で受けただけで、行く気はなかったんだよね。
この話したの初めてだな。誰にも言ったことないわ笑」
オーディションを受けた時は大学生だったので反骨精神が強く、レコード会社の大手がタイには二つしかないっていう状況を打開したいっていう気持ちがあったそう。
「でも実はモダンドッグのレコーディングしながら、大手のアイドルグループにダンス教えてたりしたんだけどね」
木村さん「今ならグラミー行っちゃったりします?」
P'Pod「行かないよ〜笑」
木村さん「ベーカリーで悔いなしってことですね」
P'Pod「そうだね。モダンドッグが新しくてマイナーなベーカリーから出ることで、後のアーティストにたくさんの選択肢ができたのは良かったと思ってる。
94年くらいからは大手でなくインディーズでっていう流れは起きていたね」
とはいえ、今や大人になったP'Podは、グラミーから頼まれて曲を提供したりしているそうだ。
現在の音楽市場について
今は市場が世界規模になったよね。リリースすればSpotifyとかですぐ世界に出る。
みんなに平等に機会があるっていうのはいいことだけど、その分競争も激しくなって大変だと思う。
そんな中若手は頑張ってるなと思うよ。
自分もサイドプロジェクトでバールンボーイというのをやってて、今はそのアルバムを作ってる。日本でも売れたらいいな笑
P'Podの夢
木村さん「今の夢って何ですか?」
P'Pod「一番大きい夢は、フジロックのピラミッドガーデンステージに出ること!」
参加者からのQ&A
モダンドッグ、P'Podに憧れているトンホンくんについて
トンホンから依頼を受けたんだけど、実はアートディレクターとして参加してジャケットを描いただけで、音楽面はあんまり関わってないんだ。
アーティストとして参加したのは、2006年のSaliva Bastardsのアルバムくらいかな
木村さん「Podチルドレンはいないんですか」
P'Pod「Saliva Bastardsくらいかなあ。そういうの興味はあるけどね」
INKちゃんについて
去年INKとは最初オーストラリアツアーしたんだ。シドニー、メルボルン、パースの3都市。その後ロンドン公演もした。
東京でもあったね。
自分はプライベートで来てて、パルコ歩いてたらINKのライブあるのが目に入ってさ。
で、BOXミュージックの人と話してたら、INKに挨拶していきなよって言われて楽屋行って、気づいたらステージに上がってた笑
INKはタイの中でもすごく声が鍛えられてるアーティストだよね。
チュラ大の芸術学部声楽科で、クラシックオペラを専門に学んできたからね。自分の後輩でもあるんだけど。
最後に
木村さん「そろそろお時間なので終わりましょう」
P'Pod「えーもう?ようやく楽しくなってきたのに〜」
(参加者からのQ&Aが楽しかったようです)
初めてタイフェスで日本に来たのが2002年。
そこから21年経って、日本のリスナーが今もタイの音楽に興味を持ってくれててとても嬉しいです。
モダンドッグでもまた来たいな。
おしまい